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第11話

 宿舎へ戻ると小敏と玄紀はすぐに使用人たちに引き離され、互いに話し合うことも出来ずに少年たちはそれぞれの個室へ押し込まれた。  玄紀の背中から引き離され、屈強な使用人に抱きかかえられて自室に運ばれた小敏は、玄紀に運んでくれたお礼も言えなかったことが気になっていた。  (しばら)くすると、侍女がお湯を運びこみ、小敏の衣類を着替えさせ、顔や汚れた手足を洗ってくれた。  その侍女によると、文維と煜瑾は半刻ほど早く戻り、煜瑾には侍従の阿暁が朝までつきっきりになるそうだ。  玄紀にも、朱猫が見張りに付いているらしい。  物わかりの良い文維がもう出歩く心配は無いだろうし、一番心配な小敏はこの怪我でどこにも行けまいと最後には嫌味まで言われた。 「イジワルなこと、言わないでよ」 「真夜中にこんな騒ぎを起こして、私たちを寝かせてくれない公子がたの方がよほど意地悪ですよ」  年若い侍女は遠慮がない。  だが、確かに彼女の言う通りなので、小敏は申し訳なく思った。 「ごめんなさい…」  素直に謝る小敏に、言い過ぎたと思った侍女は、同情するように言った。 「怖い思いをなさったんでしょう?」  ハッと顔を上げて小敏は侍女の顔を見直した。 「知ってるの?」  仕方なさそうに侍女は肩をすくめて、腫れあがった小敏の足を水で冷やし始めた。 「そりゃあ、使用人の間では噂になっていますからねえ」 「どんな噂?」  あんな目に遭ってもまだ凝りていないのか、小敏が無邪気に身を乗り出す。 「あの西の森には、死んだ人が住んでいるんですよ」  あまりにも当たり前のことのように、侍女は言った。 「女の人?」  恐る恐る小敏が訊ねると、呆れたように侍女は答える。 「女の人もいれば、男もいますよ」 「そ、そうなんだ…」  そう言えば、「紅蘭亭」の窓から見えたのは女性の腕で、聞こえたのは男性の声だった、と小敏は思い出す。 「あのね、ボク…」  小敏が、自分が見たものを告白しようとした、その時だった。 「羽家の公子、お医者様ですよ」  部屋の外の廊下から、李豊が声を掛けた。 「はい!」  返事をして、小敏は気付く。 「?」  今、ここにいた侍女がいない。 「あれ?」  キョトンとしている小敏に、御簾を上げて入って来た李豊が不思議そうに声を掛ける。 「どうなさいました、羽家の公子?」 「侍女がいなくなったんだけど?」 「は?」  小敏の言葉に、李豊は驚く。 「侍女など、こちらに寄越してはいませんよ。まずはお医者様が先かと思いましてね」  言われて小敏は自分の手足を見る。すると侍女がキレイに拭いてくれたはずの手足は汚れたままだった。 ***  手足も洗い、捻挫した足も手当てを受け、念のためにと用意された薬湯を飲んで、やっと小敏は眠りについた。  小敏は、森の中を1人で走っていた。  振り返ると後ろは真っ暗なのだが、誰かが…、「何か」が追って来るのが分かる。  必死で逃げようと前を見るが、前方もまた暗闇で自分がどこへ向かっているのか分からない。 (助けて!父上、助けて下さい!)  必死で父将軍の顔を思い浮かべて救いを求める小敏だったが、この祈るような気持ちは将軍には届かないようだ。  何も見えないし、何も聞こえないのだが、小敏を追う「何か」は、すぐそこまで迫っているのが何故か分かる。  それが恐くて、怖くて、小敏は必死で逃げるのだが、もう「何か」は小敏の腕を捕えようとしている。 (イヤ~!誰か、助けて!)  その瞬間、小敏は「何か」に手首を掴まれた。 「いやあ~っ」  悲痛な悲鳴が響いたが、それが自分の声なのか、そうでないのか小敏には分からなかった。  痛いほど握られた手首を引かれ、小敏は「何か」に後ろから抱きかかえられた。  それは期待するような、小敏を守るためではなく、もっと邪悪な意図を感じさせた。 「放せ!放せよ!」  逃れようと小敏は力の限りに暴れるが、背後の邪悪な存在はビクともしない。 「イヤだっ!」  次の瞬間、小敏には信じられないことが起きた。背後から伸びた手が、小敏の帯に掛かり、一瞬の内に衣類が引きはがされたのだ。 「やめろ~!」  素肌に冷ややかな魔物の手が触れ、小敏はゾッとして大声で泣き叫んだ。 「ヤダ、やめてっ~!」  これほどの大声で助けを求めているのに、誰一人助けには来てくれない。このまま自分は殺されてしまうのかと、小敏は絶望し、ただ悲鳴を上げ、泣くことしか出来なかった。  そして、小敏は自分の身体が引き裂かれた気がして、その苦痛に意識を失った。 *** 「羽家の公子?」  目が覚めると、そこには世話係の李豊が心配そうに見つめていた。外はもう明るい。いつもと変わらぬ朝が来たのだと分かった。 「随分と、うなされておいででしたよ、羽家の公子」  そう言うと李豊は手にした布で、小敏の額の汗を拭った。 「朝でございますよ、羽家の公子。足の痛みはいかがですか?」 「ん…、大丈夫。とても怖い夢を見たんだけど…。なんだか恐いだけでなく、悲しい感じもした」  難しい顔をして、小敏は起き上がった。浮かない顔で俯いてしまう。その様子に、李豊が優しく声を掛けた。 「ご学友がお見舞いをしたいとお申し出ですよ。いかがされます?」  李豊に言われ、小敏が顔を上げると、廊下の御簾の向こうから3人が様子を窺っているのが見えた。 「公子がたは、こちらに朝食を運んで、羽家の公子とご一緒に召し上がりたいそうですよ。いかがなさいますか?」 「一緒に食べたい!ねえ、李豊さん、食事を運ばせて!」  仲間の顔を見てホッとしたのか、小敏は急に元気になって、廊下の3人を招き入れた。 「文維兄上!煜瑾!無事で良かった!」  顔を見るなり小敏は満面の笑みで手を伸ばし、文維に抱き付いた。 「怪我はどうです?まだ痛みますか?」  文維に言われて、小敏は元気な笑顔で首を横に振った。 「兄上が持たせたくれた、我が家の痛み止めがあるから、さっきお医者様にお渡ししておいた。あとで薬を塗って、包帯を交換してくれるそうだからね」  裕福な唐家が使う、高価な痛み止めも惜しげもなく供出し、心配そうに煜瑾も小敏の手を握った。 「ありがとう。…ボクが幽霊を見たいと言ったせいで、みんなに迷惑を掛けてゴメンね」  そして、隠れるように後ろにいた玄紀に気付いた小敏が、覗き込む。 「玄紀、昨日はありがとう。重かったでしょう?」 「ううん」  気まずそうにモジモジしている玄紀に、文維が近寄り、そっと背中を押して小敏の傍に行かせた。 「玄紀公子はね、ボクが怪我をして歩けないからって、()ぶってここまで帰ってきてくれたんだよ」  小敏は嬉しそうに言うが、玄紀は情けない顔をしていた。かと思うと急に、ギュッと小敏に抱き付いた。 「ごめんなさい、小敏兄様!私が手を引っ張ったせいで、兄様に怪我をさせてしまって…」 「玄紀…」  そのことをずっと気に病んでいたのか、玄紀はギュッと唇を噛み、悔しそうな顔をして小敏に縋りついている。  そんな幼馴染の様子に、煜瑾はそっと近寄り小敏と共に背中をさすってやる。 「あの白い影を確かめに行こうと言い出したのは私です。そのせいで小敏が怪我をしたのですから、私も謝らねばなりません」 「違うよ、ボクが!」  反駁しようとした小敏の目を見て、文維は黙って首を横に振った。それを見た小敏はそれ以上何も言わず、3人はギュッと抱き合った。 「みんなこうして無事で良かった」  小敏はそう言って、文維を見上げ、ニコリと微笑み合った。

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