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第8話 メリークリスマス、明日も仕事です

 しんどい。  思わず、思わず舌を打ちたくなるほどに。  12月半ばを過ぎてから今日まで、目が回る忙しさに体力と精神が削られていくのがわかる。  自転車のペダルを軽く漕ぎながら見た流れる景色は色とりどりで、店に訪れた客も、道行く人だってどこか浮かれてる。走る車からは軽快な音楽が聴こえて、街全体がお祭りみたいな、それでいて甘い雰囲気を醸し出している。 「……クリスマスイブだもんな」  言って出たのはため息だ。  職業柄、仕方がないとわかっていても、毎年毎年この時期の多忙さには何かしらが削られる。加え昇格して初めての年末だ。知らず心が疲弊していく。 「あおさん、起きてるかな」  また、ため息が出る。  時刻は0時を少し回った頃。  案外に寂しがり屋のあの人の俺のいない夜の終わりはめちゃくちゃ早い。  通年通り、今日は帰りが0時を過ぎると伝えてある。 「仕事一段落ついたって言ってたしな……」  となると、手持ち無沙汰で21時にはベッドに入ったかもしれない。  はぁぁぁぁ、深く深く息を吐く。  腹に石を詰め込まれたみたいに体が重い。  吐き出してしまいたい何かが見えず、軽く頭を振った。  そっと、眠る人を起こさないように開けた玄関ドアの先、リビングから明かりが見えた。それが、あおさんの気遣いだと知っている。明かりのついたその部屋にあおさんはいない。  寝顔だけでも見たい。  そう思ってリビングではなく寝室に向かうために一歩を踏み出すと、その明かりの向こうから「おかえりー」と柔らかな声が聞こえた。  途端にドクンと胸が鳴る。  ズカズカと大股でそこへ向かう。  廊下との隔たりのないリビング、死角スペースに置かれたゆとりのあるソファに座るその人は目が合うともう一度「おかえり」と微笑んだ。柔らかな間接照明の中、目尻を下げ、ゆっくりと広角を上げて穏やかに。  瞬間、ダンと床を蹴る。  ソファに片膝を乗り上げて、洗いざらしの髪事その頭を抱きしめる。 「おつかれ」  あたたかな手にゆっくりと背を撫でられ「ただいま」を言えば甘やかにあおさんが笑った。 「メリークリスマス、りょう」  抱きしめた腕を緩め、あおさんを見る。 「寝てるかと思った」  言えばあおさんが小さく頬をかいた。 「たまには、起きて待ってようかなって。だって、お前疲れてそうだし……」  こうやって抱きしめてやりたいなって。薄っすらと頬を染めたあおさんのシャンプーの香りだけがする髪に顔を埋める。「癒やされた?」悪戯な声と体温に身を寄せているうちに腹の中の石がひとつひとつ溶けていく。 「……めっちゃ癒やされた」 「だろ」 「ありがとう、あおさん」 「ん、俺がしたかったことだからいい」  背に置かれた手が思い出したように上下して、そのまま頭を撫でられる。 「おつかれ、りょう」  おかえり、そう言って耳をなでた声が馬鹿みたいに優しい。 「腹、減ってない?」 「すげぇ減ってる」 「はは、うどん茹でるよ。温かいの食べて風呂入って寝な」 「……クリスマスなのに?」  俺の言葉にあおさんが言った「こんな時間だからうどんで我慢しろ」に首を振って口の端を上げる。その仕草に意図を汲み取ったらしいあおさんが目を見開いた。 「だめだからなっ!お前は明日も仕事だろ!!」  ガバリと勢いをつけて体を引き離される。  されるがまま距離を開けて、あおさんを見る。 「あおさん」 「なんだよ」 「一緒に風呂入りたい」 「やだ」 「あおさん」 「なんだよ」  視線を合わせたまま、あおさんに近づいて、耳元で「一回だけ」と強請る。  そのまま、色づいた耳朶を甘噛むとあおさんが小さく身を震わせた。 「ね、あおさん」  駄目押しでもう一度。少しだけ声を低くして。  首筋に唇を這わせ啄むようにキスをするとあおさんがそっとそっと頷いた。  メリークリスマス、明日も仕事ですけど。

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