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第9話

「もちろんです。煜瑾は、本当に心がおキレイで、お優しい。羽小敏も子供のようにキレイな心を持っていて、優しいところもありますが、どうもまだまだ子供で、ぞんざいなところがあります」  文維がそんな風に冗談めかして言うと、煜瑾はクスクスと笑って、同じように口を開いた。 「申玄紀など、ぞんざいなところしかありませんよ」  二人は互いの幼馴染をネタにして、楽しそうに話を続けた。 「小敏ときたら…」 「玄紀など…」  文維と煜瑾はいつしか疲れも忘れ、声を上げて笑うほどに話を弾ませていた。 「あの子たちに比べたら、煜瑾はずっと大人で、繊細でイイ子ですよ」  そう言って文維が煜瑾の頭を撫でると、煜瑾は嬉しそうに笑っていた。 「こんなイイ子に悪いことをするモノなんていません。安心して、少しおやすみなさい。朝までには誰かが探しに来てくれるでしょう」 「はい…」  貴公子らしく、小さく上品な欠伸をひとつして、煜瑾は文維の胸の中で目を閉じた。 *** 「あれ?」  小敏が異変に気付いて急に足を止めたが、勢い余って玄紀は小敏を追い越してしまう。そのまま引っ張られるようにして、小敏は地面に倒れてしまった。 「小敏兄様!」  慌てて玄紀は小敏に駆け寄って抱き上げた。 「ごめんなさい、小敏兄様。お怪我は?」 「あ…っと、うん、大丈夫みたい」  小敏は玄紀の手を借りてゆっくりと立ち上がり、膝の辺りや掌の汚れをはたいた。 「小敏兄様…ここは?」  キョロキョロと周囲を見回しながら、玄紀は小敏に訊ねるが、小敏にも分からない。 「馬場から『紅蘭亭』まで、こんなに遠かったかなあ」 「来る時は、もっと近いように思いましたよ」  玄紀は急に不安になったのか、小敏の腕に掴まり、ギュッと身を寄せた。 「文維兄上たちの足音が聞こえない…」  小敏もまた、文維と煜瑾とはぐれてしまったことに気付いた。 「このまま真っ直ぐに進んだら、馬場に戻るんですよね」  暗闇の先に目を凝らし、自信無さげに玄紀は言った。 「そのはずだけど…。文維兄上と煜瑾が来ないのは変だよ」 「ま、まさか!幽霊に捕まったのでは?」  玄紀は震えながら振り返って小敏の反応を窺った。 「分からない…。怪我とかされてなければいいんだけれど…」  心配になった小敏は、今来た道を戻ろうとする。 「待って!待って下さい、小敏兄様!戻る気ですか?」 「だって、文維兄上と煜瑾が…」  小敏は駆けてきた暗闇を見詰め、玄紀はこの先に続く暗闇を見詰め、二人とも途方に暮れてしまった。 「少し休もう。待っていたら、文維兄上と煜瑾が追い付くかも」  小敏は仕方なくそう言って、二人はそれぞれ前方と後方を見張るようにして背中を合わせ、互いに支えるようにしてその場に座り込んでしまった。 「ねえ、小敏兄様…」 「なあに?」  さすがの小敏も疲れたのか、不安なのか、声に元気がない。 「あの白い腕…女の人の腕のようじゃなかったですか?」 「そうだねえ。でも、聞こえたのは男の人の声だった…。父上みたいに大柄の大人の男の人の声だった」  声でその人間を判別するのは武人に必要な技量だ。文官として科挙試験を目指す小敏だが、こういう点は武家の基本の能力として自然に身に付いている。  低く太い声は大きな体を連想させ、毅然として良く響く大きな声は決して身分卑しい者とは思えなかった。 「ですよねえ…。じゃあ幽霊って…何人もいるってことでしょうか…」 「……」  急に小敏は黙り込んでしまう。 「文維公子や煜瑾侯弟は大丈夫でしょうか」 「どうしよう…あの二人が捕まって『紅蘭亭』に連れて行かれてたら…。ボクのせいだ。ボクが幽霊を見たいなんて言ったから…」  そう言うと思い詰めた小敏は、突然心細くなり、膝を抱えて、シクシクと泣き出してしまった。 「イヤだなあ、泣かないで…。泣かないで下さい、小敏兄様…」  そう言って慰めようとする申玄紀の目もまた、涙で一杯になっていた。 「文維兄上や煜瑾に何かあったら、ボクのせいだ…」  素直な小敏は、自分を責めて涙が止まらない。  そんな風に責任感が強い小敏が可哀想で、一緒に涙ぐんでいた玄紀だったが、少しでも慰めたいと思い、気付くと小敏をギュッと抱き締めていた。  二人は抱き合ったまま、泣いていたのだが、しばらくすると疲れが出たのかウトウトとし始めた。 「そこに誰かいるのか」  急に大きな声が聞こえて、小敏と玄紀はハッと目を覚ました。  男の声だが、先ほど「紅蘭亭」から聞こえた声とは違う。また知らない「幽霊」が増えたのかと震えあがる。  恐怖にドキリとして、二人は互いを庇うように、ギュッと体に回した腕に力を込めた。 「公子は、おいでではありませんか」  今度は聞き覚えのある声に、小敏と玄紀は顔を見合わせホッとしたように笑顔になった。 「李豊さん!」  小敏が叫ぶと、木立の向こうに明かりが見えた。 「羽家の公子でございますか?申家の公子もご一緒ですか」  声を掛けながら、李豊が近付いて来る。目の前に明かりが見えると、玄紀は立ち上がり、大きな声を出した。 「李豊!ここだよ!羽小敏と申玄紀はここにいるよ」 「ああ!いらっしゃいましたか。羽家の公子、申家の公子、ご無事でしたか」  李豊の姿を見ると、玄紀は小敏の手を取り、立ち上がらせようとした。

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