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 マグカップを、ユラユラと小さく揺らす。そうすると必然的に、ホットミルクの水面が揺れた。 「子供の頃にさ、何度も考えてた。『もしも俺が産まれなかったら、母親は惚れた悪魔とずっと一緒にいられたのかな』って。……相手は刹那主義の悪魔だったらしいから、俺が産まれなくたってなにかしらの理由で飽きていなくなったかもしれないんだけどさ」  カワイは静かに、俺の話を聴いているらしい。……『らしい』と言うのは、俺がカワイを見ていないからだ。 「運動ができても、勉強ができても、どれだけ褒められても、周りの目が『だって陽斗は悪魔と人間のハーフだもんね』って言ってる気がした」  カワイを見られない俺は、焦りなのか恐怖なのか……。よく分からない気持ちに急かされるまま、言葉を溢れさせてしまう。 「母親が俺に笑顔を見せてくれたのは、俺が絶縁の申し出を受け入れた時だけだった。そして父親は、俺が産まれると同時にいなくなった」  こんな、楽しくない話。俺は全てを吐き出してから一度、強く強く、瞳を閉じた。 「……ごめんね、カワイ。これでもう、分かっちゃったでしょう?」  マグカップを、強く握る。ホットミルクの熱がじんわりと伝わるはずなのに、だけどそれが全然、分からなくて。 「本当は俺、全然スゴい奴じゃないんだよ。……いい奴じゃ、ないんだよ」  声が、震える。それは【泣いてしまいそう】なんて理由じゃない。 「ただ、抵抗する時間と労力を捨てているだけで。ただ、波風立てたくないだけで。ただ、ただ……っ」  俺の声が震えている理由を、あえて述べるのなら。たった一言で、片が付く。 「──ただ、そこにいることを許されていたい。俺はそういう、自分勝手な悪い男なんだよ」  ──【懺悔】。この二文字で、俺の気持ちは説明が終わる。  俺が可能な限り周りに気を配っているのは、間違いではない。だけどそれは、相手のためではなく自分のため。  俺は、怖かったんだ。母親に──あの人にされたように、近しい相手に距離を取られることが。 「綺麗事かもしれないけどさ。それでも俺は、綺麗な奴でいたかったんだよ」  俺がしていることは、善行じゃない。全て保身で、全て身勝手。そうと分かっていても、俺にはそれ以外にできることが分からなかったんだ。  誰かの役に立って、誰かに感謝をされて、誰かを笑顔にして……。そうしてようやく【追着陽斗には利用価値がある】と思われて、安心する。俺の言動を紐解いていくと、こんなものだ。  卑怯で、虚しい。俺は結局、ただの悪い奴──。 「──キレイでいたいと思う人間は、沢山いると思う。だけど、キレイでいようと努力をする人間は、少ないと思う」  ……俺の思考を、柔らかな音が止めた。 「ボクがネコだった時から、ずっとだよ。ヒトはすごく、すごく……すっごく、キレイな男」  カワイが、猫だった? いったい、なんの話だろう?  ……いや、今はそこをスルーしよう。きっと、本題はそこじゃない。  たぶん、本題はこの先。ようやく顔を上げた俺は、いまさら気付いたから。 「──ボクはずっと、ヒトのことが好き。性欲とか恋愛とか、そういう意味で。ボクはずっと、ヒトが好きだよ」  ずっと、カワイは俺を見ていてくれたのだ。ずっとずっと、カワイは俺を思っていてくれたのだ……と。 「もしもヒトの言う通り、ヒトが悪い男だったとしても。それでもボクは、ヒトを好きになったよ」  弱っているから、だろうか。こんなにも、カワイの笑顔が──言葉が、胸に染みるのは。  好き、と。カワイから贈られた言葉の意味を、すぐに理解できなかった。  それでも、胸の内から溢れた言葉がある。だから俺は、溢れてどうしようもないその言葉を、カワイに贈った。 「……ありがとう、カワイ。嬉しいよ」  その言葉を伝えると、不思議なことに。  マグカップ越しに伝わる温かさに、俺はようやく気付けた。

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