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高校3年 夏休みのこと

 美己男(みきお)の体に残った傷だけが終業式の日の記録となった他は、まるで何も無かったように夏休みが過ぎていく。  体はボロボロでピアスを引きちぎられた耳はほんの少し欠けたようになってしまったが気分は最高だった。  寛太朗が助けに来てくれてからの出来事や言葉を何度も繰り返し思い返しては1人でニヤついてしまう。  今日も気分よくバイトを終えて店を出た時 「みーちゃん」 と呼びかけられて、背筋が冷たくなった。 「母さん?」 「みーちゃん」  ヨロヨロと知愛子(ちあこ)が寄って来る。部屋着のままのだらしない姿につっかけだ。 「なに?なにしてんの、こんなとこで」 「みーちゃん、お金、頂戴」 「は?金?あんたにやる金なんてあるわけないだろ」 「お金、払わないと大変なの。さっき、ヤクザみたいな人、来て」 「ヤクザ?」   まさか・・、借金取りってやつ? 「そんなん知るかよ。俺には関係ないって」 「お店で前借りさせてもらって。お願い」 「ヤダよっ。そんなんできるわけないだろ」 「しないともうダメなのよぅ。あんたの名前でも借りてるんだからっ。みーちゃんも追いかけられるのよっ」 「はぁ?意味わかんないんだけど・・」   俺の名前?なに言ってんの?コイツ 「いいからお金頂戴ようっ」  知愛子が道の真ん中で泣き叫ぶ。 「あー、くそっ」  知愛子の腕を引っ張って歩きながら必死で考えた。   どうしよう?(かん)ちゃんとこ?   母さんを連れて?   いや、それはいくらなんでも無理だ   寛ちゃんにこの人の面倒まで見させる訳にはいかない 「そうだ、警察。警察行こ」 「嫌よぅ、そんなとこ」 「そんなこと言ってる場合かよ」 「警察行ったってなんにもしてくれやしないってばっ」 「じゃあ、どうしろって言うんだよっ」 「みーちゃんが悪いのよぅ。ちゃーちゃんを放っておくからぁ。全部みーちゃんのせいなんだからぁ。ちゃーちゃんをずっと1人にして。みーちゃんのせいっ」  泣いている知愛子を美己男は呆然と見た。   ああ、そっか   俺が悪いんだ   バチが当たっちゃんだな、俺が欲張ったから   理貴(よしき)さんの言う通り、そんな価値ないのに頭悪いのに欲張って寛ちゃんの全部を欲しがって、寛ちゃんに夢中になって、母さんを放っておいたから   神様、怒って、そんでバチ当たったんだ・・ 「そっか、ごめん。自分がバカなの忘れるくらい夢中になって、ごめんなさい」  美己男は知愛子と抱き合いながら、何度も何度も謝った。    それから美己男は知愛子とインターネットカフェを転々としながら毎日、アルバイトに通った。とにかく給料をもらわなければどうにもならない。もらったところでなんの足しにもならないが逃げるにしろ、ネカフェに泊まるにしろ金がいる。家には怖くて帰れなかった。 「らっしゃいませー」  新しく入って来たサラリーマン風の2人組の客に美己男は上の空で声をかけた。 「とりあえずナマ中2つね」 「はい、ナマ2つー」  何も考えずに注文を繰り返す。     来週、給料もらったらとりあえずここから逃げて、遠くで住み込みの仕事探して・・  忙しい時間を少し過ぎて、入って来たその2人組は穏やかに飲んでいたが、 「あ、お兄さん」 と、美己男のシフトが終わる頃に年かさのほうの男性に声をかけられた。 「はい、ただいまー」  反射的に笑いながら美己男は近づいた。 「尾縣(おがた)美己男君?」 「はい、え?あ・・・」   しまったっ、つい返事・・ 「へー、ちーちゃんから聞いてたとおり、綺麗な顔してるね」 「ちーちゃん・・」 「そ、君の母親。知愛子さん」   こいつら・・ 「もうバイト終わりでしょ?待ってるからさ、支度しておいでよ。逃げても無駄だから、ここは素直に。ね?」  男はにこやかに話しかけてくる。見た目はスマートな会社員にしか見えずそれがまた怖くて、美己男の膝が震えた。 「ミキオ君。こっちだよ。さ、どうぞ」  グレーの乗用車のドアを開けられ、年かさの男と後部座敷に乗る。     もうダメだ・・  膝だけでなく体中が震えた。 「怖い?そりゃ怖いよねぇ」  男が笑いを含んだ声で話しながら名刺を差し出してくる。  美己男は震える手でその名刺を受け取った。 「京谷と申します。ごめんねー、怖がらせるつもりはないんだけど、これも仕事で。」 「あ、の、金ですよね?来週、バイトの給料が入りますっ。それで払いますっ」 「そっかぁ。偉いなー、ミキオ君。でもねー、もう、焼き鳥屋さんのバイトで払えるような金額じゃないんだよね」  美己男はうー、と泣き出した。 「学校、やめて働いて、毎月払いますっ。お願い、こ、殺さないでっ」 「ええ?殺す?」  京谷はあはは、と声を上げて笑い出した。 「怖いこと言わないでよ。殺したりしないですよ。私たちのこと、なんだと思ってるんですか」 「えと、ヤクザ?」 「ひどいなぁ、一応ビジネスマンですよ。言っとくけどヤクザという職業はないからね」 「そ、なんですか?」 「まぁ、反社会的組織ってやつに該当するわけだけど。意味わかんないよね、反社会的組織って」  京谷は美己男の顎をグイと掴んで横を向かせると涙らや鼻水で濡れた顔をマジマジと見た。 「それはそうとミキオ君はほんとに綺麗な顔してるね。泣いてもそそられるし、笑ってもかわいい。色も白くて肌は滑らか。その赤い髪もよく似合ってる。さすがちーちゃんの子」  そう言うとティッシュボックスを渡してきた。 「君の母親も若い頃は可愛らしい人だったんだけどねー。時というのは残酷だ」 「うう・・」 「君の母親はうちの会社から金を借りました。君が死ぬまで焼き鳥屋で働いても返せない程にね」 「お、俺は関係ないっ。あの女が勝手に借金したんじゃないかっ」 「そういうわけにはいかないんだよねぇ、社会って」 「知るかよぉ、そんなん。だから俺がバイトして、毎月払うって言ってんじゃんっ」 「それも無理なんだよねぇ」 「な、なんでっ」 「君の借金は今、いくらかわかりますか?」 「知らないよっ。俺、借りてないっ」 「君は今、うちの会社から200万円借りています」  京谷が淡々と話しを進めていく。 「10日で10%の利息が発生するとして、月にいくらになる?」 「え?10日で10パー?えと、わからない」 「あはは、わかんないか。頭のほうはあんまりって聞いてたけど、その通りだな。10日で220万、30日で260万。それも単純計算でね。わかる?1月60万支払っても元金は変わらない。借金額は変わらないんです」  美己男は全身の血の気が引いた。 「そ、そんなん、絶対無理じゃん」   死ぬまで働いても払えないってこと? 「そう、普通に働いていても無理なんです。それが高利貸し、というものだから」 「ふ、ふざけるなっ。そんなの犯罪だっ」 「みんなそう言うんだよねぇ」  京谷ははぁ、とため息をついた。 「しかも金を散々、借りた後に言うんだよ。借りる時にはどうかお願いしますって、土下座までするって言うのに」   この男、頭おかしいのか?  美己男は京谷の話すことに腹が立ってきた。 「当たり前だっ、みんな金、無くて、困ってて、そんであんたとこ借りに行くんじゃんかっ」 「当たり前?だったら、借りたものは返すのも当たり前では?」 「そう・・だけど。でも返せないってわかってて貸すなんて、どうかしてるっ」 「返す当てもないのに200万円も借りるほうがよっぽどどうかしていると思うけどねぇ。それに貸すときには、うちは金利が高いことははっきりと説明してます。他にももっと良心的な金利の所を教えて差し上げることだってしている。そしてうちでの返済が滞った時の回収手段も最初に提示してますよ?それでも皆、喜んでサインをするんです。それなのに返せなくなったからと言って、こちらを悪者扱いするほうがひどいとは思いませんか?」 「え?っと、そ、それは・・」  美己男の頭は京谷の話にすっかり混乱してしまった。   ダメだ、ちゃんと考えなくちゃ 「で、も、俺は、少なくとも、俺はなんも聞いてない。そんな説明、受けてもないし、金、借りた覚えないっ」  必死の答えに、京谷はおや?と眉を上げて面白そうに美己男を見た。 「へえ、頑張るね。だが残念。返済が滞った場合は君が肩代わりする、と書いた契約書に君はサインをしてしまっています」 「は?なにそれ。そんなの俺、知らない・・」 「だろうね。知愛子さんがきちんと説明しているとは思えないものね」  京谷が気の毒そうな声でそう言いいながら、今度は細く折りたたんだ紙を広げた。  契約書、と書いた文章の下に美己男の名前が書いてある。  知愛子にアパートの契約更新だと言われて中身も見ずに名前を書いた、気がする。   俺、バカすぎ・・    美己男の頭は完全に真っ白になり、もう何も考えられなくなってしまった。 「どうする?まだ頑張る?助けてもらえそうな人に会いに行ってもいいですよ?」 「は?助けてくれる人、いるの・・?」 「さぁ、どうでしょう?助けてくれるかもしれませんけど・・、まぁ、普通は無理でしょうね」  そう言うと、京谷は胸ポケットから写真を取り出した。 「鈴木さん、はいくらか融通してくれるかなぁ。普通のサラリーマンですから少しは貯えもあるかな?」 「え?いや、なに言ってんの、ダメだよ。あの人、もう全然関係無いだろっ」 「そう?年頃のかわいい娘さんもいらっしゃるし、少し頼めば・・」 「ちょっと待ってっ」  身体中に鳥肌が立って止まらない。 「そういう・・こと?助けてもらうって?それ、脅し・・」 「他には・・、ああ、この子、いいよね。顔も良し、頭はさらに良し。君の為になんでもしてくれるぐらい親しそうだけど」 「誰・・」 「幼馴染なんでしょ?藍田(あいだ)かん・・」 「ヤメろっ、寛ちゃんに触るなっ」  美己男は叫んで男の手の中の写真を奪い取って手の中に握りしめる。 「本当に?幼馴染君、一緒に堕ちてくれそうなのに」 「ない・・です」 「ん?」 「いないです。助けてくれる人なんかいないっ。いるわけないっ」 「・・そうですか」 「だから寛ちゃ、他の人・・やめて下さい」 「そっか、わかりました」     ああ、寛ちゃん   ごめんね、俺、ほんと頭悪くて、すげーバチ、当たっちゃったみたい  美己男はボタボタと涙を零した。 「良かった、君が素直に応じてくれて。私のところで働いて借金を返しますか?」 「・・・はい」 「いわゆる風俗のお仕事ですが」  美己男はうう、と呻いた。 「学校は・・・」 「残念だけど辞めざるを得ませんね。今も授業料未払いなのでは?」  美己男はコクリと頷いた。 「では、働く店はここから離れた所にしましょう。その方が君も少しは気が楽でしょうし」   ああ、そうか   こんなんじゃ寛ちゃんのそばにはいられないよな   笑える、まだ寛ちゃんと一緒にいようとするなんて 「まぁ君のその顔と体なら、頑張れば十分返せるでしょう」  京谷の言葉に美己男は顔を上げた。 「え?」 「それからまたここに戻ってくればいいんじゃないですか?いつになるかはわかりませんけど」 「ほんとに?死ぬまで働かなくてもいいの?」 「君の働き次第ですね。君にはそれくらいの価値があると思いますよ」   俺の価値・・?   俺にもある価値って? 「・・わかった。あんたとこで働く」   それでここにまた戻れるなら 「あの、1つお願いが」 「お願いにもよりますが?」 「8月31日までここにいさせて。ちゃんと今のバイト終わらせて最後に給料もらって、そんで9月からあんたのとこ行くから」 「・・わかりました。いいでしょう」  美己男は良かった、と呟いて反射的に笑った。  京谷が驚いたように美己男を見る。 「君はなんていうか・・天才的ですね。愛を知る子に己の美しい男、か。可哀そうな親子だね、まったく」  そう言って京谷はおかしそうに笑った。

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