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第6話

 昼間の疲れもあり、コソコソと他愛もない話をしていた四人だったが、そのうちに誰からと言うことなく無口になり、気が付くと全員が寝入っていた。  遠くに感じられていた母屋の大人たちの気配も静まり返った真夜中の事だった。  ふと、何か聞こえたような気がして小敏は目を覚ました。  朝まで手を繋いでいてと懇願していた玄紀だったが、自分から手を放し、手足を寝台いっぱいに存分に伸ばして無邪気に眠っている。  気になった小敏は、そっと上体を起こした。目の前には廊下との区切りに御簾が下ろされているが、心地よい夜風が入り込み、昼間の暑さを忘れさせる。  その御簾の向こうに、何かが動いたように小敏には見えた。 「小敏?」  起き上がっている小敏に気付いた文維が、煜瑾の手を握ったまま声を掛ける。 「文維兄上…、誰かが…外に…」  ジッと御簾の向こうを見詰めながら、小敏は返事をした。その様子が気になって、文維までも身を起こすと、過敏になっていた煜瑾も気配を感じて目を覚ました。 「文維公子?何かあったのですか?」  不安そうに声を掛けるが、文維は月明かりの中、穏やかな笑みを浮かべて煜瑾を安心させようとした。 「大丈夫。私が確かめて来ますから、侯弟はこのままお休みなさい」  密やかな文維の声は、とても大人びていて、煜瑾はホッとして落ち着いたが、それでも文維を握った手は放さない。 「煜瑾…侯弟」  困ったように文維は微笑んだ。 「小敏…。煜瑾侯弟の手を繋いであげなさい。外の様子は私が見てきます」  そう言われて小敏は煜瑾の方を振り返るが、どうしても外が気になるようで、迷っている。 「ならぬよ、小敏。こんな夜中に外へ出ては…」 「でも…」  どうしても外の様子が気になるらしく、小敏は体を起こして御簾の方へ近づいてしまう。 「あ!ほら…。馬場の中を西の森へ走っていく…」 「何だって?」  驚いた文維が立ち上がろうとすると、手を放すまいと煜瑾までが起き上がる。寝台に戻るように言おうとして、握る手の力強さと心細い顔つきに突き放すことが出来ず、文維は仕方なく煜瑾の手を引いた。 「ほら…文維兄上…あれ…」  小敏が指さす先を見ると、確かに白っぽい衣のようなものがヒラヒラと揺れながら、馬場を横切り西の庭園の方に吸い込まれるように進んでいるのが見えた。 「幽霊、かな?」  すっかり目が覚めたらしい小敏が、好奇心いっぱいの目で文維と煜瑾を振り返った。 「小敏…」  困った様子で文維が呟くと、おそるおそる煜瑾が口を開いた。 「確かめに…、行きましょう」 「煜瑾侯弟!」  驚いたのは、文維だ。とても、こんなに怯え切った煜瑾の言葉とは思えない。 「それが何者なのか、正体を見極めねば、小敏も私たちも納得できない…」  さすがに知的な少年だけのことはある。だが、文維と握った手にさらに力を込めて、煜瑾は続けた。 「でも…手は放さないで下さい」 「ねえ、どうしたの?」  ぐっすり寝入っていたと思った玄紀が、声に気付いて目を覚ました。 「幽霊だよ!幽霊が、西の庭園に向かってるんだ」 「え!」  ビックリして一瞬で目が覚めたのか、玄紀が寝台から飛び起きて小敏に駆け寄る。 「ほら、今、馬場の端に…」 「あ!木の間に白い物が見えた!」  多少なりとも寝ぼけているせいか、玄紀は今は恐怖よりも好奇心が勝るらしく、じっと西の庭園の方を見て、白い影が姿を消すと、小敏の方を窺った。 「行こう!」  小敏が言って大きく頷くと、つられたように玄紀もニコリと同意し、文維が振り返ると煜瑾も怯えを隠せないものの、その上品な口元を緩める。  4人の少年たちは、ソッと御簾を上げ、月明かりで見通しの良い廊下に出た。  (くつ)を履くと、小敏は玄紀と、文維は煜瑾をしっかりと手を繋ぎ、白い影が消えた西の庭園に向かって駆けだした。 ***  西の庭園に続く木立まで来たものの、4人は先に進むのをためらった。  雑木林のような木立の奥は真っ暗で、もはや白い影は見えない。月の光さえ届かない先へ進むのはさすがの冷静な文維も躊躇する。  その時だった。  ガサリ。 「!」  暗闇の奥で何かが動いた。  思わず音のする方へ駆けだしそうな小敏と玄紀の前を、文維が手を伸ばして妨げる。 「あ、アレ!」  玄紀が指を差した先には、白い影が(よぎ)った。  まるで呼ばれたかのように小敏と玄紀が足を踏み出す。文維は煜瑾の足元を気遣いながら、後を追った。  よく見ると、雑木林のように思えた木立の中にも、人ひとりが通れるような小路があった。  小敏を先頭に、ゆっくりと音を立てぬように慎重に歩みを進める。小敏と手を繋いだ玄紀が二番手で、その後を煜瑾が進むが、後ろにいる文維とはしっかりと手が繋がっているので落ち着いている。 「あ!」  小さな声を上げて小敏の足が止まった。  見ると、そこの視線の先には、瀟洒(しょうしゃ)で、思ったよりは小綺麗で大きめの四阿(あずまや)があった。  凝った飾り窓に囲まれた、上品な屋根の美しい建物だ。 「…ぁ…っ、…っ…て…」  4人の少年たちは息を呑んだ。  その四阿の中から、微かに声が聞こえる。風の悪戯などではなく、間違いなく人の言葉だ。 「…誰か、いる…」  そっと小敏が囁くと、他の少年たちもコクリと首を縦に振る。 「…っ…、うぅ…っ」  続いて、苦しそうな、呻き声のようなものが繰り返し聞こえる。  夫の顧参緯に見捨てられた紅蘭夫人が、寂しくて、悲しくて泣いているのだろうか。それとも…血みどろになった夫人の、断末魔の声なのか…。  煜瑾は真っ青になって震えているが、それでも気丈に前を見据えている。  玄紀は実際に声が聞こえたことで、恐怖よりも好奇心が勝ったのか、真剣な顔をして前を見ている。 「っ…て…、…に…」  まるで呪いの言葉のように、低く、引き攣れた言葉が、途切れ途切れに聞こえた。悪霊が迫りくるような切迫感がある。誰かが「紅蘭亭」の中に居て、小さな声で呟いているのだ。  文維もまた、難しい顔をして「紅蘭亭」と呼ばれる建物をジッと見詰めていた。 「う…ぅう…、う…っ、ん…」  すすり泣くような声だ。それが何者なのかは分からないが、「誰かが」そこにいるのは間違いないと、小敏たちは確信した。  どうしても気になった小敏は一歩足を踏み出したが、それを引き留めたのは文維だった。 「ダメだ、小敏。行ってはならない」

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