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第0.1話 はじまりのはじまり
思えばはじまりは暑さの中で、終わりは先の見えない寒さの中だった。
まだ見えない終わりの憂いを知りもしないで。
心が粉々になるような悲しみがあるとは思わずに。
ただひたすらに、ただ一度の出会いに縋り付いていた。
「なんで勝手に決めんだよ!」
高三の春の終わり。
半年前にはじめたスーパーのレジ打ち必須アイテムエプロン(制服)を握りしめて、かーちゃんに吠えた。台所で名前の知らない魚の頭をダンと勢いよく切り落としたかーちゃんの顔は見えない。小さいのに圧の大きい背から若干の怒りが滲んでいることには気がつかないふりをした。一歩でも引いたら負ける。負けられない試合がそこにあった。
「家庭教師なんて必要ねーし、時間もねーって言っただろ!」
エプロンにはデカデカと『スーパー坂上』と書かれている。俺が必死で掴んだ唯一の綱をかーちゃんは、容易く離せと言ってのけた。割引の惣菜をあんなに嬉しそうに受け取っていたくせに。あんたがスーパーでバイトしてると助かるわなんて喜んでたくせに。たかが成績が地を這ったくらいで「バイト辞めろ。勉強しろ。家庭教師頼んだから」だなんて。
「もう来てるってなんだよ! 」
帰宅と同時に「部屋で待ってもらってる」と告げられた驚きで、断ってくれよ!と吠えた俺にかーちゃんの肩が震えた。
ズパンと最後の頭を切り落とした包丁を持ったままゆっくりとこちらを振り返ったその顔が怒りですごいことになっている。
「本分を全うする努力が出来ないその頭を切り落としてこれと入れ替えてやろうか」
これ、言ってかーちゃんは後ろ手に魚の頭を持ち上げた。片手に包丁、片手に魚の頭。中々になかなかな状況に怯んで思わず一歩後ずさる。
「さっさと部屋行ってさっさと勉強しな。さもないと……」
言いながら振り上げられた魚の空な目と目が合う。チラリとみたかーちゃんの目には怒れる炎が轟々と燃えていた。
クソ! とはとてもじゃないけど言えない。
心の中で盛大に文句を言って階段を駆け上がる。
こうなりゃ自分で断って家庭教師の先生とやらには速やかにお帰りいただく。
週3で17時からお勉強なんてやってられない。こちとら週4で17時半からバイトなんだ。
意気込んで開けた自室のドアの向こうに、縋った綱を簡単に手放すことになるその人が微笑んで立っていることなんて、その時はまだ知りもしなかった。あまりの衝動に階段を転げ落ち、半泣きでかーちゃんに抱きつくことになるなんてことも、まだ。
ただ、はじまりの夏のあの動悸を抱えながら人生を賭けた運命をなんとか手中に収めようと、必死にもがくであろうことだけはなんとなくわかっていた。
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