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第18話

 吉嗣の四十九日法要が終わり、親戚もそれぞれ帰っていった。真嗣は話しがあるから、と居間の座卓に両親と向かい合って座った。 「俺さ、今の会社を辞めて、ここに帰ってこようと思ってるんだ。それで高倉酒造を継ぎたいんだ」  真嗣から話しがあるからと言われことで、これからのことだと何となくわかった。嗣夫と数子は顔を見合わせた。諸手を挙げて喜んでいるといった様子では全くなかった。  数子が先に口を開いた。 「真嗣の気持ちは嬉しいけど、今の仕事も頑張ってきたんでしょ?」 「…うん…でも…自分でもしっかりと考えて決めたんだ」  すると嗣夫は険しい顔をして怒鳴った。 「お前、今更、何言ってんだ。あの時俺は反対した。それを今になって、継ぎたいだと?ふざけるのも大概にしろ。酒造りはな、そんな簡単なもんじゃないんだ」 「簡単だとは思ってないよ」 「じゃあ、今の仕事が嫌になって、はい、辞めますってのか?お前の仕事は親の反対を押し切って始めたんだろうが、それをそう簡単に辞められるんなら、最初から止めておけばよかったんだろうが、違うか!」 「俺だって、吉嗣がこんなことになってなかったら、今の仕事を続けていたよ」 「今すぐに決めなくてもいいわよね。お父さん」  数子が言ったが、嗣夫の気持ちは収まらなかった。 「お前は酒屋の長男として生まれたことはわかっているのに、服作りが好きだなんだのと勝手なことを言って、卒業したら戻ってくるのかと思えば、大手企業に 就職が決まったから、吉嗣が跡を継ぐからって、お前は家のことなんて何にも考えてなかっただろうが」  今までの真嗣に対しての思いが一気に噴き出したようだった。 「お父さん、真嗣だって考えてくれてるから、こうして話しをしてるんじゃない」 「俺も好きにさせてもらってたけど、俺も今の仕事をおざなりにしてたわけじゃない。毎日必死に頑張ってるんだよ。でも吉嗣が頑張って大切に継いでくれていたここを、アイツが死んだからってほっとくわけにはいかないだろ。親父や母さんだって、いつまでも仕事できるわけじゃないんだから」 「あぁ?じゃあ何か?高倉酒造のためには、吉嗣じゃなく俺が死んだ方がよかったんだな」 「そんなこと、一言も言ってないだろ」 「わかってるんだよ。みんな俺が死んだ方がよかったって思ってることくらい」 「うるさいねぇ…ちょっと数子さん、よっちゃんがいないけど、どこ行った?」  祖母のヨシエが嗣夫の大声に怪訝な顔でやってきた。四十九日を過ぎても、まだ吉嗣を探していた。 「お母さん、吉嗣は」 「うるさいっ。黙れ。吉嗣は死んだ。このクソばばあは毎日毎日、同じことばかり言いやがって。俺がパチンコになんか行かなければ、吉嗣は死んでなかった。わかってる俺が吉嗣を殺したんだ。俺が死ねばよかったんだ。そしたらお前も恩着せがましく、跡を継ぐなんて言わなくてもよかったし、このクソばばあも毎日毎日吉嗣を探さなくてもいいんだからな。お前も当てつけで吉嗣は組合長さんのところに行ってますって何度何度も言わなくて済んだのにな。俺が死んでたらよかったんだよっ」  ヨシエは興味の無さそうな顔をして、どこかへ行った。その後を追うように数子も席を立った。  数子はすぐに戻ってきた。そして数子の手には出刃包丁が握られていた。無表情の数子は鼻から息を大きく吸うと、カッと目を見開いた。 「あんたっ!さっきから黙って聞いてたら、自分の母親をクソばばあ、だ?俺が死んだらよかった、だ?ふざけんのもいい加減にしろっ!あぁ?そんなに死にたいんなら、さっさと死ねよ。これでその腹、掻っ捌いて、吉嗣のとこ行って、俺が悪かったって土下座でもなんでもしてこいっ。この、あほんだら」  数子はそう捲し立てると、持っていた出刃庖丁を振り上げて嗣夫の膝元近くの畳に突き刺した。ドスッと鈍い音がして出刃の切っ先が畳にめり込み突き立った。包丁の柄の部分を持ったまま、数子は恐ろしい形相で嗣夫を睨みつけた。  修羅が現存するのなら、今まさに目の前の母親がそうだと、真嗣は思った。 「母さん、危ないから、手を離して」  真嗣は慌てて数子の手首を持って、出刃庖丁から手を離させた。嗣夫は口をぱくぱくさせるだけだった。数子は立ち上がると、そのまま居間を出て行った。  真嗣は出刃庖丁を畳から抜き取り、台所の流し台の下に包丁を片付けた。畳にはしっかりと穴が空いていた。真嗣は少し考えてから冷蔵庫を開けて瓶ビールを出した。 「親父、飲む?」 「あっ、あぁ…」  返事は聞こえたがこちらへ来る様子がなく、真嗣は様子を見ると、嗣夫は座ったままだった。 「飲まないの?ビール」 「いや…その…立てないんだ」  嗣夫は完全に腰を抜かしていた。 「何やってんだよ。ほら」  真嗣は苦笑しながら、手を差し出した。嗣夫は手を引っ張ってもらいながら、座卓にもう片方の手をついてようやく立ち上がることができた。  台所の食卓の椅子に座ると、真嗣は瓶ビールの栓を抜いた。 「なぁ、母さんって、怒るとああなるの?」 「バカ言え。あんな母さん見たのは、初めてだ」 「おっかなかったな…マジで」  真嗣は嗣夫にビールを注いだ。嗣夫は一気に飲み干した。 「真嗣、すまななかったな。酷いこと言って」  嗣夫はまるで憑き物がとれたかのように静かに言った。 「いいよ」 「俺は、お前に嫉妬してたんだ。酒屋の長男で同じなのに、お前は好きなことをやって、それを仕事にして、平々凡々とお気楽にやってるんだろうとずっと思ってた。でも吉嗣の通夜の時、こんな遠方でも大勢の弔問客が来てくれて、それはお前が頑張ってきた証しなんだってわかった」  真嗣はビールを注いだ。 「正直、お前が継ぐって言ってくれた時は嬉しかったよ。でもな、俺のバカな過ちで、息子達の人生を壊してしまった。おまけに自分の親をばばあ扱いして、俺は本当にどうしようもない奴なんだ。一生かかっても、吉嗣には謝りきれない」  嗣夫は泣いていた。 「親父…今まで好きにさせてもらった分、親父が背負っていく辛さとか、苦しさとか、俺も一緒に背負うから」 「…ありがとうな、真嗣」  真嗣は嗣夫のコップに自分のコップを当てた。  すると、そこに数子がやって来た。 「ちょっと、あなた達」  数子の声で、真嗣と嗣夫は同時にビクッとした。そして顔を見合わせて苦笑した。 「固めの盃をビールでするなんてどういうつもり?酒蔵の息子二人が揃いも揃って。こういう時は日本酒に決まってるでしょう。まったく」  数子はそう言うと、台所に行ってコップを持ってきた。お母さんにもちょうだい、と言ってコップを差し出した。  真嗣は数子のコップにビールを注いだあと、嗣夫と自分のコップにも入れた。  そして三人で吉嗣に献杯をした。 「お父さん…さっきは言い過ぎました」 「いや、俺が悪かったんだから…お前のあほんだらで目が覚めたよ」  真嗣は母親が関西の生まれであることを思い出した。

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