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 着替えを終えてから、調べ事を再開。そこで俺は、天啓を得た。 「囁きボイスで癒される、か。……よし、実際にやってみよう」  思い立ったがなんとやら。俺はすぐにフローリングの上に正座をする。 「カワイ、俺の耳に今日の晩ご飯のメニューを囁いてくれないかな」 「ヒトは時々、ボクの想像を遥かに超えたことを口にするね」  でも、やってくれるらしい。カワイは俺の隣にストンと腰を下ろしてくれた。  それからカワイは、俺と距離を詰める。カワイの唇を、俺の耳元へ寄せるために。 「それじゃあ、囁くね」 「おうっふ。その囁きで既にヤバいけど、お願いします」  ふ、と。柔らかな吐息がかかる。初めての感覚に、俺の背中はゾクゾクした……気がした。  だが、本番と言う名のお楽しみはこれからだ。 「カボチャの煮物と」 「おぉ……」 「キムチと鶏肉の味噌煮と」 「ほぉ……」 「トマトとマグロのゴマ油和え、だよ」 「わぁ……」  ポソポソと、カワイが今晩の料理を囁く。色気もなにもない単語たちだが、なぜだろう。とても、すごく、すごい。堪らず俺は、正座をしたまま両手を合わせてしまう。  そしてすぐに、瞳を閉じた。頬になにかが伝っていると、感じながら。 「ありがとう、ございました……」 「ふふっ。どういたしまして」 「──おぉんっ! 囁き、マジですごい!」 [──きっ、気持ち悪い……!]  えっ、えぇ~っ? ゼロ太郎がこんなにドン引きしている声、初めて聞いたなぁ~。  それにしても……カボチャの煮物、と言えば。この前作ってくれた里芋の煮っころがしもおいしかったっけ。 「カワイ、カワイ~。カボチャの煮物、あーんってしてほしいなぁ~」 「うん、分かった。覚えておくね」  隣に座ったカワイをムギュッと抱き締め、あーんの約束。なんという癒しだろう。効果は抜群だ!  俺に抱き締められた状態のカワイは、俺を見てなにかを思ったらしい。少しだけ悩んだ様子を見せた後、ポツリと呟いたのだから。 「……ボクもヒトみたいに、嬉しくなっちゃうような癒しが欲しいな」 [では【主様に頭を撫でてもらえる券】を差し上げましょう] 「ゼロタロー、好き」  本人の預かり知らぬところでなにかが発券された。別にいいけどさ。  だけど、頭を撫でてもらえる……かぁ。理解すると同時に俺は、カワイを抱き締めたままポツリと呟いてしまう。 「──俺も【カワイに頭を撫でてもらえる券】が欲しいなぁ」 「──っ」  欲望が、ポロリ。当然、至近距離に顔があるカワイには俺の呟きなんて丸聞こえだ。  カワイの尻尾が、忙しなく振れ始める。それからカワイは、顔を少しだけ赤らめて呟いた。 「……うん、いいよ。ヒトが欲しがってくれるなら、なんでもあげる」 「なっ、なんでも……!」  そこで思い出される、草原君の言葉。俺はワナワナと体を震わせてから一度、その場で俯く。 「よく『可愛い君が悪い』的なセリフを目にするけど、俺はそんな言葉よりもこう伝えるべきだと思う。……カワイ、よく聴いてね」 「えっ? う、うん?」 「──可愛い、ありがとう」 「──ど、どういたしまして?」  物足りないなんて、とんでもない。むしろ、ありがたいくらいだよ。俺は静かに、恋人への感謝を募らせた。

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