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 笑顔のまま、彼はこの話題を続けた。 「今まで俺は、どんなに努力しても全部うまくいかないって思ってた。だから当たり前だけを目指して、平々凡々の生活を望んで、そこそこ器用に生きて……。そんな、面白味も無ければ希望も夢も無い男だったよ」  確かに、と。肯定を意味する相槌しか、瞬時には思いつかなかった。  彼の生き方は、彼が言った通りだ。彼は他者のために行動はしても、それによる見返りは求めなかった。彼は【今以上の環境】を、望んでいないのだ。  彼が望んでいるのは、あくまでも【現状維持】のみ。彼はそれ以上の未来を、誰にも望んでいなかった。  それでも肯定をしなかったのは、僅かばかりでも『今は肯定すべきではない』という答えを導き出したからだ。私は閉口して、彼が続ける言葉を清聴する。 「だけど、心変わり。相手が俺と仲良くなることを望んでくれるなら、俺だってそうしたい。俺はずっと、そういうものに憧れていたからさ」  言葉を区切った彼は、天井を見上げた。彼がその動きをする理由は、ひとつ。【私と目を合わせたい】と思ってくれた時だ。 「お互いが望むことを、欲しがるままにいくらでも。これからの俺は、そういう生き方を選んでみようかなっ」  やはり、笑顔だった。彼は私の発言に気を悪くするどころか、とことん嬉しそうだ。 「でも、ふふっ。嬉しいなぁ。こういうのを『愉快』って言うのかな」 [なにがでしょうか] 「初めて、ゼロ太郎から話題を振ってくれた。しかも、他愛もない雑談を」  メモリーを振り返ると、そうかもしれない。今まで自分の役目に沿った問いは投げかけたが、こうした【人工知能には関係の無い】質問は、初めてだ。  ようやく、合点がいく。彼がこんなにも、にこやかに笑う理由に。 「友達って言えるほど立派な関係の相手ができるかは、断言できないけどさ。でも、もう少しコミュニケーションに積極性を見せてみるよ」  彼が笑顔を浮かべた理由は純粋で、それでいて単純だった。ただただ、嬉しかったのだろう。人工知能──【私】からの問いが。 「融通が利かない堅物な人工知能と家族になるんだからね。人間と悪魔の友人くらい、できて当然だよね」  こんな軽口を叩くくらい、嬉しかったのだ。  キュル、と。私の中の、どこかのなにかが音を鳴らした。  その音がいったい、なんだったのか。それは、今の私にも分からない。  だが、今の私があえてこの音に名前や理由を付けるのなら。 [……【融通が利かない堅物】は、余計です]  やはり、それは【始まり】だろう。 「おっ! 今のいいねっ! なんだか、仲良し同士がしそうなやり取りだった! 家族に近付いたね!」 [具体的な感想をお願いいたします] 「えぇっ? 自分で分かんないのっ? ……まぁいいや! これからもその調子で、ビシビシとツッコミを入れてねっ!」 [かしこまりました]  こんなもので、いいのか。彼が望んでいるのは、こんなもの──。  ……否。彼が望み、焦がれているもの。それが、今のやり取りなのだ。【こんなものが】彼は良いのだろう。  少しだけ、近付いた気がする。巧くは言えないが、おそらくこれは【手応え】だ。彼が言語化できず、私に抽象的な言葉しか与えられない立場。  彼が望む【彼の家族になる私】というものが、ほんの少しだけ掠め取れた気がする。私はこの日、初めて【抽象的なもの】を理解できた。

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