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番外編 プロポーズといつかの夢(1)

 羽柴がベトナムに赴任してきて、はや三ヶ月。  仕事にも慣れてきた頃合いだろうと、犬飼は羽柴に声をかけ、息抜きがてら旧市街を訪れていた。 「おおーっ、なんだかテーマパークに来たみたいっすね!」  感嘆の声を漏らし、羽柴は辺りをきょろきょろと見回す。  ホイアンでは月に一度、ちょうど満月にあたる旧暦・十四日の夜に、ランタン祭りが開催される。その名のとおり、市街中の街灯が落とされ、無数のランタンに彩られるなか祭事を楽しむのだ。  日本でいう、縁日のような雰囲気に近いだろうか。街全体が幻想的な空気に包まれて、別世界に迷い込んだかのような錯覚さえ覚える。 「……デートにはもってこいだな」 「で、でぇと!?」 「なんだ? 仕事終わりだからって、まだ上司と部下の気でいたのか?」  犬飼がからかうように言えば、羽柴はすぐさま首をぶんぶんと横に振って、肩を抱いてきた。仕事とプライベートの使い分けが下手というか、相変わらず不器用な男だ。 (ま、こんなところも愛おしいが)  羽柴の好きにさせてやりながら、ノスタルジックな市街の散策を楽しむことにする。  しばらくナイトマーケットで食べ歩きをしていたのだが、川沿いに人だかりが出来ていることに気づいて、ふと足が止まった。 「せっかくだし、俺らもアレ乗ってみません?」  羽柴が指さしたのは、川の上に浮かぶ手漕ぎボートだった。  犬飼も仕事仲間に連れられて、一度だけ乗った覚えがある。客引きをしている船頭と交渉して、ボートの上から灯篭(とうろう)を流すことができるのだ。  灯篭は蓮の花を模したような形状で、近くにいる子供たちが声高らかに売っている。二人はそれを購入したのち、さっそくボートへと乗り込んだのだった。 「わあっ!」  陽気な船頭の合図とともに、ゆっくりとボートが動き出す。羽柴はスマートフォンで写真を撮りながら、子供のように目を輝かせた。  川の流れは緩やかで、色とりどりの灯りが水面に煌々と反射している。すでに灯篭も多く流されており、羽柴ほどでもないが、つい見惚れてしまうものがあった。 「……綺麗だな」  この美しい光景を、最愛の相手とともに見られたことが嬉しい。犬飼は隣に座る男の顔を見上げ、ふわりと微笑みかけた。  すると、満面の笑みを返されてしまう。 「はい! 蓮也さんとこういった景色が見られるだなんて、すげー嬉しいっす」  どうやら同じ考えだったようだ。些細なことだというのに、胸がいっぱいになって、これでは相手を笑うに笑えない。  犬飼は内心で苦笑しつつ、居たたまれなさに話題を変えようと試みる。 「そうだ、灯篭流しといえば――もともとは死者を弔うものだったが、現在のベトナムでは願掛けの一つらしいな」 「へえ? 日本とはまた違うんですね」 「ああ。羽柴は何かあるか?」 「ねっ、願い事ですか?」  そんなふうに振られるとは思っていなかったのか、羽柴がひどく動揺する。その顔は暗がりの中でもわかるほどに赤らんでおり、どこか緊張しているようにも思えた。 「どうした、言えないようなことなのか?」 「いえ、言えないというわけじゃ」  しばし考えこむ素振りを見せたのち、なぜか羽柴は深呼吸を繰り返す。 「その、蓮也さん。こんなタイミングで言うのもなんですが、聞いてくれますか?」 「あ、ああ」  ……なんだかこちらまで緊張してきた。心臓が早鐘を打つなか、犬飼は急かすこともなく、ただ耳を傾ける。  羽柴は間を持たせて、厳かな雰囲気で口を開いた。 「日本に戻ったら、俺と――」  そこで言葉を区切って、何度か言い淀む。  だが、やがて意を決したかのように顔を上げると、今度こそはっきりと口にしたのだった。

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