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おかげさまで、どうにも寝付けない。俺はベッドの上に寝転がりながらも、ただ寝返りを打つだけ。とても無駄な時間を過ごしている気がする。
いつもの休日なら、カワイやゼロ太郎と他愛のない話をして一分一秒を楽しんでいるというのに。なんとも自分らしくない状況に、俺は声も出なかった。
ゴロリと、寝返りを打つ。額に腕を乗せて、目を閉じて、口を閉ざす。それから一度、ため息のように吐息を漏らした。
丁度、そのタイミングだ。控えめなノックの音が、扉から聞こえてきたのは。
「ヒト。入っても、いい?」
同じく控えめな様子で扉を開いたのは、カワイだ。おそらく、事前にゼロ太郎から『俺が起きているかどうか』を確認したうえで、扉をノックしたのだろう。
俺はすぐに起き上がって、扉の前でオズオズとした態度で立っているカワイを見た。
「うん、いいよ。おいでおいでっ」
「ありがとう」
やって来たカワイは、なにやら食器を持っている。
「ごめんね、ヒト。ゼロタローから『ヒトは全然眠れていない』って聞いたから。それでボク、前にテレビで『人間は眠れないときにあったかい牛乳を飲むといい』って見たのを思い出したんだけど……」
なるほど、納得だ。カワイがマグカップを持っているのはそういうことなのか。
どこまでも、優しい悪魔君だ。俺は笑顔を浮かべて、ベッドの上をポンポンと叩いた。カワイに『座って』と伝える意思表示だ。
「折角だし、お菓子でも食べようか。なにかあったっけ?」
「クッキーならあるよ」
「じゃあ、クッキーが食べたいな」
「そう言うと思って、実はここにお菓子を入れてきたよ」
カワイは俺の前でクルッと百八十度回転し、背中──服に付属しているフードを見せた。確かにその中には、クッキーの箱が鎮座している。
俺はカワイに向かって感嘆の声を上げて、拍手を送った。カワイは俺が座っているベッドの上に乗って、頷いている。
マグカップを受け取り、クッキーをつまむ。そうすると、マグカップを両手で持つカワイがどこか悲しそうな目で俺を見た。
「味、しない?」
「……そうだね。しない、かな」
ホットミルクの温かさや、クッキーの舌触りや食感。それらは分かっても、肝心の【味】は感じない。カワイはきっと、ホットミルクとクッキーが好きだから【味がしない、イコール、悲しい】と思っているのだろう。
それでも、食べていて感じられるものがある。だから俺は、カワイと過ごす食事の時間を不快に思わなかった。
「カワイが思っているより、俺は悲しくないよ。だから、悲しそうな顔をしないで? カワイの悲しい顔を見ると、俺もシュンッてしちゃうな」
カワイの頭を撫でて、どうにか笑ってもらおうと言葉を尽くす。
すると意外なことに、カワイから返ってきた言葉は──。
「──じゃあどうして、ヒトは悲しそうな顔をしているの?」
悪魔は、気を遣わない。それは楽しくなくて、悪魔の行動理念に反するから。不意に、以前カワイから教えてもらった言葉を思い出す。
俺は咄嗟に、それらしい言葉を紡いで誤魔化そうとも考えた。……だけど、それはできない。なぜなら俺は、かなり顔に出ているみたいだから。
苦笑しつつ「カワイには、敵わないな」なんて零して、俺はカワイの頭から手を離した。
「ちょっと、ね。子供の頃のことを思い出していたんだ」
「聴いてもいい?」
「楽しい話じゃないけど、それでもいいなら」
カワイが頷いたのを見て、俺は視線をマグカップに落とす。
「あの人──母親はね、ずっと前に再婚したんだ。人間の、男と。……その時に母親が俺に言った言葉を、思い出していたんだよ」
マグカップの中で揺れるホットミルクは、俺の顔を映さない。だから俺は、今の自分がどんな顔をしているのか分からなかった。
「──『悪魔との子を身籠ったなんて、彼には言えない。だから、お願い。陽斗との縁を切らせて』って」
母親との──……いいや、違う。
──【母親だったあの人】と、最後に交わした言葉。あの日を反芻する俺がどんな顔をしているのかが、俺には見えなかった。
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