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第13話 シロクマさんとツキノワグマさん

「お疲れ様でしたー。お先にー」  店内に残る数名のスタッフに声かけると「え帰っちゃうんですか」とブーイングが飛んでくる。「カット練習付き合って下さいよぉ」半泣きの後輩に「今日は無理」と片手を上げて店を後にする。  雪は随分溶けたと言っても、日陰部分は氷として残っていて、暗闇で街灯を反射してテラテラと光っている。  滑らないように慎重に、けれど速る気持ちで小走りに駐車場に向かう。  昨日の雪の影響でキャンセルが重なって店は随分と暇で、ラストオーダー時間に閉店する事になった。20時前に店を出るなんて年に数回あるかないかで、プラス数分もすればあおさんに会えるという事実にテンションが上がる。  店の向かい、横断歩道を渡った先にある店専用の駐車場に車を停めたとメッセージが入ったのは20分程前の事。  ここからでもあおさんの黒のチェロキーが見えて、それだけですでに彼に焦がれている自分に苦笑する。  この瞬間、止まれを指示する信号にすら焦れる。 「片瀬くん!」  不意に名前を呼ばれそちらを見ると、小走りにこちらにやってくる先輩がいた。 「駅行くの? よかったら送るけど」  微笑んだ彼女を見てポリポリと頬をかく。そのタイミングで信号が変わって、一歩踏み出しながら首を振ると先輩は不思議そうに俺を見た。 「迎えに来てもらったので」 「あ、そうなんだ。じゃぁ、大丈夫だね」  ニコリと笑みを作った先輩が「にしても寒いね」と息を吐く。  夜の色に吐息が白く溶けた。 「ですね」  形だけ相槌を打って、横断歩道を渡り切る。駐車場出入り口付近に停められたあおさんの車の前まであと少し。  そこで、車中のあおさんと目が合った。  俺を見て、その視線がゆっくりと隣の先輩を捉えた。  スッと目を細めたあおさんが徐ろにドアを開けて、車を降りた。  深青に浮かぶ橙の明かりの中、そこだけがまるで発光してるかのように色が浮き出る。  それに息を飲んだのは隣の先輩だった。 「りょう」  穏やかな声音で名前を呼ばれたあと「おかえり」とかけられた言葉に「ただいま」を返すと先輩が「あ、片瀬くんのお兄さんですか?」とあおさんに聞いた。 そう聞かれ、当の本人はとろりと微笑む。  否定も固定もせず、けれど有無を言わせないその見惚れる表情に先輩が答えを求めることはなかった。  あおさんは、自分がどんな表情を作れば相手がどんな反応をするのかよくよく心得ている。相手を黙らせるのに効率的に自分の顔を上手く使うそれが、あおさんがこれまでの人生で身につけた処世術だと知っている。  街灯の下、彼女の頬が色付いたのがわかった。 「りょうがいつもお世話になっています。よかったら送りますよ」  ふわりとした雰囲気をまとい、煮溶かした砂糖みたいに笑うあおさんにハッとした先輩が「だ、大丈夫です!く、く、くるまで来たので」  じゃぁ、私はここで!ギクシャクと先輩は車に走り出した。  それを見てあおさんの顔が怪訝に歪む。  今の今までそこにあった壮絶なる美は途端に消え去り、じとり俺を睨むあおさんは普段通り。 「寒い。さっさと帰るぞ」  早く乗れよ。言いながらさっさと車に乗り込んだあおさんの後に続けと車のドアを開けた時、駐車場一番奥にいる先輩が俺に向かい手を振ったのが見えた。 「片瀬くん!また明日!」  聞こえた声に会釈して、車に乗り込むと左隣のあおさんが小さく舌を打った。 「昨日の先輩ってあの子だろ」 「うん」  ブスくれた恋人がバックミラー越しに俺を睨んだ。  シートベルトを占めながら、俺はその横顔を見つめる。 「明日の話題はあおさんのことだよ、きっと」  言えばフンとこちらを向いた彼が「だといいけどな」とエンジンをかけた。  ムカつく、形のいい唇がそう象って、車は発進した。  色とりどりのライトが流れる中、ハンドルを握るあおさんの膝に手を置く。 「あおさん」  ブスリとしたまま「何だよ」と唇を尖らせたあおさんに限界を感じた。  スッと彼の膝上の手を滑らせる。柔らかで、もこもことしたそれは彼の身丈全身を覆っている。  限界だった。  いや限界は等に超えていて、よく我慢したほうだと自分で自分を褒めてやりたい。  上等な感触を楽しみながらぶはっと吹き出す。そこから笑いは止まらなくなった。 「あ、あんたなんでそのかっ、こう」  ヒーヒーと息継ぐ間もなく襲う笑いに、涙がこぼれる。 「車から降りる予定がなかったからだよ!」  お前のせいだろ! 前を向いたままあおさんがペシンと俺の手を叩いて払った。 「だ、だからって、」 「笑うな!めちゃくちゃ可愛いだろ!」  それにあったかいんだよ!!  赤信号で車が止まる。  あおさんが、勢いよくフードを被った。  額をすっぽりと覆うデカいフードの上の耳が形良くあおさんの頭を飾る。 「シロクマさんだぞ!」  プンスコ。  そんな擬音が聞こえてきそうなあおさんの頭からフードをどける。 「確かに、可愛い」  覗き込んでそう言えば、可愛い人がべっと舌を出した。 「すげぇ手触りいいな、このシロクマさん」  「だろ! お前のはツキノワグマさんにした」 「……ぜってぇ着ねぇからな」 「はっ!?着ろよ!!めちゃくちゃあったかいから!!」 「嫌に決まってんだろ!」 「ふざけんな!これで写真撮るって決定事項だからな!!」

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