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倉庫での6日目のこと

   目が覚めたのはもう昼前だった。  何度もドロドロになりながら抱き合った後の記憶がないが、また美己男(みきお)の体は綺麗に 拭かれて毛布にくるまっていた。  今日は隣でまだ大我(おおが)が寝息を立てている。  しばらく大我の腕の温もりを味わいながら寝息を聞いた。 「尾縣(おがた)ぁ、腹へった。」  寝ていると思っていた大我がうーん、と伸びをしてまた美己男を腕の中に包み込む。 「あ、起きた。」  美己男は大我の無精ひげの生えた顎に鼻をすりつけた。 「また昨日、体拭いてくれたの?」 「ん、そのままだと気持ち悪ぃじゃん。」 「そういうとこ、結構、神経質だよね。几帳面なとこあるし。」 「そうかぁ?こんなひどいとこで生活してるのに?ほんと、逃亡生活だよ、これじゃあ。」  モゾモゾと毛布の下で片肘をつき、頭を乗せた。 「でも、ここ結構好きだよ、俺。楽しい。」  美己男は仰向けになって事務所を見回す。 「えぇー、最悪だよ、暑かったし、寒いし。暗いし、使いにくいし。もっと快適なところで 作業したい。」  あはは、と美己男は笑った。 「明日でこの逃亡生活も終わりだな。」 「・・うん。(かおる)さんは?」 「明日から家に帰る。俺も逃亡者はおしまい。」 「え?そうなの?」 「いい加減、もういいだろ。もうこれ以上彫れないし、運び出しまでは通ってここを 片付ける。」  そう言うと大我は起き上がった。 「じゃあ、今日は倉庫の掃除だね。」  美己男も起き上がる。 「そんなのいいよ、今日も尾縣のしたいことしよう。最後の日なんだから。」 「じゃあ、一日ここで馨さんと過ごす。そうしたい。」 「・・ん、わかった。」  大我は美己男の頬に唇を寄せる。 「とりあえず、朝飯。腹減った。」  そう言って立ち上がった。  彫像の周りに転がっている木の端くれを片付けながら木屑(きくず)を掃き集める。  美己男は何度も彫像の顔を見上げては眺めた。  何度見ても、自分の顔とは思えない。  ただただ、馨さんが彫った顔は本当に綺麗だな、と思うばかりだ。  大我が後ろから首に手を回し抱きついてきた。 「また見てんのか?自分の顔。」 「うん。どうやったらこんなのが彫れるのかなぁって。」  美己男は不思議で仕方がない。 「どう?って?」  大我が美己男の肩に顎を乗せる。 「彫る前から分かってるみたいに彫るじゃん、馨さん。学校で馨さんが彫るのを初めて 見た時、そう思った。最初から木の中にあったものなんじゃないかって。」 「あー、んー、まぁ、そうね。あの時はあれ以外に彫れるもんなかったっつーか。 どうかな、でも削り出しはやり直しがきかないから、やっぱり最初に形は決めて削らないと なぁ。」 「ふーん、でも、これも、最後は顔が決まってないって、言ってたよね。でも、急に彫り 始めて、最初から決まってたみたいに出来上がった。」 「あー、これはそうね。尾縣が来たおかげで顔は決まったかな。祈ってるように見えるって 言われて間違ってないなって確信できたし。」  美己男は首を(ひね)って大我を見た。 「もし、俺が来なかったら?」 「・・でき上がらなかったよ、多分。」 「そんなことないでしょ?きっと出来上がったよ。馨さんには俺に見えてないもんが見えて るって思った。同じもの見ても、全然違うものが見えてるんだって。」 「どういうこと?」 「それを才能っていうんじゃないのかなぁ、って。」 「え?」  美己男はまた彫像を見上げて、大我の手に自分の手を重ねた。 「俺、馨さんの見てるもの、見えてるもの、見てみたかった。でも、それは無理なんだって わかった。きっとそれは馨さんの才能なんだろうなぁ、って思うから。」  大我が美己男の手に指を絡めて握る。 「無理なことないだろ。これも尾縣と一緒だったから彫れたのに。尾縣、辛かったの? 苦しかった?俺は尾縣を傷つけてた?」 「んーん、馨さんが一人で苦しんでるの見てるのは辛かったけど、傷ついたりしてない。 それに、俺に見えてなくてもいいんだって、馨さんのチョウコク見てわかった。」 「それは、どういう意味?一緒にいる意味、なかったってこと?」 「ううん。馨さんに見えてるものが、こんな風に彫刻になるのを見るのが俺はすごく嬉し かったんだってこと。だってさ、それ、俺にしか見えてなかったんだから。」  大我が絡めた指を強く握る。 「だからさ、馨さんも苦しんで欲しくない。今度、國柄さんに会えた時、苦しくないと いいなって思う。」    大我が美己男の肩に顔を伏せた。 「・・うん。ありがとう。なぁ、いつかカンちゃんと会えた時に、俺のこと聞かれても、 正直に答える必要ないんだからな。何もなかったことにして、全部、忘れてカンちゃんとこ 行けばいいから。」  大我が後ろから抱き締めながらそう言う。 「どうして?」 「尾縣はカンちゃんにだけ愛されたいんだろ?他の誰かに愛されていたとしても、カンちゃんがいなかったらいつかはそれが苦しくなる。違うか?」 「・・そうかも。」 「だったらすぐにいなくなる母親の事も、顔も知らない父親のことも、俺の事も全部忘れて カンちゃんに会いに行けばいいよ。そのまんまの尾縣でいいから。」 「・・うん。」 「ごめんな、こんなことしかしてやれなくて。尾縣に何にも返せるもんがないわ、俺。」  大我が呟く。 「ううん、馨さんにずっと守ってもらった。色んな事、教えてもらったし、最後に馨さんが チョウコクするところ見られて良かった。」 「うん、俺も。尾縣に会えて良かった。」  二人は手を握り合ったまま彫像を見つめた。    倉庫スペースの片づけが終わるともう夕刻になってしまった。 「今日は晩飯、どっか食いに行こうぜ。」 「えー、いいよ。ここでインスタントラーメン食べたい。」  美己男はニコと笑って大我を見上げた。  大我は不満げに美己男の顔を見て頬をギュッと片手で掴んだ。 「お前さぁ、そういう顔、もっとうまく使えよ。その顔で言えばみんな大抵のお願い、 聞きたくなっちゃうんだから。今日ぐらいもっと贅沢言えって。」  頬を挟まれたまま、むふ、と小鼻を膨らませて美己男は笑った。 「贅沢ってー?じゃあ、ファミレスがいい。」  大我が声を上げて笑う。 「最後の飯がファミレスかよ。鼻膨らませて、かわいいなぁ。まぁ、いいか。ファミレスで 贅沢するか。」    ファミレスで長い時間を過ごし、倉庫に戻ったのは真夜中近くになっていた。 「ねー、今日さ、マットレスこっちに置いてチョウコク見ながら寝ようよ。明日の朝、目が 覚めたら一番に見れるし。」  美己男は大我に言った。 「え?倉庫の方、寒いし嫌だよ。事務所からも見えるだろ。」 「ひっついてれば寒くないし。今日は俺のしたいことしてくれるって言ってたじゃん。」  えー、と大我が渋い顔をする。 「・・わかった。」 「やった。」  ズルズルとマットレスを倉庫に運び込み、彫像の正面に置く。  シャワーを浴びると美己男は毛布の下に潜り込んだ。  大我もシャワーを浴びてタバコを吸うと 「うー、寒いー。」 と美己男の隣に入ってきて、後ろから抱き着いた。 「は、あったか。」  美己男のうなじに鼻を埋める。 「馨さん、冷たっ。」  タバコの匂いの息がかかり、胸がギュッと苦しくなる。 「馨さん、いつフランス行くの?」  美己男は彫像を眺めながら聞いた。 「まだ、なんも決まってない。まずはこれ、出品してからだな。」 「そっか。・・國柄(くにつか)さんって、結婚した人とも付き合ってたの?馨さんとも付き合ってたん でしょ?」 「・・なんでそんなこと聞きたいの?」  大我が鼻を埋めたまま聞く。 「國柄さん、あんなことまでして馨さんを探してるのに何で結婚してんのかな、って 思って。」 「・・俺のこと、探してるのかどうかなんてわかんないよ。たまたまかも。」 「絶対違う。あの場所は、馨さんとの大事な場所でしょ?馨さんにだけ伝わるメッセージ だよ。」  美己男は大我の指に自分の指を絡めた。 「尾縣がそう言うと、そんな気になってくるんだよなぁ。お前、ほんと勘違いさせる達人 だよな。」 「これは絶対勘違いじゃないってば。」 「あの人、國柄さんってさ、ほんと無茶苦茶な人なんだよ。」  そう言って大我がおかしそうに笑うのが背中から聞こえる。 「生活能力ゼロでさ。どうやって今まで生きて来たんだろうって感じで。」 「え?そうなの?すごくちゃんとした大人の人に見えたけど。」 「だよな。でも、中身はほんと子供みたいな人で、ほっとくと時間とか曜日とかがすぐ わかんなくなっちゃってさ。人と約束とか待ち合わせとか全然できないんだ。」 「え、嘘でしょ、俺よりポンコツじゃん。」  美己男は思わず笑った。 「ほんと、ポンコツ親父。でも、建物のことになったら滅茶苦茶すごくて。天才ってこういう人の事を言うんだなって、初めて思った。」 「へぇ・・。」 「若い頃から国内では注目されてて、でもそんなんだから問題も多くてあっちこっちで衝突 したりしてたらしくて。それが俺が出会う少し前に女性のエージェントがついたんだ。  その人がすごい人で、あっという間に国内で有名になって、世界にも進出して、今の世界のクニツカを創り上げた。ほんと、すごかったよ。みるみるうちに有名になってくのを目の前で見て、怖いぐらいだった。生活から仕事から全部面倒見て、ほんとに切り離せないパートナーになっていって。」 「でも、それって・・。だって、恋人は馨さんだったんでしょ?」  美己男の鼻の奥がツンと痛くなってくる。 「んー、まぁ。でも俺となんかよりももっと強い関係を築いているように感じてたから、 俺、ずっと嫉妬してたし。俺と付き合ってることを隠すためにその人と結婚する、でも、 形だけだから信じて欲しいって言われて、自分がぶっ壊れる音がした。」 「じゃあ、國柄さん、好きでもなんでもない人と結婚しちゃったの?馨さんのことが好き だったのに?そんなの・・。」 「まあな。けど、俺じゃあ國柄さんの何の役にもたてない。それどころかあの人のキャリアの邪魔になるだけだったから。それだけはな、しちゃいけないから。」  美己男の目から涙が(こぼ)れた。    馨さんは自分をぶっ壊しても國柄さんを守りたかったんだな 「尾縣が俺の為に泣いたり怒ったり戦ったりしてくれたの、嬉しかった。ありがとな。 それ、尾縣の才能だな。」 「えへ?そんなの才能とかじゃないよ。」  大我の声が眠たげにぼんやりとしてくる。 「ううん、尾縣は人を愛する才能に溢れてる。そんな奴、俺、初めて会った。 ・・すげぇ救われた。お前にもっとしてやりたいこと・・。」  スゥスゥと大我が寝息を立て始める。   美己男はモゾモゾと寝返りを打つと大我の銀髪を胸に抱きしめ、二度と馨さんがぶっ壊れる音がしませんように、と思いながら目を閉じた。

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