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第1話 鬼上司とポメラニアン(4)

「……は、えっ!? ぽ、ポメラニアン!?」  黒と茶――ブラックタンの毛並みが美しいポメラニアンが、室内をひたすら駆け回っている。愛くるしい見た目とは裏腹に、結構なやんちゃぶりだ。  羽柴はぽかんとしていたが、すぐにハッと我に返って足を踏み入れた。ことの経緯はわからないとはいえ、このまま放置するわけにもいかないだろう。 「っ、Stay(待て)!」  実家で犬を飼っていたこともあり、とっさにコマンドを放つ。  期待はしていなかったのだが、驚くべきことに、ポメラニアンはすぐにその場で静止した。 (興奮しきってるはずなのに、言うこときいてくれた……)  犬というものは、一度興奮しだすとコマンドを聞き入れてくれないことがある。このポメラニアンは、日頃からしっかりとトレーニングされているということか。それにしては、首輪が付いてないのが気になるが。  続けて「Come(おいで)」と指示を出すと、尻尾を振りながらこちらに駆け寄ってきた。そのつぶらな瞳はキラキラと輝いていて、たまらず羽柴の胸がキュンキュンとしてしまう。 「よしよし、いい子だね! 言うこときけてえらいえらい!」  屈んで体を撫でてやりながら、大袈裟に褒める。  ポメラニアンの毛質は柔らかくてふわふわだ。その感触に癒やされているうちにも、今度は前足でちょんと腕を叩かれた。なんだか、じっと見つめられている。 「どうしたの? もしかして遊び足りない?」  そう問うと、ポメラニアンは「キャンキャン!」と鳴いてみせ、前足を伸ばしながら尻を高く上げた。遊んでほしいというサインだ。  オフィスの床にはタイルカーペットが敷かれている。これなら膝に負担もかからず、遊ばせてやることができるだろう。  羽柴は散らばった資料を隅に追いやってから、通勤鞄を手繰り寄せる。  取り出したのはフェイスタオルだった。中央で結んでコブを作ってやり、即席のオモチャを作ってやる。 「じゃあ、これできる? Take(取ってこい)!」  タオルに注視させたあと、コマンドを発して緩やかに投げた。  ポメラニアンはタオルを追ってダッシュし、しっかりと口に咥えて戻ってくる。羽柴が膝を叩けば、パッと顔を寄せてくるのだから見事なものだ。 「そう、お利口さん! えらいね、もう一回しよっか?」  ご褒美とばかりに、繰り返しタオルを投げては取ってこさせる。  実家の犬ともこうしてよく遊んだものだ。まさか会社内で、しかも見知らぬ犬と戯れることになるとは思わなかったが。 「って、はは……職場で何やってんだろう、俺」  今さらながら、羽柴は苦笑を浮かべる。  けれど、心理的にリフレッシュできたのだろうか、なんとなく体が楽になっている気がした。 (にしても、この状況はどうしたもんかなあ。警備員さんに言えば、預かってもらえるんだろうか)  そんなことを考えているうちにも、ポメラニアンの落ち着きがなくなっていることに気がつく。先ほどとは違い、ソワソワと隅の方でうろついている。

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