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中学3年 7月のこと

「あ、あった」  美己男(みきお)はゴトゴトと技術準備室の棚から小型のチェーンソーを取り出した。 「結構重いよな」  1人で呟きながら、技術室に運び込む。1番大きな丸太材を選んで、よいしょ、と持ち上げた。  勝手な事をして、と大我(おおが)に怒られるに違いない。 『先生が彫れないなら、俺が彫る』  思わず口から出てしまった言葉だったが、1度考え始めたらそれ以外に良い方法が頭に浮かばなくなった。   工芸展に俺の作った木工彫刻を出品してみよう。誰でも出品していいなら、俺が出せばいいんだ   先生の作った手の彫刻と同じものを彫れば國柄(くにつか)さんならきっと気が付くはず  ツルツルとした木肌の丸太を眺めながら、あの大きさのものは無理でもこの大きさならいけそうな気がする、と1人で頷く。  チェーンソーの使い方は授業で習ったが、実際には板を切断するだけしかしておらず立体を切り出すのはやったことがない。小型のものとはいえ、自分の手には負えない感じがして恐怖感が(つの)るがやるしかない。   何回もビデオも見たし、大丈夫  機械のチェックを終えてチェーンソーのコードをコンセントに差し込む。セーフティグラスとイヤーマフをして、スターターグリップを勢い良く引き、エンジンを始動させた。 「よしっ」  まずは荒く削っておおまかな形を切り出すつもりで美己男は慎重に刃を当て、丸太を削り始めた。  緊張のあまり体が硬くなって、グリップを強く握りしめてしまう。手が痛んで汗が異様に吹き出してきた。 「ああっ、クソッ」  木肌に当てただけで一瞬で木が(えぐ)れてしまい焦る。   ビデオではもっと簡単に切ってたのに    美己男はうまくいかずにイライラとしながらあちらこちらから刃を当ててみるが醜い傷跡のような切れ目が増えるばかりだ。 「なんだよっ」  腕が重く振動で(しび)れてあっという間に手の感覚がなくなり、チェーンソーが暴れる。 「畜生っ」  持ち直そうと揺すりあげた瞬間、ビンッと跳ね上がる感触がした。 「うあっ」  とっさに力を(こめ)めるが手が痺れて力が足りずのけ反り、一瞬で何が起こったかわからなくなった。  気が付くとチェーンソーが手を離れ尻もちをついた美己男の足先で見たことのない生き物のように唸っている。 「あ・・」  恐怖で体が動かない。  その時、首根っこを掴まれ思い切り後ろに引きずられた。ドスドスと床を走る振動がして、ガコ、とチェーンソーの動きが止まった。  ハッハッと自分の息が耳の奥で聞こえて体がガクガクと震える。 「おがたっ」  籠った小さな声が聞こえてチェーンソーから目が離せない美己男の視界に大我の強張った顔が入ってきた。 「せんせ・・・」  イヤーマフとグラスをむしり取られ、顔を両手で強く挟まれた。 「尾縣(おがた)?尾縣っ、こっち見ろっ」  黒い瞳に見つめられ、美己男は大我の胸元を震える手で掴んだ。 「何やってんのっ」  大我が美己男の手を掴みひっくり返す。腕をまくり、腹を撫で、足を掴まれ、裾を(まく)られた。 「ケガは?してないか?どこも、切れてないな?」  一通り体を撫で回されると頭を抱えられて抱き寄せられた。 「ビビった・・。心臓、止まるかと思った・・」  大我の鼓動がバクバクと伝わってきて美己男はその体にしがみついた。  うー、と泣き出す。 「ごめんなさいっ。重くてっ、刃先(はさき)が跳ねてっ」 「何やってんだよ。キックバックに気をつけろって授業で散々やっただろ」  大我が美己男の震える体を強く抱きしめる。 「だってぇ。どうしても、これしか思いつかなくって」 「何思いついたんだか知らねぇけど、勝手にこんな危ないことっ」 「だってっ、俺っ、先生の代わりに彫るって、言ったからっ。絶対に彫るって、思ってっ」  泣きながら必死に訴える美己男の肩を掴んで大我が体を引き離す。 「はぁ?バカかっ。そんなこと一言も頼んでねえしっ」  大我の眉がキッと怒りでつり上がる。 「だけどっ、もうそう決めたっ。俺、チョウコク、工芸展に出すんだっ」 「何勝手に決めてんだよ。そんな簡単にできるもんじゃないって言ったろうがっ。チェーンソーもまともに扱えないくせに、指の1本や2本、すぐに飛ぶんだぞっ。下手(へた)したら・・」 「それでもやるっ。やらなきゃっ」  大我が美己男の胸倉を掴んだ。 「舐めんなよっ、頭おかしいのかっ。なんでお前、そこまでっ」 「だってぇ。國柄さんは先生に言ってたんだよぅ、また彫れって。あの人、先生のこと待ってるんだって、探してるんだって」 「そんなわけないだろうがっ。なんでお前にそんなことわかるんだよっ、いい加減にしろって」  大我が強く胸元を掴んで美己男の息が詰まる。それでも必死で言葉を絞り出した。 「わかるっ。あの、インタビュー、ここと同じっ」  美己男は大きな窓の前で大我が熱い瞳でカメラを見つめている写真をポケットから取り出した。 「この場所だった。これ知ってるの、先生と國柄さんだけでっ。思い出して欲しいって、会いに来て欲しいって、あの人が先生に言ってるんだって、俺、わかったっ」 「嘘だっ、そんなことっ、ありえない」  大我が写真を手に取る。 「いまさらなんだよっ。どうしろって言うんだよ」 「だから俺も、先生を國柄さんのところに帰さなきゃいけないんだよぅ」 「あのクソジジイっ。何してくれてんだっ」  大我が美己男の胸に顔を伏せる。 「何なんだよっ。もうやらないって、やっと・・。なのにっ。クソッ」 「せんせー、会いに行ってよ。國柄さん、先生の事、探してるよ」  美己男は胸の中の大我の頭を抱えた。  大我の手が美己男のシャツの背中を握る。 「なんなの、お前。このまんま、静かにやり過ごしていけばいいって。そんなもんだって思ってたのに。なのにお前みたいなの、拾っちゃって」 「うん」 「どんくさいし、泣いてばっかで」 「うん」 「そしたら、いつの間にかでっかくなっちゃって。工業科行くとか言いだして。嬉しくて、先生っていうのも、悪くないなって。尾縣みたいな生徒と出会えるんなら、教師やっていくのもいいかもって、思えたのに」 「俺も、先生がいてくれて良かったって思ってるよ。先生が拾ってくれなかったらきっとやってこれなかった」 「なのに、そのお前が、もう1度彫れなんて、残酷過ぎんだろ。会いに行けなんて・・言うなよっ」  大我が呻くように言う。 「・・うん、ごめん。そんなつもりなくて。でも、俺、見ちゃったから。先生のチョウコクも國柄さんのことも、この写真も。もう、忘れることなんてできない」 「マジで(たち)が悪いって」  はぁ、と大きくため息をついて大我は美己男の胸をグイと押して体を起こした。バサバサと髪を掻き回して立ち上がる。 「せんせ・・」 「コーヒー牛乳買ってきて。尾縣も好きなん買ってこい」  美己男の手を掴んでチャリチャリと小銭を手の平に乗せた。 「すぐっ、買ってくるっ」  美己男は慌てて立ち上がり教室を飛び出す。息を弾ませ技術室に戻って来ると、大我が無残に傷つけられた丸太を腕を組んで眺めていた。 「買って・・来ました」 「これ、何を削ろうとしたの?」  丸太を眺めながら大我が訊く。     なんか、今までと雰囲気が違う・・  近寄りがたくて、少し怖いくらいだ。 「あ、えと、先生の手のチョウコク?のちっさい版を・・」 「ふーん。これでよく出品しようと思ったな。底はいいとして、正面すら決めずに彫るとか、ある意味、天才」 「・・ありがと」 「褒めてねぇ」  大我がふん、と鼻を鳴らす。  大我は床に転がったセーフティグラスを拾うと頭からかぶって首にかけた。 「耳、取って」 と言いながら引き抜いたコードの先をコンセントに差してチェーンソーを足で押さえる。  美己男はイヤーマフを拾って大我に手渡した。 「お前も耳、塞いどけよ」  そう言うと、グラスとイヤーマフを装着して大我はスターターグリップを引いた。美己男が慌てて準備室に駆け込むと、ブルルル、とエンジンがかかる音がして、キュン、キュンと刃が回る音が聞こえてきた。  大急ぎで教室に戻ると大我がまるで重さを感じさせない動きでチェーンソーを操り、スルスルと丸太を削り始めていた。チェーンソーはさっきまで美己男が手こずっていたものと同じものとは思えぬほど大人しく大我の手の中に収まっている。  無様(ぶざま)(えぐ)られ切り刻まれたただの丸太だったものが瞬く間に、滑らかな曲線を浮き上がらせていく。  美己男はその様を息を凝らして見つめた。  部屋中の酸素が大我の周りに集まっているかのように濃い空気を(まと)って大我はチェーンソーを振るう。  息苦しくて、肺が痛い。美己男はゴクリと喉を鳴らした。  大我はまるで指先で肌を撫でるように優しく、(いつく)しむように削り続けた。木が悦びに震えているように見え、それはあまりにも官能的で美己男の肌がゾクゾクと粟立(あわだ)つ。  窓の外がすっかり暗くなってしまう頃、大我の前の丸太には蝶の(はね)とそれを包むように開かれた両手が刻まれていた。  守られていた手の中から、今、まさに飛び立たんとしている生まれたての翅。  それは、初めから丸太の中に隠れていて、ずっと見つけてもらうのを待っていたかのような完璧な姿のように美己男には見えた。  大我がチェーンソーを止めて、ゴトリ、と床に置き、イヤーマフとグラスを取ると、バサバサと頭を振って顎から滴り落ちる汗を腕で拭った。  美己男が完全に逆上せ上がって大我を見ると、大我も熱を(はら)んで濡れたように光った瞳で美己男を見つめ返した。  何か言っているのか、口が動いているが美己男には何も聞こえてこない。大我が近づいてきてイヤーマフを取った。  美己男は吸い寄せられるように大我の唇に自分の唇を強く押し付けた。大我の唇が美己男に応えるように吸い返し、すぐに胸を押し返される。 「これ以上揺さぶんなんよ。こっちが泣きたくなる」  そう言われて美己男は自分が泣いているのに気が付いた。 「あ、泣いてた」 「なんだよ、気が付いてなかったのか?」 「うん」 「なにそれ」 「わかんない。けど、嬉しかったから。カンドーしたってやつ」  美己男は笑いながら頬を拭った。
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