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第3話
「俺が入ってすぐにあったからな。多分一度も洗濯してない」
「そんなもん人にやるなよ」
思わず敬語を取り払ってしまったが、八木は声もなく笑い「まぁ座んなよ」と椅子を勧めてくれたので渋々座る。
匂いが移るのが嫌でタオルはすぐに返した。
デスクに腰を下ろした八木はエプロンのポケットから煙草を取り出すと断りもなく火を点けた。
細い指で挟んだ煙草の灯りをぼんやりと眺めていると八木の左手の指輪がきらりと光る。
八木はぷわっと煙を吐いて天井の隅を眺めているのに、長い前髪から覗く黒い瞳はなにも映していないように感じた。
「すいません。迷惑かけて」
「別にいいよ。この時間は客が来ないから暇してたし」
「… … お金が無くてつい泣いてしまいました」
「お兄さん、小銭しか持ってなかったもんね」
莫迦にするわけでも同情するわけでもない八木の淡々とした声に安堵を覚えた。
可哀想、と同情されるのは嫌いだった。誰かが泣いたら女子が集まって「大丈夫?」と声をかけるような上っ面なやさしさに意味はない。
同情するなら金をくれという一昔前に流行ったドラマの台詞はあながち間違っていないと思う。
同情だけでは腹は膨れないし寒さも凌げない。
真夏の生い立ちを可哀想と言った人から金をもらえばいまごろ大金持ちだっただろう。
「今月上京してきたばかりで、引っ越し費用と学費で結構な額飛んでほぼ一文無しです」
「バイトは?」
「夜に居酒屋を一つ。あと日中でできるやつを探しるけどいい条件がなくて」
「それならいいとこあるよ」
八木は壁に貼ってあるポスターを指差した。
「アルバイト募集中」と大きく書かれた下に時間帯と時給が書かれていた。
真夏が求めていた時間帯がどんぴしゃだった。
給料も悪くない。
目を輝かせていると八木が白煙を零す。
「いまなら臭いバスタオル付き」
「それはまじいらねぇ。でもこの条件悪くないです」
「いいよー。きみなら採用」
「採用って… … 店長さんなんですか?」
「そうだよ」
机に肘をついて薄っすらと笑う八木にどきりとした。笑うと子どもっぽい。
ただのフリーターにしか見えないが、名札の横に小さく店長と書いてあった。
真夏の働く居酒屋の店長は髪は短く清潔感があり、体育会系の威圧感もあった。八木はそれとは真逆をいく。
真夏がまじまじと見ていると八木は下唇を突き出した。
「あんま店長っぽくないって顔だな」
「ぶっちゃけただのバイトかと」
正直に答えると上機嫌に笑った八木は「採用!」とハイタッチを要求してきたので、真夏は遠慮がちにぱちんと手を合わせる。
「ま、それは冗談だけどお兄さん真面目そうだし本当に雇ってもいいよ」
「それはありがたいです」
「でも形式上、履歴書は出して欲しいな」
「わかりました。明日持って来ます」
「それと… … 」
じっと真夏の頭を見られて、気恥ずかしさで毛先を弄んだ。
「金髪か」
「やっぱダメですかね。地元出るとき都会で舐められないようにと染めて来たんですけど」
「理由が面白いからいいよ」
「さっきから軽いっすね」
「まぁ見た目なんて正直どうでもいい。ちゃんと働いてくれさえすれば、犯罪者でも雇うよ」
「… … 犯罪者って」
「もしかしてそっち系の人?」
「違います」
初対面なのにズケズケと失礼だなと思うのに不思議と嫌な気分にはならない。八木の見た目の緩さがこちらも変に構えなくていいからだろうか。
「そういえば名前聞いてなかった。なんていうの?」
「伊澄真夏。今年で十九歳になります」
「伊澄… … 」
八木は煙草の灰がぽろりと灰皿に落ちても気に留めず、じっと真夏を見つめた。
「珍しい名字だね」
「地元だとわりといますけど、東京じゃ珍しいかも」
「ふぅん。じゃあ明日履歴書持ってきて。朝の九時にはあがるからそのとき来て」
「わかりました」
立ち上がってバックヤードを出ると八木も後ろからついてきた。夜空を見上げると雨は止み、雲の隙間から月明りが漏れている。
「じゃあまた明日な」
「よろしくお願いします」
真夏は頭を下げて夜道を走りながら、まだど
きどきしている胸を押さえた。
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