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第四話:リシェル皇子、狩りに参加し、護衛とともに落とし穴に落ちるの事
「狩り」は絶好の暗殺チャンスである。
うっかり流れ矢が当たったことにもできるし、崖を踏み外したことにもできる。歴史上、狩りの最中に不審死を遂げた王侯貴族は枚挙にいとまがない。
「だから狩りに出るのはやめろ、って言ってるんだが」
リシェルの斜め後ろに馬を並べ、ディオスが不満げに言った。
前を黒い紐で合わせるテラコッタ色の袖なしチュニックの首からグレーのフードを出し、ダークブラウンのダボッとしたズボンの脛は、黒いスエードの編み上げブーツで絞られていて、ディオスのくっきりした野性的な目鼻立ちと黒髪に、よく映えていた。
「私とて狩りは好まん。しかし民は自らより惰弱だと思う者に信望を抱かぬもの。信望は『王』という虚構の上の幻想を支える柱。ディオス、そなたも人の上に立ちたいと思うのであれば……」
「はーい、ご意見承りましたー」
せっかくリシェルが、教科書では教わることのできない、人の上に立つものとしての心得を説いているというのに、ディオスはいい加減な返事をした。
「それに、兄上主催の狩りとあらば、出ないわけにはいくまい」
リシェルの長兄カルロは皇太子である。兄自身はさっぱりとした好人物であるが、周りはそうとは限らない。ここでリシェルがどのような振る舞いをするかが値踏みされているのだ。
「よーし、皆の者、用意は良いかー!」
「おー!」
白馬に跨り、帝国の紋章を胸にデカデカと染め抜いたチュニックと鎖帷子に身を包んだ伝統的な狩りのいでたちで、カルロ皇太子は剣を高々と挙げ、参加する王侯貴族たちを鼓舞した。
リシェルとディオスも、ラッパの音とともに小高い丘から駆け出した。
「ウサギとか鹿とか、あらかじめ適当に狩っておいたから、ガチで狩りする必要はないからな」
ディオスの馬の鞍の両側には、いつの間にかウサギが数匹ぶら下がっていた。
すでに勢子の恰好をさせて狩場に放っている下っ端たちに命じれば、すぐにでも鹿が手配されるのだろう。
「言っただろう。狩りそのものではなく、信望を得ることが重要なのだと。行くぞ」
「やれやれ」
リシェルが青のチュニックをひらめかせ、馬を速足にすると、ディオスもやる気なさげについてきた。
今回の狩りは、多数の勢子を使って、主人の待機場所に獣を追い込み、弱ったところをおもむろにやっつける、という接待プレイではない。
制限時間内に自ら獣を狩る、計画性、馬術、弓術、時間配分など様々なスキルが問われるものだ。
リシェル達がウサギを弓で何羽か仕留め、キツネを追って森の中の窪地に入り込んだ時だった。
「……待て。取り囲まれている」
ディオスの緊張した声に馬を止めると、茂みの陰からわらわらと、十人近い男たちがあらわれ、二人を取り囲んだ。
いずれも勢子に扮しているが、抜き身の剣や槍を構えている。
「他の護衛はどうした」
「ククク、静かになってもらった」
正面に立ちふさがる男が言い終わるが早いか、ディオスの放った矢がドスッとその男の脳天を貫いた。
「リシェル、走れ!」
「無論だ!」
二人は馬に鞭を入れると囲みを破って駆けだした。
後ろからヒュンヒュンと矢が飛び交い、リシェルの馬に当たった。
葦毛の馬は、いったん前足を高々と上げると、どうっともんどりうって地面に倒れた。
しかしリシェルが空中に投げ出されるよりも早く、ディオスが追い抜きざまにリシェルの身体を抱え上げて、自分の黒馬に乗せた。
馬に乗った者も配置していたのだろう、両脇から二騎駆け寄ってきて、二人の乗った黒馬に槍を突き出してくる。
「くっ……!」
ディオスは手綱をリシェルに任せ、見事な剣捌きで応戦する。
突き出してきた槍を見切って、ディオスがむんずとつかんだのを見るや、リシェルが馬の向きを変えると、曲者は馬上姿勢を維持できず落馬した。
「でりゃあ!」
奪い取った槍をブンブン振り回し、もう一騎に肩口から叩き込んで落馬させる。
バカッバカッバカッバカッとデコボコだらけの獣道を縫って、ディオスの黒馬は森を駆けた。後を追ってくる者の姿は見えない。
騎馬の者は全員振り切ったようだが、徒歩の者が数人、残っているはずだ。
「森を抜けるぞ」
「ああ!」
リシェルが馬の向きを変えて走り始めた時だった。
「うわあぁっ!」
突然、馬の蹄が空を踏み、二人の身体が下に引っ張られた。
落ち葉に覆われた森の地面に見えたものは、落とし穴だった。
「リシェルっ!」
ディオスは空中でリシェルに手を伸ばして体の内側に抱きかかえた。
◇ ◇ ◇
ドスン!
という重たい音とともに、リシェルはディオスに抱きかかえられたまま、地面に叩きつけられた。
「うっ……!」
リシェルが身体を起こすと、そこは大人の男二人分ほどの深さがある落とし穴だった。
穴の中心部には、尖った杭が何本も突き立っており、ディオスの黒馬は哀れにも胴体を貫かれて絶命していた。
ディオスとリシェルは、幸いにも穴の端に落ちたため、杭に貫かれて死ぬのは免れたようだ。
「ディオス、大丈夫か」
「ああ……」
立ち上がりながらディオスに声をかけると、ディオスも身体から土を払いながら立ち上がった。
どうにかして這い上がらなければと頭上を見ると、穴のふちに人影が現れた。
大きなシャベルを持って、ドサッドサッと土を投げ込んでくる。
どうやら二人を生き埋めにするつもりのようだ。
「うわっ! きったねー」
卑怯であるという意味か、汚れるという意味なのか、どちらかわからないが、ディオスは太腿のベルトからナイフを抜き取って投げた。
「うっ!」
曲者はドスッと胸を貫かれて見事絶命した。
「……やれやれ。お前ホントよく狙われるな」
全員片付いたのか誰も現れないのを見ると、ディオスはため息をつきながら、身体についた土をパンパンと払った。
「だからそなたがいるのであろう」
「まあそうなんだが」
今回の曲者は多人数かつ訓練されていた。
──皇太后《おばあさま》の一族だろう。
兄のカルロは側室の子供で第一皇子、リシェルは正妃の子供で第二皇子だ。皇太后と側室は、同じ有力貴族、エトルスカ家に連なる者で、正妃の子供であるリシェルは、幼少期から命を狙われ続けていた。
カルロは心身ともに立派な人間で、すでに立太子の儀を済ませており、リシェルとて帝位を狙うつもりはまったくない。
それでもやはり不安なのだろう。差し向けられる暗殺者は一向に減らなかった。
表立って外戚であるエトルスカ家と対立するわけにもいかないため、対処療法としてディオスに守ってもらっている。
「いってー……」
服の土を払っていたディオスが、不意に顔をしかめた。
チュニックの脇腹に、血がにじんでいる。
「見せてみろ」
「いいよ、皇子様に手当なんかさせられっかよ」
「脇腹だろう、お前自身からは見えにくいではないか」
有無を言わせずディオスを地べたに座らせ、チュニックを脱がせて破れたシャツの前を開けさせると、ディオスの左わき腹には、ざっくりと斜めの傷がついていた。
「いててて……」
おそらく、木の杭に脇腹をかすったのだろう。さほど深くはないが、傷口はかぎ裂きのように醜く、ところどころに木のささくれや泥が入り込んでいた。
──私をかばったからだ……。
リシェルはかがみこんで傷口に唇を当てた。
ちゅうちゅうと汚れた傷口から木くずや泥を唇で吸い取り、ペッと吐き出した。
「なっ、何やってるんだよっ」
「勘違いするな、ただの手当だ。雑菌が入ると化膿するぞ」
「沁みる沁みる!」
そう言いつつも、唇から伝わるディオスの肉体の感触は、リシェルの身体を熱くしていった。
目を閉じて傷口に舌を這わせると、塩気のある血がリシェルの口内を潤した。
ディオスの胴体を支える両手からは、少し汗で湿った、引き締まった身体の厚みが伝わってくる。
否応なしに、身体を重ねたあの夜のことを思い出してしまう。
──ダメだ、私はあの時のことを覚えていないはずなんだ……。
ぴちゃ、ぴちゃ、ちゅう、ちゅうっ……。
膝をついて前かがみになり、ディオスの傷口を吸うリシェルの身体は、次第に火照っていった。
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