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第5話 アイスティーの罠5

 寝る? 文字通り一緒に寝るという意味ではないのはわかるが、なぜそうなる? 本気で俺のことが好きなんだろうか? それともやはり悪ふざけなんだろうか? まじまじと千秋を見つめると、千秋は真剣な顔で俺を見ていた。 「どっちがいいですか? 一回ヤッて付き合うかどうか決めるのと、俺がここでバイトしながら付き合うかどうか決めるのと。俺はどっちでもいいんですけど、土野さんはどっちがいいですか?」  言ってることは無茶苦茶だが、その目は嘘や冗談を言っているようには見えない。最近の若者の間ではこういうアプローチが好まれているんだろうか。本当に俺が好きなのか?  誰かに好かれるなんて初めてだ。鼓動がドクドクと強く脈打った。まずい、また発作が起きそうだ。俺は千秋から目をそらした。横顔にチアキの視線を感じる。息が苦しい。心臓がうるさい。だが、いつもの発作と違って体が冷たくなるのではなく、熱い気がする。  とにかくなにか言わなければと焦るが、なにを言えばいいかわからない。  誰かに好かれるなんて、しかも面と向かってそういわれるなんて初めてだ。だが、その気持ちをどう受け止めればいいんだろうか。  いや、どう考えても断るしかない。  バイトも寝るのも断ってしまえば終わる話だ。だが、断ればがっかりさせるだろう。従弟の家の寂しそうな犬の顔をふと思い出す。それがそのまま千秋の表情に重なる。そんな顔を見るのは嫌だ。 「……バイトで来てもらいたいとは思ってるが」  思わずそんな言葉が口から出てしまった。ちらりと視線を向けると、じっと俺の答えを待っていた千秋の顔に、ぱあっと明るい笑みが浮かんだ。 「わかりました! えっと、明日は午前中に講義あるんで、夕方からでいいですか。十六時ぐらいに来れば大丈夫ですよね?」  きらきらとした目で見つめられ、俺はぎこちなくうなずいてしまった。 「え、あ、ああ、はい」 「それじゃあもう時間なんで、俺、行きますね。あ、食べた分だけ洗っていきますから」  皿を持って厨房へ行こうとする千秋を慌てて止める。断ろうと思ったのに、何を言ってるんだ、俺は。早く訂正しないと。 「いや、いいよ。やっておく」  千秋の手から食器を取り上げると、 「そうですか、すみません。じゃあまた明日、よろしくお願いします!」  千秋は弾んだ足取りで春風のように颯爽と出て行った。  バイトには来てもらいたいが、付き合うとかそういう話は無理だと言いたかったんだが、止める間もなかった。俺は店のドアのカギを閉め直しながら、呆然としていた。  俺はまずいことをしたんじゃないだろうか。  バイトに来て欲しいというのは間違いなく本音だが、付き合うかどうかを考えなければならない状況になってしまった。  今まで女性ともまともに付き合ったことがないのに、一回り以上も離れているだろう男を相手に付き合うかどうかを考える? いや、考えるまでもなく答えは出ている。  付き合うなんて無理だ。千秋が男だというのも問題だが、それ以前に俺は人づきあいがあまりにも下手だ。接客対応は徹底的にマニュアル化し、常連の助けもあってなんとかなっているが、プライベートで誰かと一緒に過ごすなど、できる気がしない。  千秋をバイトに雇えないのは惜しい。長井さんもがっかりさせてしまうだろう。だが、明日、ちゃんと話をしよう。  今日は急なことが続いてうまく対応できなかったが、明日までにどういうふうに話をするか考えて、きちんと伝えよう。  そう決めたのだが、翌日は朝から店が込み合い長井さんとゆっくり話す時間が取れなかった。長井さんは千秋からバイトが決まったと聞いたらしく、これでやっと稔くんも楽になるわね、と喜んでいた。他の客の対応もあって訂正できずにいるうちに、サンドイッチのテイクアウト注文が大量に入った。  母の前職で世話になった人が午後からの会合で急遽必要になるということで、客の対応をしながら急いで準備をした。サンドイッチ作りで昼休憩は遅くなり、夕方の仕込みがずれ込んで千秋が来る時間になってもばたばたしてしまっていた。  千秋は店に来るなり俺が手間取っていることを察したらしく、俺が後回しにしていた食器洗いや片付けを率先してやってくれた。  おかげで 十七時からの開店は間に合ったが、バイトを断る件は切り出しそびれた。  時間が空いたら伝えようと思っていたが、千秋はすっかりバイトを続けるつもりで段取りをつけていた。  シフトに入れる時間やバイト代の振込に必要な口座を記したメモを渡され、寿美子さんから聞いたという店のルーティンもノートに取ってあった。  結局、言いづらくて困っているうちに千秋は帰ってしまった。  次の日こそ伝えようと思ったが、朝一で店にやってきた長井さんに稔くんも楽になって良かったでしょう、と心の底から嬉しそうに言われて否定できなくなってしまった。  こうなったら仕方がない。一週間ほどバイトをしてもらって、何か理由をつけてやめてもらおう。俺の都合だと言えば千秋も長井さんも納得してくれるかもしれない。  しかし千秋の働きぶりは優秀過ぎて、俺が一人でやっていた時よりもはるかに順調に店は回り始めてしまった。  そのままずるずると三か月が経ち、今に至る。  いっそ、このままでもいいんじゃないかと最近は思ってしまう。あれ以来、千秋が面と向かって付き合ってくれという話はしてこない。  距離感の近さやスキンシップの多さは気になるが、千秋の友人たちが何度か店に来たときの様子を見ていると、千秋はもともとそういう性格のようでもある。  このままうやむやにできるのならばそれに越したことはない。  そう思いながらも、千秋が俺を見る目にこもる熱は無視できない。

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