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第3話

「貞真は…」  ふいに左馬之介が口火を切った。 「貞真は、元は孤児の巡礼であったのです。旅の途中、ここで病に倒れ、何とか身体は持ち直したものの、とうとう視力は失ってしまった。私は、貞真があまりに哀れでこの離れに住まいを与えたのです」  ふっと、左馬之介は遠い目をした。 「もう、十年になるのですな…。それでも、貞真はまだ二十二にしかなりません。あたら若い身空(みそら)で御仏にすがるしか生きる(すべ)を持たぬとは、可哀相な娘です」  しかし、左馬之介の言外に貞真尼に対する哀れみが、それほど修顕には感じられなかった。 実際に、あれほど若く美しい娘が出家してしまったことに、左馬之介は感慨を抱いているのだろうか。  その時、話題の貞真尼が戻った。  左馬之介との話は、それまでで打ち切られた。  夕食は、囲炉裏の鍋に作られた熱い粥と、田舎風の野菜の煮物だけという質素なものだった。  だが、辛い旅の途中でようやく巡り合った温かな食事は、それだけで充分に修顕を満たした。  修顕は、御仏と二人の好意に感謝をすると、さっそく熱い粥を(すす)った。舌も喉も焼くような熱さが、かっと体中に広がる。  それはどこか官能にも似ていて、修顕は陶然となって、うっとりとその感覚を味わった。それで一心地(ひとここち)着くと、続いて猛然と食欲が沸いてくる。あたかも説法で語られる餓鬼さながらに、修顕はがつがつと粥に煮物にと忙しく口と手を動かした。 「まあまあ、よほど空腹で在られましたご様子」  貞真尼が、あの鈴が揺れるかのような可憐で澄んだ声で明るくそう言った。  その手に、修顕の(から)になった椀が、左馬之介から渡される。 「まだお若いのだから致しかたありますまい。ささ、ご遠慮召さりますな」  修顕は、浅ましい自分を恥じとも感じたが、左馬之介と貞真尼の行き届いた心遣いに、いつしかすっかりと寛ぎを覚えてしまった。 「お若い方は、何よりもしっかり召し上がることが一番ですもの」  自らの不具も忘れたように、貞真尼はまめまめしく修顕の世話を焼いた。 「お若いと申しても、さて修顕どのはお幾つにお成りでございましょうか」  左馬之介の何気ない口調に、修顕は何の不信を抱く理由もなく、率直に答えた。 「はい。先月で十七になりました」 「ほう、随分とお若くして御出家されたものだ。されば、()(きみ)が御存命なれば同じ年。貞真どのも、お世話の甲斐があるというものですな」  左馬之介の言葉に、貞真尼の手がはたと停まった。 「…貞真尼様?」  何やら漂う気不味さに、修顕は戸惑いを覚えた。  それを察したのか、左馬之介がすぐに言葉を継いだ。 「…三年前、貞真どのは弟君に先立たれてしまわれたのですよ。…まこと美しく、賢く、愛らしい少年だった」  その瞬間、貞真尼の顔色が変わったのを修顕は見逃さなかった。 「そう言えば、修顕どのはどこかしら彼の君に面差しが似ておられる」  ついに、貞真尼は血の気を失った上体を支え切れず、思わず床に手をついた。 「その仏壇に見える菩薩像は私の作ですが、姿形は彼の君に似せております。如何(いかが)です、御自分を写したようだとは思われませぬか」  言われてみれば、高貴な顔立ちで深く思索する菩薩の徳高い優美な姿は、どこか修顕と通じるものがあった。  潔癖で、それでいて決して俗悪を断ち切れぬ、この艶めかしい、危うい意味を持つ造形美は、むしろ修顕の本質を現わしているかのようだった。 「私は…」  ただならぬ様子の貞真尼にちらりと目を送り、修顕は応える言葉を見失った。 「()の君が亡くなられて、(はや)三年。あの時、十四にお成りになられたばかりの彼の君であられば、もしも今でも御存命なれば、このように眩いほどにお美しく成られたことであろうか」  左馬之介は、誰に言うとなく口に出している風であったが、貞真尼の動揺だけは見るに明らかだった。  不安な面持ちでそんな貞真尼様子を伺いながら、どうすることも出来ずにいる修顕であった。

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