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第4話 アイスティーの罠4

 俺がいつも通りの手順で注文をこなしている間、長井さんは千秋に接客の流れを教えてくれた。千秋はあっという間に注文の通し方からレジ作業まで覚えた。明るくてきぱきとした接客態度も申し分ないレベルだった。  昼前には、長井さんはもう大丈夫ねと満足そうに帰っていった。昼のピークにはさすがに何度か手間取る場面もあったが、千秋は持ち前の愛嬌と要領の良さで乗り切っていた。おかげで俺は母がいなくなって以来、初めて営業中に飲み物と料理の提供に全力で集中できた。  十四時。いったん店を閉めて休憩に入った。仕事自体はいつもより楽だったが、千秋のことを気にしながらの仕事だったせいか、いつもより疲れている気がする。クローズの札を掛けて戻ってきた千秋は、疲れた様子もなく溌溂とした笑顔で厨房の整理をしていた俺に声をかけてきた。 「土野さん、ドア閉めてきました。大学行くまでまだ余裕あるから洗い物もやりましょうか?」  入ってこようとする千秋にカウンターの方を示す。 「いや、後でやるから、座って休んでください。賄いを作るけど、パスタは食べられますか?」 「はい。いただきます! あ、作ってるとこ見てもいいですか?」 「え、いや、疲れてるだろうから、座ってて」 「全然平気ですよ、あ、でも、邪魔なら座ってます」 「邪魔ではないけど、座っててください」 「わかりました!」  やっと離れていった千秋にほっとした。手早く今日のおすすめ品の春野菜のクリームパスタを作り持っていくと、千秋はカウンターに座ってスマホをいじっていたが、俺に気づくとすぐにしまって笑みを見せた。 「どうぞ」 「ありがとうございます! 土野さんも一緒に食べましょうよ」 「いや、洗い物を片付けておきたいから」 「えー」  わかりやすくがっかりした顔になる。従弟の家で昔飼っていた犬のようだ。誰にでも尻尾を振って愛想を振りまいて、相手にされないと悲し気な眼で尻尾を垂らしていた。そんな様子が可愛くて俺も犬が欲しかったが、父が動物嫌いで飼えなかった。大人になってからは動物を飼う余裕などなかった。 「……冷めないうちに、どうぞ」 「はーい……」  意気消沈したような返事だったが、食べ始めると笑顔が戻った。 「うまっ、お客さん食ってるの見てまじうまそうって思ってたけど、ほんとうまいですね!」 「ありがとう」  餌をもらった犬のように嬉々として頬張っている姿をずっと眺めていたい気がしたが、見ていては食べにくいだろう。  俺は厨房に戻って皿やカップを洗った。皿は食洗器でいいが、繊細なカップ類はどうしても手洗いが必要だ。ヒビや欠けがないかも確認しながら洗わなければならない。バイトを雇うなら物の扱いが雑な人間では話にならないが、千秋は食器の扱いも丁寧だった。接客能力も十分にある。華のある容姿は客の目も和ませてくれる。何より明るい笑顔と気さくな対応は母がいた頃の店のような温かい雰囲気を作り出してくれた。バイトとしては間違いなく良い人材だと思える。  しかし、気がかりなのは一目惚れがどうこうというあの発言だ。何かの冗談なのか、悪ふざけなのか。まずはそれを確認してからバイトの件を検討しよう。  厨房から出ると、千秋はほとんど食べ終わって水を飲んでいた。 「土野さんは食べないんですか?」 「後で食べます。コーヒーを入れますが、なにか飲みたいものありますか」  メニューを渡すと、千秋は嬉しそうに笑った。 「いいんですか、やったー。えーと、じゃあ、カフェオレで!」 「カフェオレですね」 「はい。さっきの頼んでたお客さんがここのカフェオレは今まで飲んだ中で一番うまいから絶対飲んでって言ってたんですよ」 「それはどうも」  試行錯誤して仕上げた商品を褒められるのはうれしい。  千秋は俺がカフェオレを淹れ終えるまでにこにこと見守っていた。 「どうぞ」  カウンターにカップを置くと、千秋は待ちきれなかったように口をつけた。 「あっつ、でも、うまいです。砂糖入れなくてもなんか甘いんですね、これ」  満開の笑顔が眩しい。俺は千秋の顔から少し目を逸らして切り出した。 「バイトの事なんですが」 「あ、はい」  千秋がカップを置いて居住まいを正す。 「千秋くんの仕事ぶりはとても素晴らしいです。バイト代やシフトが合えば働いてもらいたいと思っていますが、ひとつだけ確認しておきたいことがあります」 「なんですか?」 「……一目惚れとか、付き合ってくださいとか言っていたのは、何かの冗談だったんでしょうか?」  千秋はすぐに心外だとばかりに首を横に振る。 「まさか、本気の告白ですよ。あ、でもバイトで雇ってくれるなら付き合うのはいったん保留でいいです。俺の事知ってもらって、それから返事をくれればいいですから」  本気だと? 冗談だと言ってくれれば話は早かったのに。  どうすればいいんだ? 付き合うのは断るがバイトには来て欲しいなんて都合のいいことは言えない。だが、付き合うことを了承してバイトで働いてもらうのもどうなんだ? だいたい、なんでこいつは俺なんかと付き合いたいんだ? 「……君とは初対面です。何も知らない俺のことをどうして」 「一目惚れってそういうもんじゃないですか。それに、えーっと、土野さんは、桜は好きですか?」 「え?」  また何か変な事を言うつもりだろうか、こいつは。 「公園にある桜です。あれ、好きですか? 花が咲いたら綺麗だなって思って写真とったりしませんか?」 「……しますね」  そういえば毎年、花が咲くとなんとなく写真を撮ってしまっている。 「あの桜がいつからあそこにあるか知ってますか?」 「……俺が子どもの頃、たしかまだ小学校に入る前、だったかな。公園が整備されて、その時に」 「公園に植えられる前はどこで育ったか知ってますか?」 「前? いや、知りませんが」 「誰が毎年剪定して、手入れして、肥料の管理をしてるかは知ってますか? なんていう種類の桜で、何と何を交配させてできた桜なのか、知ってますか?」  なんなんだ、この質問攻めは。しかし、妙に真剣な眼をしているから無視できない。 「管理は市の管轄で、ソメイヨシノだということは知ってるが、そんな細かいことまではわかりません」 「土野さんは、あの桜のことをなんでも知ってるわけじゃないですよね。それでも毎年花を咲かせる姿に心が揺さぶられることってありますよね。それは普通の事ですよね」  そういう話か。しかし、元々がきれいな桜と人相の良くない中年男を同一視するのは無理があるような気もするが。 「あの桜じゃなくても、満開の桜がいきなり目の前に見えたら、気分上がりますよね? わー、綺麗だなーってびっくりして嬉しくなって心に残りますよね。その花がいつからどうやってそこに生えてるかとか全然知らなくても、見とれちゃいますよね」 「そう、ですね」 「俺、最初に土野さんを見た時、そんな感じだったんですよ。土野さんのこと全然知らないけど、見た瞬間に頭が真っ白になって土野さんのことしか見えなくなったんです。周りにいる人も景色も全部ぼやけて、土野さんがふわーって光って見えました。一瞬だったけど、本当にそう見えたんです。すげえ綺麗な人だなって思って。けど、そういう感動ってそんなに長続きしないじゃないですか。でも俺は土野さんが忘れられなくて、絶対また会いたいって思って公園うろついて、寿美子さんに会って土野さんのこと聞けて嬉しかったし、土野さんの店に来てまた会えた瞬間、俺は土野さんが好きなんだってわかったんです。だから一緒にいたいです。土野さんのこともっと知りたいです。受け入れてもらえるなんて思ってないけど、好きな気持ちはどうしようもないから、いまはただそばにいたいんです。でも、そういうのが迷惑だって言う気持ちはわかるんで、もしそうなら、一回だけ俺と寝てくれたらバイトは諦めます」 「……え?」

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