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第5話 さらけ出して、君となら(2)

「すまない、完全に理性を失っていたようだ。すぐに手当てする」 「いえ、犬飼さんは着替えてきてください。その間に傷口洗っておきますから」 「だが……」  犬飼の瞳が不安げに揺れる。かたや羽柴は「大丈夫」と真摯に返した。 「俺、もう逃げたりなんかしません。落ち着いたら、きちんとお話させてください」  真っ直ぐに視線を合わせれば、犬飼は少しだけ表情を和らげ、素直にリビングを出ていった。  その後、羽柴も傷口を洗って戻ってくる。ローテーブルの上には救急箱が置かれており、ラフな室内着に着替えた犬飼が待ち構えていた。 「傷口を見せてくれ。化膿でもしたら大変だ」 「え? いや、自分でっ」 「これくらいさせろ。しかもそれ、利き手だろうが」 「うっ、それは確かに」  ソファーに座るよう促され、羽柴は大人しく従う。すると、犬飼も隣に座ってきて、あらためて傷口の様子を眺めた。 「血は出ていないようだが、痛々しいな」  力強く噛まれたものの出血はなく、痛々しく腫れているが、傷は内出血で済んでいた。念のため、皮膚科なり外科を受診した方がいいだろうが、このぶんなら感染症の心配はいらないはずだ。 「こんなの、犬飼さんと比べたら全然っすよ」 「………………」  犬飼は何も言わずに傷口を消毒し、ガーゼの上から包帯を巻きつけてくれた。  その横顔は随分と疲労の色が濃く、目の下には隈ができている。声もやや掠れていることからして、もしかしたら一晩中吠え続けていたのかもしれない。  しばらく沈黙が続いたが、手当てが終わるなり、犬飼が口を開いた。 「そういえば、仕事はどうしたんだ?」 「あ……すみません、つい抜けてきちゃって。あとで連絡します」 「後回しにしてどうするんだ。ついでだ、俺が部長に報告しておいてやる。その方が話も早いだろうしな」  そう言うと、犬飼はスマートフォンを手に立ち上がる。そのまま廊下へと出ていき、電話をかける声がドア越しに聞こえてきた。  ……通話は、ものの数分で終わったようだ。  リビングに戻ってきた犬飼は、再び羽柴の隣へと腰を下ろし、厳しい眼差しを向けてくる。 「羽柴は午後から出社するように。俺が言えた義理でもないし、感謝こそしているが――どのような事情があっても、自己判断で仕事を投げ出すような真似はするな。いいな?」 「……はい、配慮が足りませんでした。申し訳ありません」 「わかればいい。まあ、ダイナミクスに関しては、部長も理解ある立場だしな。サブドロップに陥っていたと話したら、逆に心配されたくらいだ」 「そうだ、サブドロップ! 犬飼さん、もう大丈夫なんですかっ!?」  羽柴は身を乗り出して、犬飼の肩を掴んだ。すると犬飼は苦笑を浮かべ、なだめるようにこちらの手を軽く叩く。 「問題ない。規則上、カウンセリングを受ける必要はあるが、人のそれよりかはずっとマシだ。もう体温も脈拍も落ち着いているし……こういったときばかりは、この妙な体にも感謝だな」  犬飼は平然としていたが、だからといって安堵などできなかった。  Domである自分に、サブドロップの恐ろしさを理解することはできないだろう。が、犬飼が抱えていた感情を想像できぬほど、不出来でもない。 「あの、犬飼さん。昨夜のことですが――」  居住まいを正して、羽柴は切り出した。 「ごめんなさい。俺が未熟なせいで、犬飼さんを辛い目に合わせてしまいました」  そう続けると、膝の上で拳を握り締め、深く頭を下げる。  対する犬飼は、しばし沈黙したのちに「頭を上げてくれ」と言ってきた。

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