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カワイに身の上話を聴いてもらった、翌日の仕事終わり。俺は、直感していた。
──まずい。これは、本格的にヤバい気がする。……と。
職場にいる時は、虚勢と見栄でどうにかできた。運転だって、なんとかクリアできたのに。俺はマンションに着くや否や、まるで緊張の糸がプツリと切れたかのように【限界】を感じてしまった。
車から降り、もつれそうになる足を必死に動かす。駐車場からマンション内に入り、なんとかエレベーターまで辿り着いた。
嫌になるほど震えが止まらない指でなんとかエレベーターを操作し、俺は箱の中で忙しない呼吸を繰り返す。
[主様、主様っ]
スマホが、ポケットの中で振動している。珍しく、ゼロ太郎が必死に俺を呼んでいた。
エレベーターが目的の階で止まり、俺はなんとか箱から降りる。それからすぐに、俺はスマホを取り出した。
「ゼロ、たろ……。ごめん、命令しても、いいかな……」
[いかがなさいましたか、主様]
「カワイを、呼んで。ちょっともう、一人じゃ……っ」
言葉が、続かない。同時に俺は、冷たい床の上に膝をついてしまった。
視界が揺れて、まさに【前後不覚】なんて言葉がピッタリだ。全く嬉しくはないけど。
カワイに情けない姿は見せたくないけど、ここでこうして座り込んでいたらどのみち、ゼロ太郎がカワイを呼ぶ。他の住居者に迷惑をかけてしまうのは、一番避けたい。
カワイを待っている間、俺は目を閉じた。すると、頭上から俺を呼ぶ声が聞こえてきたのだが……。
「あれっ、もしかして……追着さん、っすよね?」
カワイの声では、ない。いったい、誰の声だろう。
俺は瞳を開いて、声が聞こえた方を見上げた。
「君は、えっと……?」
「糸場っす。カワイさんとはよく話しますけど、追着さんとは久し振りですね~」
ひさし、ぶり……? どこかで会ったことがある、ってことか? 俺はモヤモヤ~ッとした記憶の中から、この人の顔を思い出す。
……そうだ。この人は確か、俺がこのマンションを契約する時に居た【大家さん】的な人で……。
……駄目だ。頭が、働かない。俺は妥当な返事もできないまま、その場で項垂れた。
「もしかして、体調不良ですか? 肩、貸します? それとも、救急車の方がいいですかね?」
すぐに、大家さんが心配そうな声を上げる。それはそうだろう。目の前でこんな状態の相手を見たら、誰だってそうなる。
しかし、救急車は要らない。そんなものでどうにかなるなら、こんなことになっちゃいないのだから。
なにか、なにかを答えなくては。俺は必死に声を捻り出した。
「すみません……肩を、お願いします」
「肩っすね、いいっすよ~」
大家さんはすぐに、俺の上体を支えてくれる。遠慮の気持ちはあったが、厚意を無下にするのも忍びない。俺は素直に、大家さんの肩を借りた。
俺の部屋を当然ながら覚えている大家さんは、俺の歩く速度に合わせて一緒に歩いてくれる。その間も「ゆっくりでいいっすからね~」とか「もっと遠慮なく体重かけていいっすよ~」なんて言ってくれたけど、俺はなにも返せなかった。
曲がり角を進んだ、その先。不安定な視界に俺は、カワイを見つけた。
「ヒト!」
珍しく、声を荒げている。カワイは俺に駆け寄り、すぐに大家さんとは反対側の腕に近付いて、俺の体を支えてくれた。
「エツ、ありがとう。後はボクに任せて」
「大丈夫っすか? ガチで力が抜けた成人男性って、結構重たいですけど」
「たぶん大丈夫だけど、念のため、ベッドまでついてきてほしい。……ヒト。エツを部屋に入れてもいい?」
声が、出せない。だから代わりに、コクリと頷いた。
それと、ほぼ同時。きっと、カワイの顔を見て安心したからかもしれない。……俺の意識が、プツリと途切れた。
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