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 夢を、見た。それは俺が、実際に体験した【過去】だ。  あれは俺が、小学生の頃。たまたまその日は部活──野球部の練習が休みで、俺はいつもより早く家に帰ってきた。  小さくて狭い、古めのアパート。当時俺と母親の二人で暮らしていたその玄関扉を開けると、母親の声が聞こえたのだ。  母親以外の声も聞こえてきて、だけどそれは妙に電子的で。『スピーカーモードで誰かと通話している』と、俺はすぐに気付いた。  女の人の声だから、友達かな。そんなことを考えると同時に、俺はできる限り足音や物音を殺して部屋に進もうと思った。母親の通話の邪魔をしたくなかったからだ。  玄関扉を閉めて、靴を脱ごうとした時。通話相手の声が響いた。 『それにしても、意外よねぇ。アンタが子供に習い事させるなんて』  話題は、俺。気付くと同時に、思わず俺は動きを止めてしまう。  この時の俺は、母親との関係を『あまりうまくいっていない、もしかして母親に嫌われているのかも』と、マイナスな【仮定】で受け止めていた。  母親は一言、返事をする。 『当たり前でしょう』  その返事を聴いて、俺の心は浮ついた。当然のように肯定してくれた母親の声から、俺は『母親に愛されているかもしれない』と思ってしまったのだから。  だけど、この日を皮切りに──。 『──だって、そうすれば【あの子が家にいる時間が減る】じゃない。あの子とは、できるだけ一緒にいたくないのよ』  俺の人生は、徐々におかしくなっていってしまった。  母親の冷酷な言葉を聞くと突然、場面が切り替わる。気付けば俺は学校のとある教室で、担任の先生と野球部の顧問と三人で面談をしていた。 『陽斗君、ハッキリ言うね。……陽斗君は、プロ野球選手にはなれないのよ』 『大人になる前から、駄目なんだ。陽斗君は、甲子園にも出られない』 『悪魔はね、人間界でなにかを成し遂げてはいけないの。歴史に名が残るような大きなことを、しちゃいけないの』 『スポーツも、授業や遊びならいいんだ。だけどね、それ以上は駄目なんだよ。悪魔は元々、人間と体のつくりが違うから』  不公平。この言葉の意味を、初めて痛感した。  日常が崩れ去ったのは、母親の電話が始まりだっただろう。だけどたぶん、この面談が【終わり】の始まりだ。 『ありがとうございました、先生。早いうちに、ハッキリと教えてくれて』  笑って返事をする、当時小学生の俺。その笑顔と返事が、終止符だった。  なにかを、求めること。それをやめてしまったのは、この面談が始まりだった。  それでも俺は、野球部をやめられない。それは決して【未練があるから】ではなかった。  早く帰宅すると、母親が嫌がる。母親が怒って、悲しむから。あの電話を聞いてから、母親の態度は分かり易いほどに硬化し、酷くなっていったのだ。  ……またしても、場面が変わる。俺は魔力が足りなくなって、苦しんでいた。  その度に母親は、食べ物を与えてくれたけど。それでも、俺を放っておかない理由は【愛情】じゃない。  子供が死んだなんてことになれば、世間から好奇の目を向けられるから。母親は何度も何度も、俺にそう言った。  そして俺が【悪魔という理由で体調を崩す度に】母親はヒステリックに陥って、泣き叫ぶのだ。 『陽斗なんか生まれてこなければ良かったのよッ! そうすればッ、そうすればあの人はどこにも行かなかったかもしれないのにッ!』  あの人──それは、俺が産まれると同時に母親を捨てた、悪魔のこと。 『陽斗を産めば、あの人の心は完全にわたしのものになるはずだったのにッ! なのにッ、なのにあなたのせいでッ!』  普段はただただ冷たいだけの母親が、こんなにも強い感情を向けてくる。だけどこの【不調】が、俺の父親が悪魔だという確固たる証拠。  だから、俺にできることなんてひとつだけ。 『──ごめんなさいっ、ごめんなさいっ! 生まれてきてっ、生まれてきてごめんなさいっ!』  謝罪だ。俺は何度も何度も、母親に謝罪をした。  ……それからまた、場面が切り替わる。今度はかなり時間が経過したらしい。  それは初めて、母親が俺に頼みごとをしてくれた日の出来事。俺は母親に『お願いがあるの』と言われて、嬉しくて嬉しくて……本当に、嬉しかったんだ。  だから、なんだって叶えたかった。なにも為すことができない俺でも、せめて、母親の願いを叶えるくらいはしたかったんだ。  だけど──。 『お願い、陽斗。お母さんと──わたしと、縁を切ってちょうだい』  それは、あまりにも残酷な【お願い】だった。 『……えっ? な、なんでっ? どうして突然、いきなり、そんな……ッ』 『陽斗も知っていると思うけど、わたし、再婚するのよ』 『そ、そう、だね。いい相手ができたんだろうなって気は、薄々してた、けど……』 『あの人に、悪魔との子を身籠ったなんて知られたくないの』  母親は、俺に頭を下げる。普段は俺を邪魔者みたいに扱っていたあの母親が、大嫌いな俺に【頭を下げている】のだ。これがどれほど本気で、どれほど強い願いなのかは見て分かる。 『ねぇ、お願いよ。最初で、最後のお願い。わたしとの縁を切ってちょうだい』  そして、母親は続けたのだ。 『──だって、あなたのせいで失った幸せなんだもの。あなたが取り戻させるべきじゃない?』

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