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第9話 早くシャワーを浴びてこい @あおさん

 窓から差し込んだ日差しが次第に影を落とし始め、部屋はソファに寝そべる俺ごとゆっくりと黄丹に染まる。 「17時に帰るから」  朝、家を出る前にりょうはそう言った。  開けた玄関ドアから冷気が這って、思わず身を抱きしめた俺に片頬だけを上げて。 「腹の中、空っぽにしといて」  わざと、わざとだ。  俺の好きな低音で。  体から芯が抜かれたみたいにふにゃふにゃになる、あの声で。  ふっと、笑ったりょうは俺がいってらっしゃいを言う前に行ってしまった。  あいつの香水だけがそこに残って、それが自分を纏う。たまらなくなって、その場に蹲った。だめだ、今日は、年越しのための準備をする予定で。りょうが帰ってくるまでに、軽く掃除機もかけて。そのために年内の仕事は昨日で全て終わらせたんだ。  なのに、 「……力、入んなくなった」  クソガキ、吐き出した悪態は誰にも届かずにひんやりとした空気の中に消えていった。    夜を感じて自動点灯に設定している部屋のライトが灯った。それに連動してカーテンがゆっくりと閉まる。それを眺めながら、寝返りを打つ。  そもそも、だ。  りょうとの普段のSEXに挿入は伴わない。  はじめて体を重ねた日の翌朝、ベッド上で動けないでいる俺を見て「二度とあんたに挿れない」と言い出した案外に頑固なりょうを、何とか説き伏せて、最終的に押し倒して‘のっかった’のは一緒に暮らし始めてすぐの頃だ。  そこから、二人のあり方を手探りで探してきた。  キスも愛撫も穏やかな、洗いたてのフカフカのバスタオルに包まれるみたいな、ずっとふわふわとした日常の延長に位置する触れ合うだけの行為が性に合ってると思う。  だから実のところ、りょうを自分の中に招き入れたのは数えるほどしかない。  なのに、だ。  なのにこんなに腹奥が疼くのは、その行為が自分に与える快楽をイヤというほど知っているからだ。大げさでもなく髪の先から足の先まで食まれ、大きな手に体中を撫でられる。激しさのないゆるゆるとした長い愛撫に根を上げるのはいつも自分の方ですらある。 「ねちっこいんだよ、クソガキのくせに」  絶対にあんたを傷つけない。そんな思いが伝わってくる。激情のない、けれど確かに存在する欲情を長い時間かけて流し込まれる。  あんたが好きだ、と紡がれる声を思い出して小さく身が震えた。  ギュッと膝を抱いた俺に時報が17時を告げた。  はぁ、吐き出した吐息が熱い。  買い物は早々に諦めて、宅配された食品類はついさっき冷蔵庫に押し込んだ。おせちが届くのは明日の夕方。  思いながら、そっと、腹部を撫でる。  シャワーは済ませた。あいつの願い通り腹の中にはなにもない。  キュッと腹奥が疼いた。  多分、あと10分もしないうちに帰ってくる。  帰ってきて、きっと朝と同じように片頬だけを上げて「待ってただろ、ずっと」そう言って笑うだろう。 「……クソガキ」  そっと目を閉じる。  早く、帰ってこい。  思いの先で玄関ドアの解錠音が聞こえた。

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