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高校2年 春のこと

  (かん)ちゃん、今日は女の子とお弁当食べてる  体育館前で寛太朗(かんたろう)が彼女らしき女の子とお昼に弁当を食べてる姿を美己男(みきお)は食堂の窓から覗き見た。  肩まで伸ばした髪をクルリといつも巻いていて、肌の綺麗な桃色の頬をした小柄な女の子。  今までも何人か彼女がいたようだが校内で2人の姿を見せるような相手は初めてだ。   あの子が寛ちゃんの1番好きな人かぁ    女の子になりたいわけではないが〝女子〟というだけで当たり前のように許容されていることを少し羨ましいと思ってしまう。 「カン様ってお前のなんなの?」 「えー?寛ちゃんは俺の1番好きな人だよ」  (れい)の声に美己男はそんな気持ちを振り払って答えた。 「おー、ブレないね、ミキオ君」 「うん。ずっと寛ちゃんは俺の1番」 「どこがそんなにいいわけ?」  愛良(あいら)が少し怒ったようにふん、と鼻を鳴らした。 「全部。サラサラの髪とか、ふさふさの睫毛とか」  黒い()の中の海のことは美己男だけの大事な秘密だ。 「俺のヘアーもサラサラだぞ」  そう言う怜にニコと笑顔を向ける。 「あと、頭良くって、怖いもの知らずなとこ」 「そりゃ、天下の特進様だかんね。頭良いに決まってるけどー」 「それでね、足が速くて」 「好きの基準、小学生かっ」 「お尻がキュッと小さく締まっててその下の足がこう、スラリってして・・」 「うん、ミキオちゃん、ちょっと黙ろうか」 「ここ、学校。公共の場だからねー。急に(しも)の話ぶっこんでこないでー」  愛良と怜が話を遮る。 「下の話じゃないってばっ」  寛ちゃんのそばにいて好きにならない人なんているのかな、と美己男は思う。     まぁ、そんなに寛ちゃんの事を好きになる人だらけになっちゃっても困るけど  あんなに頭が良くてカッコ良くて。あの濡れたように黒い眸に見られたら、すぐに体が蕩けそうになってしまう。真っ黒いように見えて、でもよく見るとユラユラと深い海の底のように揺れて光る。さらに半分眉に埋もれ、寛太朗が指先で前髪を払うとチラリと覗くあの右眉の上のほくろ。     あんなにエロいほくろ、他にあるか?    それにあの唇。ふっくらして柔らかく小ぶりなのにキスをすると意外と強い力で吸ってくる。     チューするだけでもうイきそうになるんだよな    寛太朗の好きなところを上げればきりがない。 「ミキオちゃん?まだ飽きもせずにカン様見てんの?」 「不毛」  愛良と怜が呆れ声で言う。 「不毛なんかじゃないからいいんだよ」 「いいように扱われて不毛以外の何物でもないと思うんですけどー」 「俺が寛ちゃんの事を好きなだけだもん。全然、不毛じゃない」 「よく見ろ。カン様、彼女とお弁当食べてるんだぞ?」 「当たり前じゃん。寛ちゃん、あんなカッコイイんだからいないほうがおかしい」 「ほんとイカれてる。カン様、ノンケでお前ゲイじゃんか」 「そうだよ」 「でもエッチしてるんでしょ?あり得ないんですけどー。それもう、都合のいいセフレ扱いだよ、ミキオちゃん」 「そうじゃないもん。俺が寛ちゃんに会いに行ってんの」 「発情してんなー。なんか爛れてる」 「へへ、盛っちゃうんだよね、好きな人といると」 「ほんとヤバいよ、ミキオちゃん。カン様に恋し過ぎだって。その赤い髪もカン様の為でしょ?」 「違うよー、これは俺の為。寛ちゃんにすぐに見つけてもらえるようにー、って」  寛ちゃんの手が迷わず掴んだ、赤いガムボール。   赤は寛ちゃんの色だ 「健気(けなげ)が過ぎるっ」 「泣いちゃう、オレ」 「まぁ、確かにミキオちゃんみたいなぼんやりさんがカン様に口きいてもらえるだけでも奇跡だけどさー」 「確かに、僕たち工業科は特進様と目を合わせることも禁じられてっからな。最初に食堂でカン様に会った時ビビったー。ミキオいきなり声かけて近寄って行っちゃって、どうなるかと思ったぜ。カン様の隣の美人さん、めっちゃ睨んでくるしよー」 「ねー。でもさ、カン様、みー、ってみんなの前で名前呼んで、イチゴ牛乳投げてきてカッコ良かったっ。あれは僕でも惚れるっ」 「あれはびっくりだったなー。あんなことある?漫画じゃん、ドラマじゃん」  2人が去年のことを興奮して話している。     わかってる   俺みたいなのが寛ちゃんと出会えたのは本当に奇跡だ   神様に、いや母さんにいくら感謝してもし足りない  すぐにいなくなる母親と真っ暗な部屋。何もかもが怖かった世界に寛太朗が現れて、光が溢れてくるようだった。     あの時、俺は寛ちゃんに狂っちゃったんだ  美己男は自分がちゃんと寛太朗に狂ってることがわかって安心するとベンチから目を離し、怜と愛良の後を追った。 「ね、みーちゃん、今度の日曜日、ご飯食べに行かない?」  突然、母親の知愛子(ちあこ)が嬉しそうにまとわりついてそう言った。 「は?飯?なに、嫌な予感しかしないんだけど」  美己男は身構えた。   この笑顔・・・、新しい男だ  小さい頃から何度も見た表情だからすぐにわかる。 「別にいい。勝手にして。母さんだけで行けよ」 「えー?なによー、せっかく誘ってあげてんのにぃ」 「今までそんなん1回もしたことねーだろ。なに?金でもせびられてんの?」 「失礼ねっ、そんな人じゃないわよっ」 「やっぱ新しい男か」 「あっ、バレちゃったー。サプライズにするはずだったのにぃ。そうなの、鈴木さんって言ってね、ずっとみーちゃんに会いたがっててぇ」 「だから勝手にしろって。俺、関係ねーだろ」 「お父さんになるかもしれないんだから関係なくなーい」 「は?」  美己男はギョッとして知愛子を見た。 「お父さん?あんた妊娠してんの?」 「ええ?まさか。違うわよう。結婚したいなぁ、って。あ、でもね鈴木さん中学生の女の子がいるから、みーちゃん、お兄ちゃんになるわよ」 「嘘だろ。そんないきなりっ」 「今度その娘ちゃんも来るんだって。だからね、みーちゃんも来て。お願い、ね?」   ふざけるなよ・・、結婚?   中学生の娘がいる男と?   絶対無理だろ  大喜びでタンスから次々と服を取り出し、鏡の前で体に合わせている知愛子を見ながら美己男はため息をついた。 「初めまして、美己男です。母がいつもお世話になっています」  日曜日の昼、中華料理店の個室で美己男は反射的にニコと笑いながら、緊張した様子の少女とその父親に向かってお辞儀をした。良く言えばまとも、悪く言えば平凡な鈴木を見て美己男はびっくりしてしまった。今まで、母親がつきあってきた男たちとはあまりにもかけ離れていて本当にサプライズもいいとこだ。   いやいや、こんなまともそうな人、絶対うまくいかないって と心の中でまたため息をつく。 「初めまして、鈴木と言います。噂の美己男君にやっと会えた」  ほらほら、ハナもあいさつ、と促され少女が 「鈴木小華です」 と小さく挨拶をする。 「え?」  よく聞こえなくて少女に向かって美己男は体を折り曲げながら聞き返した。 「スズキコハナ、です」 「コハナちゃん?すご、かわいい名前」  恥ずかしそうにうつむく小華がまた可愛らしくて、美己男はこの先の展開が怖くなった。   こんな良さそうな人たちが、母さんと家族になんかなれるわけない 「さ、座ろう」  そう鈴木に声をかけられて皆で席についた。 「知愛子さん、なに食べたい?あ、美己男君は苦手なものとかあるのかな」 「特には。あ、でもから揚げとか、餃子とか、そういう普通っぽいのが食べたいです」 「ええー?やだー、みーちゃん。餃子なんてこんなところで頼まないでよ。ハナちゃんは?なにがいい?」  知愛子が普段よりもさらにテンション高くはしゃぎながら尋ねる声に、小華がオドオドしながら 「あ、えっと、私もから揚げ、食べたいかも」 と小さく答える。 「あは、だよね。から揚げなら間違いなくうまいもんね」  美己男は小華に向かって話しかけた。 「あ、酢豚とかもあるじゃん。パイナップル入りだって。ヤダな。俺、酢豚にパイナップル嫌なんだけど、小華ちゃんは?」 「私もイヤ」 と鼻に皺を寄せて首を横に振る。 「おー、一緒一緒。じゃあエビチリとエビマヨだったら?」 「エビチリがいい」 「一緒ーっ。俺も絶対エビチリー」 と言う美己男の言葉でようやく小華が笑顔を見せた。 「コハナってどういう字なの?」 「小さいに華やかの華です」 「へぇ、綺麗な名前だね」 「あんまり。友達はみんなオハナって呼ぶの」  小華の可愛らしい言い方に美己男は笑い声を上げた。 「あ、ごめん。笑っちゃった。え、かわいいじゃん、オハナちゃん」 「時代劇みたいでいやです」 「あはは、そっか。じゃあハナちゃん?」  うん、と笑って小華が頷く。 「あの、ミキオさん・・は」 「あー、俺はね、美しい己の男ってかいて美己男。俺のほうが変な名前だよー。友達はミキオって呼ぶけど、みーって呼ぶ人もいる」 「みー、さん?」 「ええ?みーさん?なんかおかしくない?せめてみー君って呼んで」 「みー君」 「うん。どう?」  うん、大丈夫、と小さく頷く。  美己男は小華の細い肩を見ながら、寛太朗が髪をくるりと巻いた小柄な彼女の体を抱く姿をふいに想像した。   寛ちゃん、あの子とエッチしたのかな   あー、寛ちゃんと今すぐチューしたい   寛ちゃんは彼女がいるのに何で俺ともエッチしてくれるんだろう   でも俺とエッチできるってことは少なくとも寛ちゃんも俺としたいって思ってるってこと    だよね  体の奥が熱く疼く。寛太朗と初めてセックスをした時、気持ちが良いなんてものではなかった。まさか寛太朗が抱いてくれるとは思ってもいなかった。訳がわからないほどイかされて、何もかもが1つに溶け合い自分が自分でなくなった気がして、意識が飛ぶ寸前だった。その次に会いに行った時もすぐに抱き着いてしまって、それになんだか寛太朗も同じ気持ちのような気がしてつい、しよ、と言ってしまった。寛太朗は笑って受け止めると、熱く固くなったモノで応えてくれ、なぜか美己男の中で射精した後「また出た」と驚いたように呟いていた。   寛ちゃんの先が奥まで届いて熱いのが中に広がってすごかったな   最後に出るの当たり前なのにびっくりしちゃって、寛ちゃんウケる 「ねえ、みーちゃん?」  知愛子に呼びかけられすっかり甘い記憶に浸っていた美己男はハッとした。 「え?」   やべ、思いっきり盛ってた 「美己男君、県立高校だって?」 「あ、はい」 「すごいね、あそこ、偏差値高いでしょ?」 「あー、まぁ、普通科は。俺は工業科なんで」 「工業科も人気高いらしいじゃない」 「そうなのかな。でも、友達も先生もすごく好きです」  鈴木の話に当たり障りのない答えを返す。 「じゃあ、高校卒業したら、美己男君は大学に行きたいのかな?」 と訊かれて驚いた。 「え?まさか。就職します。早く働きたくて工業科行ったから」 「そうなんだ、もったいない。建築とか設計とかに興味があるって聞いてたから。大学でもっと勉強すればいいのに」 「いやいや、勉強はあまり好きじゃないし」  えへへ、と美己男は曖昧に返事をした。   なに言ってんだ、この人   大学なんて行けるわけない  ほとんど毎日バイトに行ってるのに美己男の生活は毎月カツカツだ。生活用品や食料ははほとんど美己男が買ってきている。知愛子も仕事をしているはずなのに時々、安い文化住宅の家賃ですら払えず美己男のバイト代から支払わなくてはならない状態なのだ。 「せっかくだしもっと頻繁に会って食事するっていうのはどうかな?ハナも美己男君がいてくれると嬉しいよな?」  鈴木が人の良さそうな顔でニコニコと話かけ、小華も嬉しそうにうん、と小さく頷く。鈴木が見た目通りの良い人で、小華が素直な子であることが気持ちを重くさせる。この人たちは知愛子と家族になることがどういうことなのかを全くわかっていない、と思うと美己男は辛くなった。 「あー、はい。俺、夕方からはほとんど毎日バイトなんで、昼なら」 「うん、じゃあ、そうしよう」 「今日はごちそうさまでした」  美己男は鈴木に頭を下げた。 「やだな、やめてよ。じゃあ、また来月にでも」 「はい。ハナちゃん、またね」  美己男が手を振ると小華が小さく手を振り返し、その手で父親の腕を掴んで嬉しそうに見上げる。  その様子を見送って美己男は 「じゃあ、俺、バイト行くわ」 と知愛子の顔も見ずに歩き出した。 「あ、みーちゃんっ。まだ早いじゃない。もー、お茶ぐらいつき合いなさいよぅ」  知愛子が後をついて来る。 「本気であの人と結婚するつもりなの?」  歩きながら美己男は訊いた。 「いい人でしょ?地味だけどすごく私のこと好きみたいなの」 「あんたさ、いい加減にしろって。あんな人の良さそうな男、騙すようなことして。ちょっとは考えろよ」 「ちょっとー、ひどいこと言わないでよ。誰も騙してなんかいないでしょ。ちゃんと真剣におつきあいしてますぅ。それにね鈴木さん、みーちゃんが大学行きたいなら行ってもいいって・・」   は? 「ざっけんな。なに言ってんだよ、そんなこと頼んでないっ」  知愛子の言葉に美己男は腹が立って絡みついていた腕を振り払った。キャッと声を上げて知愛子がよろめき、美己男の力の強さにお互いが驚いて立ち止る。 「あ・・、ごめん」 「な、なによぅ・・。みーちゃんのために、ちゃーちゃん・・」 「いいよ、俺のためにとか、そういうの。あんたは今まで通り自分の好きに生きて。じゃ、ほんとにバイト行くから」  美己男は知愛子に背を向け早足で歩き出した。  いきなり現れた真面目そうな父親候補や、可愛くて素直な妹になるかもしれない女の子、大学進学、といった文字が頭をグルグルと回り、美己男の頭が混乱し始める。   設計?建築の勉強?   誰がそんなことしたいって言ったよ  無理矢理、知愛子に全寮制の中学校に入れられ寛太朗と引き離された。運よく大我(おおが)という人に出会えて、頭が悪くノロマの自分でもものを作ったり図面を引いたりすることができる、ということを教えてもらったから今の高校にも入りたいと思えた。寛太朗のように頭が良いわけでもないし、大我や國柄(くにつか)のようにすごい才能があるわけでもない。先のことなどなにも考えてないし、今のこの状況で考えられるわけない。   寛ちゃんに会いたいな   俺も寛ちゃんの1番になれたらいいのに  ただひたすら寛太朗のことを思いながら美己男はバイトへと向かった。  

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