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第1話 鬼上司とポメラニアン(6)
「犬に、ですか――」
……真面目な顔で重々しく繰り返してはみたものの、本当は冷や汗をだらだらとかいている。犬飼がつまらない冗談をつくとは思えないが、正直なところ反応に困ってしまう。
一方、当の本人は、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「おい。今、『頭大丈夫か』とか思っているだろ」
「お、思ってない思ってない! でも、にわかには信じられなくて!」
「俺だって馬鹿げているとは思うが、さっき目にしたものが事実だ。先祖が妙な真似をしたらしく、過度のストレスを覚えると、体が犬の姿に変化してしまう。……ふざけた呪いだろ?」
犬飼が自嘲気味に笑う。羽柴はなんと言葉をかけていいのかわからず、ただ押し黙るばかりだった。
――呪い。あまりにも現実離れした話で、耳を疑いたくもなってしまう。
だが、犬飼が言うように、実際に目の当たりにしてしまった以上は信じるほかない。何よりも、その思いつめたような顔がすべてを物語っていた。
(犬飼さんのこんな顔、初めて見た……)
「ふざけた呪いだろ」と犬飼は口にしていたが、実のところはそんな言葉で済まないのではなかろうか。
確かに呪いとしては、なかなかファンシーすぎる。しかし、犬飼にとって深刻な問題なのだろうことは想像にかたくない。ましてやダイナミクスのこともあるのだから。
羽柴が考えを巡らせていたら、犬飼が静かに言葉を発した。
「どうかこのことは他言無用で頼む。そして、君自身も忘れてほしい」
「あ……」
わかったなら、もうこれ以上は関わるな。犬飼のそんな思いが伝わってくる。
とっさに羽柴は口を開いたけれど、何ひとつ言葉にならなかった。
そうしてその日は、ぼんやりとしているうちにも自宅へ帰ることになり――いつぶりかの安眠を得るのだった。
◇
翌日、羽柴はいつもどおりに出勤した。
犬飼とはオフィスで顔を合わせたものの、特に変わった様子は見受けられない。昨夜の出来事は夢だったのかとさえ思うが――、
(ああっ! 犬飼さんの背後にポメラニアンが……ポメラニアンが見える!)
もちろんただの幻覚である。しかし、そうは言っても犬飼のことが気になって仕方がない。
「足立、今日はその修正が終わったら上がっていい。マレーシア出張も近いんだろ」
「は、はい!」
悶々としている間にも、犬飼はしっかりと仕事をこなしていた。不意にこちらと目が合い、眉間に皺が寄るのを目の当たりにする。
「羽柴……さっきから随分と手が止まっているようだが、稟議書はもう出来たのか?」
(ポメラニアンが怒った顔してるううッ!)
羽柴に向かって、威嚇するように歯を剥き出しているポメラニアン――そんなものがちらついて仕方がない。困ったことに、昨夜の一件をどう受け止めたらいいのかわからずにいる。
「すすすみませんっ、すぐに仕上げます!」
再びパソコンの画面へ向き直り、カタカタとキーボードを鳴らすのだが、どうしたって意識してしまう。ポメラニアンになっていた犬飼の姿。その口から発せられた衝撃的な言葉の数々を。
「――……」
ちらりと盗み見た犬飼の顔には、心なしか疲労の色が滲んでいた。
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