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第3話 アイスティーの罠3

    *** 「バイトだめなら俺と付き合ってください。俺、あなたに一目ぼれしたんです」  初対面の日にそう言われた俺は、ただでさえ真っ白になっていた頭の中に、一体何を言っているんだ、こいつは? という疑問ばかり浮かんで何も言えなかった。どう見ても二十代の男が、四十五歳の男に付き合ってくれだと? 「あ、すみません。急でびっくりしますよね。先週、土野さんが公園で年配の女の人と話をしてるところを見かけたんです。そのとき、ちょっと気になったんですけど、声かけるチャンスなくて。それで昨日、土野さんが公園で話してた長井さんに偶然会って、土野さんの名前を教えてもらって。それで、ここの店長さんをやってて、最近すごく忙しそうだから、時間あるならバイトに入って手伝ってあげたら? って長井さんが言ってたから、来ました」  確かに、そろそろバイトを雇った方がいいと長井さんは何度も言っていた。いい人を探してあげるからともいっていた。だが、それならさっきの付き合ってくださいはなんなんだ? 「あら、千秋くん!」  背後から長井さんの弾んだ声がした。 「あ、寿美子(すみこ)さん。おはようございまーす」 「おはよう。さっそく来てくれたのね。稔くんに先に話しておこうと思ったのに」  うふふと嬉しそうに笑う長井さんは若返ったように生き生きして見えた。  長井さんの顔を見たおかげで強張っていた体がすこし楽になった。 「ほら、じゃあ、二人ともこんなところで立ち話もなんだからね、中で、ね」  長井さんにうながされ店のドアを開けると、千秋と長井さんは親し気に笑みを交わしながら入ってきた。 「寿美子さん、きょうも歩いてきたの?」 「そうよぉ、ちゃーんと毎日二キロは歩くの。稔くん、わたしいつものモーニングね。千秋くんは、ごはんはもう食べたの?」 「食べました。あ、これ、履歴書です」  白い封筒を差し出されて思わず受け取る。 「千秋くんね、年の離れたお兄さんがレストランやカフェを経営してらしてね、高校生の頃からお店でアルバイトしてたんですって。ね?」 「はい、接客は一通りできます。簡単なものだったら作れますし、覚えが早いと褒められたこともあります」  自信たっぷりなやつだ。長井さんの様子からしてすでに打ち解けてもいるようだ。人懐こくて誰にでも可愛がられるタイプなんだろう。俺とは正反対だ。  俺は千秋と目を合わせられないまま、咳ばらいをして、ぼそぼそと言った。 「じゃあ、履歴書を確認してから、連絡をするので」 「あらぁ、せっかく来てるんだから面接してあげたらいいじゃない。わたしのごはんは後でいいから。あ、でもホットミルクだけ先にもらえる?」 「いや、まだバイトの条件もきちんと決めてないから、面接と言っても」  ドアベルが鳴り、威勢のいい声が響いた。 「よーぅ、稔くーん、おはよー」  太鼓腹を揺らし大黒天そっくりの笑顔をふりまく不動産屋のご隠居、敷島さんだ。 「おはようございます」 「あら、敷島さん、きょうは早いのね」  テーブル席とカウンター席の間の通路に四人も立つと窮屈なほど小さい店なのだが、長井さんと敷島さんはそのまま話し込んだ。 「たまにはここでモーニングでも、と思ってね。お、なんだい、きょうは朝から若い子がいるね」  敷島さんが千秋に目を止める。千秋は爽やかな笑みで会釈して、長井さんが紹介した。 「アルバイトの子なの。稔くん、最近お昼休みも遅くなってたし、大変そうだからね」 「おお、そりゃいい。最近ずっと忙しそうだからなあ。なんだい、今日からかい。がんばりなよ」 「はい、採用決まったら全力でがんばります」 「え、なんだい、まだ決まってないの」 「いまから面接なのよ」 「おお、そうか」 「いえまだ、準備が」  勝手に進んでいく話に慌てて口をはさんだが、またドアベルの音がした。 「おはよー、稔くーん、サンドイッチ頼むわぁ、六人ね」  ぞろぞろと老人たちが入ってくる。近くの団地に住む常連の大木さんだ。シルバー人材派遣会社のスタッフジャンパーを小脇に抱えている。 「いやー、集合時間を間違えてね、七時かと思ったら八時なんだよ」  頭をかく大木さんに敷島さんが頷く。 「ああ、自転車の見回りかい?」 「そうそう。終わったらここで食べようかって話してたんだけど、時間あるなら先に食べとこうってなってね」 「あら、じゃあ早く出してあげなくちゃね。面接は後ね、千秋くん」  残念そうな長井さんに大木さんが千秋と俺を交互に見た。 「面接?」 「アルバイトなのよ」 「へぇー、だったら話するより、ちょっと働いてもらった方がわかるんじゃない。俺たちの分、その子に作ってもらってよ」  気軽になんてことを言うんだ。母だったら喜んでそうしたかもしれないが、俺は自分の手順通りにやらないとすぐに混乱してしまう。誰かに教えながらやるのなら、まず教える手順を作らなければなにもできない。 「いや、そういうわけには」  きっぱりと止めようとしたが、千秋が爽やかな笑みで朗らかに俺の言葉を遮った。 「あ、昼までなら大丈夫ですよ。手伝い程度ならできると思います」 「おお、頼もしいねえ」  待ってくれ、そっちが良くても俺が困る。思わず千秋を見ると目が合ってしまった。反射的に自分の眉間に皺が寄るのがわかる。睨んでいるわけではないが、人と目を合わせるとすぐに顔が強張ってこうなってしまう。最近はなんとか真顔で見つめることができるようになったが、こんな状況では表情を保てない。 「いいじゃない。ちょっとお手伝いしてもらって、続けられそうなら来てもらえばいいのよ。ねえ、千秋くん?」 「はい。役に立ちますから、よろしくお願いします」  千秋が俺の目つきなどまったく気にしていないかのように微笑んで頭を下げた。なんなんだ、こいつは。どうやって追い返せばいいんだ。迷ったところでまたドアベルが鳴り、たまにやってくるOL風の女性がきょとんとこちらを見た。 「あ、すみません、ええと」  敷島さんと大木さんたちはいつの間にか勝手に席についているから、いいとして。まず長井さんを席に案内して、千秋はとにかくいったん帰らせて、この女性へ席を勧めて、と考えた隙に千秋が女性ににっこりと微笑みかけた。 「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」  言いながら自分の上着とバッグを手早くまとめて俺を見る。 「で、いいんですよね? 店長」 「え、あ、ああ」  つい頷くと、千秋はまた女性に微笑みかける。 「すみません、ばたばたしてて。きょうはバイトのお試しってことで、仕事をさせてもらうんです」 「あ、そうなんですね」  女性は納得したようにうなずき、千秋をまじまじと見つめるうちに目が輝いてきた。 「えっと、が、がんばってくださいね」 「はい、失礼のないようにがんばります。よろしくお願いします」  初対面なのに友人に向けるような親し気な笑みを返す千秋に女性の顔は嬉しそうにとろけている。 「えぇっと、じゃあ荷物はあっちの事務室に置いたらいいわね。ね、稔くん?」  女性に負けず劣らずうきうきした様子で俺を見上げる長井さんに、俺は抵抗できずに頷いた。 「……はい」 「エプロンは予備があるわよね。あ、稔くんはお客様をお願いね。千秋くん、事務室はね、そこの衝立の裏なのよ」  俺が店の手伝いをする前は長井さんがた母を手伝っていたから、店の事は把握済みだ。  俺は諦めて、事務室に入って行く千秋の背中を眺めていた女性客を席に案内し、いつもどおりの接客ルーティンを開始した。

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