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19歳の冬のこと
もっと分厚い掛け布団買おうかな、と事務所の待機部屋のソファで毛布に包まりながら美己男 は起き上がった。
もう何か月も知愛子 のいる文化住宅には帰っていない。
顔を合わせば怒鳴り合うばかりでまともに話もできなくなり、知愛子を見るのすら嫌になって今ではほぼ事務所に住んでいる。
「コウ、起きたか?」
部屋のドアが開いて店長の笠木 が顔を出した。
「あー、笠木さん、おはようございます」
「おはよ。ちょっといいか?」
「はい」
「今日からこっちで勤務することになったジュン」
そう言って笠木が後ろに立っている明るい笑顔の男子を振り返った。
「こっちは、ウチのナンバー1キャストのコウ」
と美己男に顎をしゃくる。
「こんにちは、コウです」
美己男はニコ、とジュンに笑顔を向けた。ジュンは一瞬、美己男に見惚れると
「わ、わ、伝説のコウさんだっ」
と顔を真っ赤にして走り寄って来た。
「んじゃあ、まあ、よろしく頼むわ」
笠木が美己男に一瞬、目線を投げてくる。その視線から、よろしく頼むというよりは注意して見てろ、という意味なのだと悟って
「はーい、わかりました」
とのんびりと返事をした。
「はじめましてっ、ジュンです。すげー、ほんものっ」
「あは、なに?本物って」
ジュンが興奮して抱き着かんばかりに話しかけてくる。
「え、え、だって、コウさん、本店でも超有名人なんですよう。全キャストの憧れ。みんな会いたがってて、都市伝説みたいになってんの知らないんですか?」
「なにそれー。都市伝説!?なんかヤダなあ」
「赤髪のコウ。入店1年で売り上げトップ。しかも全キャストのトップ。トップ・オブ・トップッ!!」
ふーん、そうなの?と他人ごとのような返事をしながら美己男は湯沸かし器のスイッチを入れた。
本店から飛ばされてきたのか・・
この事務所は東京から少し離れた地方都市にある。それなりに大きくて賑やかな場所で、事務所の規模も小さくはないが、東京本店はここの倍以上は大きい。その分、問題児も多くてたまにこうして地方に飛ばされてくるキャストがいる。
「しかも、オーナーのお気に入りっ」
「あー、京谷 さん、オーナーは元気?」
美己男をここに連れてきた京谷は『殿上 グループ』と言う金融会社の取締役で、全国にいくつもある風俗店のオーナーなのだ、と笠木が最初の頃に教えてくれた。
「お元気ですよ。いいなー、コウさん、オーナーの直スカウトだったんですよね?しかもオーナー自ら研修したって。それももう、伝説でえ。それ、ほんとなんですかっ?」
「スカウトとはちょっと違うけど、研修はしてもらった」
「マジでえ!?すげえっ」
「それはでも、俺がほんとにダメな奴だったからでさ。すごいとかそういんじゃないんだって」
「なに言ってるんですかっ。オーナーが研修したなんて、最近はコウさんぐらいだって聞いてますっ。いいなー、俺もオーナーにしてもらいたかったなー」
美己男がインスタントのコーンスープを湯で溶いている間にもジュンはとめどなく話し続ける。
ここに来た時、美己男はジュンの言ったとおり京谷から研修を受けた。
あの時、京谷さんにシてもらわなかったらやっていけなかったかも
美己男はコーンスープを啜りながら久しぶりに京谷の名前を聞いて、ここに来た時の日のことを思い出した。
「美己男君には明日から研修を受けてもらう。何日かかかると思うから、取り急ぎしばらく生活できるように今日は買い物とかして、後はゆっくり休んで」
「生活・・ですか?」
「うん。着替えとか、洗面用具だとかの生活用品。ここにもあるにはあるんだけど、自分用のがあったほうがいいでしょ」
「あ、はい」
「笠木と一緒にこの辺りを案内してもらいながら行ってくるといいよ。支払いは全部笠木がしてくれるから」
「あ、一人で大丈夫・・」
できればもう一人になりたかった。それに借金を返すためにここまできてるのに、支払いをしてもらうなんて、なんだかおかしな話だ。
「笠木はこの店の店長だから、君の面倒を見なくちゃいけないの。一人にして逃げられたら笠木が困るしね」
「あ・・、そういうこと・・」
そっか、借金返し終わるまで自由にできないってことか・・
そうして次の日から研修が始まったが、それはかなりの修羅場となった。
「ヤダ、ヤダッ。離せっ」
研修というのは、すなわち、男性を相手に性的なサービスをする、といことだ。
そう言われてきたものの、実際にそのシチュエーションなると、体も心も頭も何もかもが拒否してしまい、美己男は暴れに暴れた。
触られただけで吐き気がする。相手の体を引っ掻き、蹴り飛ばして、所かまわず噛みつくと、泣き喚いた。
部屋にあったグラスを机の端で叩き割り、手首に当てる。
「死んでやるっ、触ったら死んでやるっ」
「待て待てっ、体に傷をつけるなよっ」
笠木が怒鳴り声を上げた。
「今更傷なんてっ。見ろよっ、俺は一回失敗してんだっ。二回だって三回だってやってやるっ」
美己男はそう叫んで、腕に残った傷跡を見せた。
「うわー、マジか。メンヘラ?笠木さん、これヤバくないすか」
「そんなこと知るか。早く取り押さえて縛れっ。殴るなよ」
笠木の命令で美己男はあっさりと床に押さえつけられた。素っ裸にされ、手足を拘束され口にガムテープを貼らた美己男はそのまま気を失った。
タバコの匂いがして、ふ、と美己男は目を覚ました。
裸の体に布団が首までかけられていてなぜかまた京谷の太ももに頭を預けている。
「目が覚めた?」
京谷がふう、とタバコの煙を吐いた。
「うあ・・」
慌てて体を起こそうとすると
「まだ起きるな」
と京谷に頭を押さえられた。
「散々暴れたからな。まだ手足を縛ってる」
そう言われて、美己男はうー、と泣き出した。
「ヤダ、ヤダぁ。こんなのイヤだ」
「ほんとしょうがないな、君は」
京谷は呆れたようにそう言うとなぜか笑い出した。
「笑うなっ」
「ああ、ごめん。なんでか君が泣いてるとおもしろくて」
そう言いながら、京谷は美己男の髪を梳くようにして頭を撫でる。
なんなんだよ、俺が泣いてるとおもしろいって
だが頭を撫でる指が寛太朗を思い出させて段々と美己男の気分も落ち着いてきた。
「いつから髪、赤く染めてんだ?」
「高校、入学する時に染めて、それからずっとです」
「ふーん、よく似合ってるな」
だって、これは寛 ちゃんの色だもん
「髪、赤いままがいいね。そうだな、口紅の紅って書いて、コウって名前にしようか。どう?」
そう言われて、美己男は静かに頷いた。
「じゃあ、コウ。今から拘束解くけど、暴れるなよ?」
京谷は美己男の頭の下から抜け出すと、掛け布団をめくった。いきなり肌がエアコンの冷気に晒されてブルッと鳥肌が立つ。
そのまま京谷は覆いかぶさるようにして唇を重ねた。柔らかい舌で唇を吸われる。
「ん・・」
あっという間に舌を絡め取られ、抵抗する間もなく美己男の思考は停止した。
「いい子だな。ほんと、お前、そそられる」
京谷はそう囁くと美己男の首筋に舌を這わせた。
「あ、あっ」
体中に唇を押し当てられ、美己男の唇から声が洩れ出す。
「あらら、こんなにキスマつけてきちゃって。消えるまではお客さん取れないね」
いつの間にか手足の拘束が解かれ京谷にモノを握られている。
「コウ、バリネコ?」
「え?なに?」
「挿れられるだけ?挿れたことない?」
「ない・・」
ゆっくりと京谷の濡れた指が挿入 ってくる。
「あー、柔らかいけど締まってて、こっちもいいね。しかも綺麗な色だ。これはたまんないな」
京谷が額に落ちた前髪を掻き上げると、下腹に顔を押し付けた。
「うあ・・、京谷さんっ」
「よく体で覚えとけ。これからお前がどうやってお客を気持ち良くさせるか」
京谷が美己男のモノを咥えた。舌が絡みつき、あっという間にモノが膨れ上がる。
「やっ、あっ、ダメっ。離してっ」
美己男は泣きながら腰をくねらせた。
「そうだ、そうやって啼いてみせろ。客にコウという幻を見せるんだ」
京谷が下半身をグリグリと押し付けて来る。素肌ににズボンの生地が擦れて痛くてたまらない。
「あ、あ、痛いっ。京谷さんっ、ヤダッ」
「どうしたい?」
「んっ、わかんないっ」
「ねだって、懇願して、欲しがってやれ。そうやって自分の欲しいものを相手に差し出させろ」
「脱いでよっ、京谷さんも脱いでっ」
美己男はそう言って京谷のズボンのボタンに手をかけたが、その手を掴まれた。
「まだだ。俺に触れるのはまだ早い」
「んんっ」
その後も散々焦らされ、いたぶられるようにして結局、京谷の服を一枚の脱がせることができずに美己男だけが果ててしまった。
ぐったりとベッドに寝そべる美己男の体を京谷が温かいタオルで丁寧に拭う。
腕の傷を拭きながら
「コウ、これ、ほんとに死のうとしたのか?」
と尋ねた。
「ううん。ほんとは高校の木工の授業で機械に巻き込まれただけ。俺、どんくさくて」
正直に美己男がそう答えると、京谷はおかしそうに笑った。
「とっさにそんな大嘘つけるなんて、ほんと面白いな、お前」
「嘘つくつもりはなかったんだけど」
「お前の研修は俺が全部やってやる。誰よりも高く売れるようにしてやるよ。お前のその顔と体を武器に闘って、自分で自分を守れるようになれ。あの幼馴染が迎えに来てくれるまで踏ん張れよ」
「・・・はい」
美己男はその日、泣きながら眠った。
「ねー、コウさんってオーナーの愛人?」
ジュンの問いかけにハッとして美己男は顔を上げた。
「は?え?そんなわけないよ」
「えー、ほんとに?」
「ほんと、ほんと。オーナーとは一年近くも会ってないし」
「えーそうなんだ。なんだー、コウさんは特別扱いされてるってみんなが言うから、てっきりそうだと思ってたー」
「まさかあ」
ジュンにえへへ、と美己男は笑いを返した。
少し奮発して買った手触りの良い毛布に包まって美己男は正月のお笑い番組を待機室のソファでだらだらしながら見ていた。
「コウ、新年くらいは母親に顔見せに行けば?」
笠木がだらけた様子で部屋に入って来た。
「新年こそ、会いたくないです」
と首を横に振る。
ふん、と笠木にため息をつかれ、美己男は口を尖らせた。
「なんでー?俺、ここにいたら迷惑?」
「いいやー、俺は新年早々一人で留守番しなくて済んだから嬉しい」
笠木といるとなんとなくホッとする。
「ねえ、笠木さん。ジュンってさ、なんかあってこっちに飛ばされたの?」
「ああ、ちょっと性格に難ありでな。他のキャストの客を横取りしたり、悪口言ったりすんだよ。ちょっと悪質っつーか、あくどいっつーか」
「ふーん」
「コウも気をつけてな」
「んー」
「お前はなんか、ぼんやりだなあ。それで売り上げトップとか、マジで信じられんわ」
「なんだよう、バカだと思ってるんだろ、俺のこと」
「あはは、違うよ。お前、意外と芯が強えって話。な、それより、ぜんざいでも食おーぜ」
「いいねー、、餅焼いて入れよ」
美己男はニコ、と笑って立ち上がった。
年明けから、美己男を指名する客の顔ぶれが変わってきていることには気が付いていた。
相性の良かった常連客が離れていき、少し質 の悪い新規の客が増えてきている。
特に確信があるわけでもなく、指名数自体はそれほど減っているわけでもないので、美己男は特に気にせず新規の客を受けていた。
「コウ、また新規のお客さん、受ける?今からすぐ会いたいって言ってるんだけど」
笠木が待機部屋に来て美己男に声をかけた。
「はい、受けます。すぐ行けるよ」
「大丈夫か?最近、新規続きだけど、全部受ける必要ないんだぞ?」
「ううん。待機したくないから行きます」
「わかった。念のため一人つけるわ。怪しかったらすぐ連絡しろよ」
「はーい、お願いします」
美己男は明るく返事をして支度を始めた。
「今晩は、初めまして、コウです」
指定のホテルの部屋に入り、美己男はニコリとえくぼを作って自己紹介をした。
「あ、初めましてっ。ほんとにコウ君だっ。嬉しいな、夢みたいだ」
地味で真面目そうなサラリーマン風の男性で、すぐに抱き着いてキスをしてこようとする。
「わ、あはは、そんなに会いたがってくれてたなんて嬉しいな」
嫌味にならないようにやんわりと体を押し戻すが、男はすっかり興奮してしまっている。お構いなしに迫って来ていきなり押し倒すと、せわしなく事を終えた。
どこかねっとりとした接し方なのが少し気にはなったが、特に嫌なことをされたわけでもなくその日は時間通りに終わって事務所に戻る。
「おー、コウ、問題なかったか?」
笠木が美己男の顔を見て尋ねた。
「うん、全然。ずっと会いたかったー、って喜んでくれたよ」
「そっか、ならいいんだけど」
「なんで?何かあるの?」
「んー、もうすでに次のお前の指名、数回分入れてきてんだ。ねちっこい感じが気に入らん。ああいうのはすぐ拗らせてくるからな。あんま優しくし過ぎるなよ」
店長をしているだけあって、笠木はこういう勘が鋭い。
「わかった。気をつけます」
美己男はきちんと返事をして頷いた。
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