4 / 33

第4話

 隆也との約束の日。朝から雨が降っていたが、昼過ぎには止んで陽が差してきた。蒸し暑く不快指数はかなり上がっていた。  今日の場所は、駅前の雑居ビルにある、海鮮がうまいと評判の居酒屋にした。週末ということもあり予約して正解だったと真嗣は思った。店の入り口付近には十人近くが並んでいた。  店の中に入り、予約していた高倉です、と店員に伝えると、半個室の一つから 「マサツブ。こっち、こっち」  と隆也の声が聞こえた。店員は真嗣にごゆっくりどうぞと言った。 「お疲れ。今日は暑すぎ。先に飲んでるぞ」 「あぁ。俺も生中にしよ。なぁ、今マサツブって言っただろ」  隆也は素知らぬ顔で、ビールジョキを傾けた。真嗣はジャケットを脱いで、壁にあるハンガーにかけると、店員に生中を、もう無くなりそうになっている隆也の分と二つ注文した。  真嗣は腹減ったと言いながら、メニューを隆也と一緒に見た。 「うわっ、ここイカソーメンあるじゃん。俺さ、イカ大好きなんだよねぇ」 「それで、その髪型?」  真嗣は頭の上で両手の指先を合わせて三角を作った。 「うっせぇな。今日は湿気がひどいから癖毛がひろがるんだよ…ったく、マサツブの仕返しだな、お前」  笑いながら隆也はそう言うとズボンのポケットから黒のヘアゴムを出して、縛った。もみあげあたりの縛りきれなかった髪が首筋に垂れ、それが妙に色っぽかった。 「イカソーメンとイカシュウマイもあるし、めっちゃいい店じゃん、ここ」 「店の良し悪しをイカで判断するのかよ、お前は」 「ふん。悪いか」 「悪、イカ」 「くだらねー」  二人は顔を見合わせて笑った。真嗣は偶然ファミレスで隆也と出会って、今日でまだ二回目なのに、もうずっと前からの友人であるかのような錯覚を覚えた。  生中を持ってきた店員に、隆也は 「ここのメニューでさ、イカソーメンとシュウマイの他にイカの料理って何があるの?」  店員はメニューのページをめくりながら言った。 「イカと大根の煮付けとイカのリングフライと後はイカ飯ですね…あぁ、でもイカ飯はまだあるかな」 「いいねぇ。じゃあ今言ったの全部ね。あっ、真嗣お前イカ食べられないって言うなよ」  真嗣は嬉しそうに注文をする隆也がなんだか可愛く見えた。 「じゃあ、お疲れ。乾杯」  冷えたビールが喉を通ると、思わず声が出た。 「お前、本当いい店知ってるな」 「たまに、会社の奴らと来るんだけど、こんなにお前にハマると思わなかったよ」  たわいもない話しをしていると、隆也は壁に掛けられた真嗣のジャケットが気になるようだった。 「なぁ、お前のジャケット…いいな」  真嗣は心の中で、ガッツポーズをした。昨夜、明日は隆也と会うからと、一番のお気に入りのジャケットを洋服タンスから引っ張り出した。デザイナーの隆也の前では、少しおしゃれをしてみたかった。定時で退社する真嗣に、デートかと何人かが冷やかした。 「ちょっと見せてよ」 「ほどいてバラバラにすんなよ」 「ちゃんと、縫製するから…」  隆也は前身頃のポケットや裏側をつぶさに見た。 「なぁ、ちょっと着てみせてよ」  隆也はそう言うと、ジャケットを真嗣に渡して、鞄の中から、クロッキー帳と鉛筆を出した。腰のポケットが八の字に傾いて配置されたシャープな見た目で、長身の真嗣にはよく似合っていた。 「基本はポケットに物は入れないけどさ、もし入れるとしたら、お前だったらどうする?」 「そうだな、表地にひびかないように裏側で工夫するかな」  話しながらでも、隆也は鉛筆を走らせてあっという間に正面、横、背面と描き上げた。 「この間のクライアントがどうのって言ってたデザイン?」 「そう…ポケットがいまいち決まらなくてさ…サンキュー」  真嗣がジャケットを脱ぐと、先程の店員がやってきてイカ飯はもう売り切れてしまったことを伝えた。代わりに大将からのサービスと言ってイカの塩辛に大根おろしを添えた小鉢をテーブルに置いた。 「うわぁ。塩辛じゃん、ありがとう」  その後、次々に頼んだイカ料理が運ばれてきた。 「お前、幸せそうに食べるな」 「当たり前だ。うまい酒とうまいイカがあるんだ」  真嗣は、美味しそうに食べる隆也を見て、たまたま思いついただけだったが、この店にしてよかったと心底思った。ビールから冷酒にした頃は、二人とも上機嫌になっていた。 「お前はさ、なんでパタンナーになったわけ?」  突然、隆也が聞いてきた。 「俺は本当はさ、デザイナーになりたかったんだけどさ…」  そう言って隆也の顔を見た。 「…致命的にさ、絵が下手くそなんだよ」  と言うと、二人で爆笑した。 「だからさ、自分のイメージが伝わんないんだよね。でも、服作りには携わりたいから、学校の先生の勧めもあって、パタンナーになった」  真嗣の家は地元では有名な造り酒屋だった。そこの長男として育った真嗣は、親からは跡を継ぐのは当然のように思われていた。多感な年頃になると服装にも興味を持つようになり、元々手先が器用な真嗣は自分で服の裾や袖を切っては自分なりのアレンジをしていた。高校三年の時の進路相談で、真嗣は服飾関係の仕事をしたいと初めて両親に告げた。父親は猛反対であったが、祖母と母親は賛成はしないまでも、真嗣の思いを受け止めてくれた。早くに夫を亡くして女手一つで切り盛りしてきた祖母には父親も頭が上がらなかった。真嗣には二歳下の弟がいたことも強い反対には繋がらなかったようだった。ただ、親戚への手前もあり専門学校ではなく、大学と名がつく学校ならと条件がつけられた。希望の大学にも入学でき、弟から自分が跡を継いでもいいと言ってくれたおかげで、大学を卒業しても服飾関係の仕事に就けると喜んだが、どうせなら知名度が高く両親も黙らせることができる会社に就職しようと思い、努力を重ねて『さくら』に入社した。母親は『さくら』の内定を受けると喜んだが、父親とは高三の進路相談をした時から、今も気まずい関係が続いていた。 「俺さ、今はベルクージャにいるけど、いつかは自分のブランド立ち上げたいんだよね…まぁ、デザイナーなら誰しも思うことなんだけどさ」  だいぶ酔いがまわっている隆也はうっとりとした顔で言った。真嗣はその顔を見ながら優しく言った。 「お前なら、絶対できるよ…絶対大丈夫だよ」 「なんだよ、優しいこと言うじゃないの…じゃあ、俺がそうなったら、お前をパタンナーとして雇ってやるよ」  真嗣はその時、人を食ったように生意気でビスクドールのような美しい顔のこの青年に賭けてみたくなった。 「本当に俺を雇ってくれるんだな」 「あぁ。本当だ。時間はかかるかもだけどよ。お前、待ってられるか」 「もちろんだよ」 「じゃあ、浮気すんなよ」 「俺は一途だ」  隆也は正面切って言った真嗣の言葉に嬉しさと照れもあり、コップの冷酒を一気に空けた。 「ここで、お前に就職試験だ。この間のお前が風を纏っているって言ったあの服は、お前ならどうする?」  隆也は酩酊状態に限りなく近くなっていた。

ともだちにシェアしよう!