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第八話:皇子が役割を見失い、護衛が新たな道を見出すの事

「リシェル。そなたエトルスカ家との縁談を断ったそうだな」  宮殿の一室でリシェルと対面した父ロドリゴは、顎の長さで切りそろえた豊かに波打つ栗色の髪を持ち、口と顎に立派な髭を生やした、皇帝にふさわしい威厳ある風貌をしている。  何度もリシェルに暗殺者を差し向けてはディオスに始末された、外戚エトルスカ家は、今度はリシェルに縁談を持ちかけてきた。  暗殺できないのならば縁を結ぶというのは、確かに解決策ではあるのだろうが、権力を独占したいという正直な本音が透けて、リシェルは皇帝に無断で断ったのである。 「私は、帝位も欲しくありませんし、結婚もするつもりはありません」 「ふむ……」  ロドリゴは栗色の顎髭を撫でた。 「無理強いをするつもりはない。そなたが強情だということは、氏素性の知れない者を護衛に雇うと言った時に承知しているからな。ただ、結婚というのは投じる労力に対する便益という意味で、最も効率の良い『政策』である、というのは理解できるな?」  父たる皇帝は、君主としては有能である。  伝統ある隣国からリシェルの母親である正妃を迎え、有力門閥貴族であるエトルスカ家から側室を迎えたのも、効率を重視する発想のもとだ。  婚姻以外で「権力の正当性」を示し「隣国との融和」を実現し「資金」を得るには、遥かに多大な労力が必要だろう。 「……承知しております」 「さすれば、そなたは何によって王族としての務めを果たす?」 「兄上を、お助けしたいと思います」  兄のカルロ皇太子が帝位を継いだ際に、長年武芸と勉学に励んだ成果を生かして支えたい、リシェルはそう願っていた。 「そなたがカルロの役に立てば立つほど、それをよく思わぬ者が現れるであろう」 「では、どこぞの地方の領主にでも……」  カルロは結婚しているが、まだ子供はいない。確かに皇帝の弟が権力を持ちすぎれば、脅威に感じる者はいるだろう。 「……まあ、そんなところであろうな」  明らかに失望した顔をして、皇帝はため息をついた。  外で待っていたディオスに「次は兄上のところだ」と目を合わせずに声をかけ、大理石の廊下をカツカツと歩き出すと、黙ってついてくる靴音がした。  ディオスとは、先日言い争いをしてからあまり口をきいていない。  向こうからも、何も言ってこないし身体に触れてくることもなかった。  崩れそうな気持ちを立て直して兄の部屋を訪れると、笑顔で歓待された。 「リシェル久しいな! 元気そうで何よりだぞ!」  さわやかに切りそろえられた短髪、よく通る凛々しい声、堂々たる立ち居振る舞い……。兄のカルロは次期国王にふさわしい好人物であった。 「ええ、幸いにも生きながらえております」  皇帝との話で落ち込んだ気持ちも相まって、皮肉交じりにリシェルが返すと、カルロは悲し気に眉をひそめた。 「済まないな。私からも母上とおばあさまにはきつく言っているのだが、いかんせん知らぬ存ぜぬだからな……」  母方の実家がたびたびリシェルの暗殺を試みていることは、兄のカルロもとっくに承知している。  警告もしてくれているようだが、得てしてこうしたことは、家臣が主君のあいまいな言葉を忖度して勝手に動いたことになっているものだ。決定的に決裂でもしない限り難しいだろう。リシェルに兄を恨む気持ちはなかった。 「心得ております。兄上にご配慮いただいているというだけでありがたく存じます」  リシェルは社交的な笑みを浮かべて話を変えた。 「此度は、私の話ではなく、遠征に向かわれる兄上にご挨拶しに来たのです」  帝国の西部に位置する、ティエラモダ地方では、反乱が起きていた。  もともとこの地方は独立した小国だったのだが、二百年ほど前にこちらに侵攻したものの敗北して、当時の王家は帝国東部に小領主として転封、領土は併合されたのだ。  しかし国土は痩せており、王家に代わって領主として封じられた貴族も特段やる気がなかったため、ティエラモダ地方は貧しいままだった。  ちなみにディオスも、その一部を領土として与えられているが、リシェルの警護で忙しいため一度も赴いたことはなかった。  民の不満が溜まったのだろう、反帝国民族主義戦線なる団体が反乱を起こし、カルロ皇太子はその制圧のために遠征することとなったのだ。 「それは嬉しいな。そなたと共に戦えればもっとよいのだが」 「私もです」  リシェルはカルロが亡くなった場合の「スペア」だ。だからこそ狙われるし、ともに遠征に赴くことはありえない。 「そうだ。その件でディオス君に話があったのだ。彼を遠征に連れて行きたいのだが、どうだろうか」  カルロはパッと顔を輝かせて笑った。  ──え……。  思いもよらぬ提案にリシェルが言葉を失っていると、兄は曇りない笑顔で続けた。 「先日も、狩りで出くわした曲者を十人も倒したそうではないか。戦場でも活躍できるだろう。リシェルのみを守るのではなく、集団を率いることで経験を積めば、もっと素晴らしい軍人に成長できると、私は確信している!」  兄の瞳はキラキラと輝いている。  リシェルから腹心の部下を引き離そうとか、そういった発想ではなく、心底そう思っているのだろう。 「もちろん、不在の間、そなたの身の安全には私が責任をもつ! そなたが信頼できる者を、誰でも手配しよう」  武勇に秀で、強き者を好み、腹違いの弟にも公正に接し、身分の低い者でも実力があれば機会を与える……。それでいて、できないことはできないとはっきり線引きするのだから、王の器と言うよりほかない。 『もっともっと! さらに偉くなってやる!』  裸足で路上からリシェルを睨みつけた少年の眼差しが、脳裏をよぎる。  いつか、身分も財力もある誰かに、ディオスの能力が認められ、仕官することができれば……。  それはリシェルの願いでもあった。  しかし、こんなに早く、しかも次の皇帝に認められるチャンスが巡ってくるとは。 「……本人の気持ちに任せたいと思います。今、外におりますゆえ呼びましょう」  ディオスと入れ替わりに部屋の外に出たリシェルは、柱に腕で寄りかかって頭をついた。  ◇ ◇ ◇ 「ディオス。どうすることにしたのだ」  帰り道、馬を並べて歩きながらリシェルが尋ねると、低く、しかし落ち着いた答えが返ってきた。 「カルロ皇太子について遠征に行く」  ディオスの横顔は、夕日の陰になっており、表情をうかがい知ることはできない。 「……そうか。いよいよそなたの実力を見せる時が来たわけだな。武運を祈る」  リシェルの護衛には、ディオスが適当な部下を選んでおくことになった。まあ、主だった貴族が出征し、民族主義者が反乱軍に加わっている状態では、リシェルが暗殺される危険は、かえって少ないだろう。  喜ばしいことのはずなのに、リシェルの胸はちくちくする一方だった。  無性に馬を走らせたくなって、リシェルは馬に鞭をくれると、全力で走らせた。 「おい、リシェル待てよ!」  後ろから叫ぶディオスの声も、かえってリシェルの胸を苛《さいな》むだけだった。

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