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第31話

 実家に戻った真嗣は、七月一日の年度初めに行われる高蔵酒造の儀式での席で、酒蔵に携わるすべての人の前で、父親の嗣夫から紹介をされた。 「今までは、まったく畑違いの仕事をしていました。今は亡き吉嗣に恥じないよう、精一杯頑張ります。どうぞご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します」  真嗣は温かい拍手を受けると、身の引き締まる思いがした。  まず、高倉酒造の帳簿を見ながら、現在の経営状態の説明を嗣夫から受けた。真嗣の予想通り、赤字こそ出してはいないが、芳しいものではなかった。アルコール飲料の種類は昔に比べると格段に増えている。昨今の健康志向で拍車がかかりノンアル飲料も台頭してきている。真嗣は酒造りを覚えるより先にすべきことが見えてきた。  隆也にとっても転機が訪れそうだった。  真嗣が実家に帰った後、美香からまた連絡があった。新聞社から隆也が着用していたあのドレスに関して、記事掲載後に問い合わせが何件もあり、美香のところに連絡がきたと言った。そして、隆也が直接、新聞社に連絡をすることになった。対応してくれたのは女性記者だった。隆也はドレスに関して、自分がデザインをしたことを伝え、少し迷ったが、美香のために辻褄合わせで自分のパートナーが作ってくれたと言った。 「あらぁ、そうだったんですか…素敵なエピソードですね。じゃあ、そのドレスはどこにも売ってないってことですね。問い合わせをされた皆さん、あのドレスはどこに売ってるんですかって、新聞社に聞かれても困るんですけど、結構な問い合わせ件数だったもので、竜泉寺さんにお電話させてもらったんです。残念ですけど、仕方ありませんよね。わざわざお電話いただいて、本当にありがとうございました」  そう言って女性記者は電話を切ろうとしたが、最後に、どうぞお幸せに、と言った。  隆也は心が決まった。真嗣が作ってくれたドレスでブランドを立ち上げようと。  それからの隆也の行動は早かった。ベルクージャに退職を願い出た。そしてあのドレスのデザイン画を更にブラッシュアップをした。その他、数点のデザイン画を携えて、飛び込みでドレスレンタルの会社を訪問した。デザイン画を見せて、ブランドを立ち上げたいと話しても相手にされなかった。それでも隆也は、真嗣が泣きながら言ってくれた、自分と一緒にブランドを立ち上げたかったという思いを絶対に叶えたかった。  隆也はいつもと違う切り口で話しをしようと考えた。とにかく花嫁の気持ちを優先しようと。  ドレスのレンタルだけではなく、ウェディングプランも提案している会社に訪問をした。その会社は女性スタッフが多く、社長もやや年配の女性だった。 「お時間いただき、ありがとうございます。私がデザインしたドレスは、見ていただいている通り二部式になっています。上のチュールの羽織り物は、どの様なサイズの方も楽に着ることができます。会社としては各サイズを用意する必要もありません。ウェディングに合わせて過度なダイエットも控えられ、授かり婚の妊婦さんにも組み合わせ次第で自分らしいドレススタイルが演出できると思います」  隆也渾身のプレゼンだった。  傍で隆也の話しを聞いていた女性スタッフが、それを羽織ってみたい、と言い、隆也は着用を手伝った。 そのスタッフは手を広げ、その場で何歩か歩いてクルッと回った。トレーンの部分が軽やかに浮き上がった。 「社長、いいですね。これ一枚で衣装の雰囲気がガラッと変わるし…何より、費用がかなり抑えられる。若い人達はお金がないんですよ、社長」  彼女はウェディングプランナーだった。その言葉を聞いて社長は隆也に機運を見出したようだった。 「あなたは、妊婦さんやブライダルダイエットの女性のことまで考えてくださるのね。ベルクージャさんみたいなお給料はお支払いできないけど、それでよかったら、こちらこそお願いします」  そう言って隆也に右手を差し出した。 「あぁ、もっと早くこのドレスに出会っていたら、私も苦しまずに披露宴ができたのに。私も実は授かり婚でね、安定期ではあったんだけど、無理してきつ目のドレスを着てしまったから気分が悪くなってね、披露宴は散々だったのよ」  社長は懐かしむように笑った。  そして、隆也はブランド立ち上げに向かって一歩踏み出した。

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