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重なる思い(1)

 初顔合わせから1か月のリハーサル期間を経て、2月5日に、映画『空を見上げて』の撮影が始まった。  一度目の人生では、僕もドラマで主役を演じたこともある。およそ4か月の撮影の間、役者の中では一番出番が多かったし、監督と話す機会も多かった。  でも、その4か月の撮影よりも、この1か月のリハーサルのほうが、より充実した、濃密な時間を過ごせていたように思う。  きっと、脚本に書かれていないことまで考えるようになったからだ。  どんな声のトーンで、どんな表情をすれば、怒って見えたり、悲しんで見えたりするのか。一度目の人生では、僕にとって、演技とはそういうものだった。    でも、三間(みま)佑美(ゆうみ)さんを見ていたら、それでは駄目だとわかる。今までの僕は、『怒っている』演技や『泣いている』演技をしていただけだ。彼らのように、『自分とは別の人生を生きてきた誰か』を演じることはできていなかった。  主役の二人だけでなく、『演技派』と称されるベテラン俳優陣も、やはりカチンコが鳴った瞬間に、全く別の人間に生まれ変わる。今更ながらにその違いに気づき、自分の役者としての未熟さに愕然とした。  今回の映画でメガホンを取っている田崎監督は、40才になったばかりで、映画監督の中では比較的若い。自分よりも年配のベテラン俳優に対しても、臆せずに注文をつけるし、実績のない若手の意見にも耳を貸してくれる。  リハーサルでは、演じ方を具体的に指示するのではなく、その人物にどういうバックグラウンドがあり、そのために今どのような心理状態にあるのかを解釈することに重きが置かれていた。  自ら志願して特攻兵となった若者の心情を、平和な世に生きる僕が完全に理解することは難しい。  でも、監督と話をし、金田二等兵という人物について理解を深めていくうちに、いま感じているこの感情が自分のものではなく、金田二等兵のものだという感覚を覚えることが多くなった。演劇界では『憑依型の役者』という言葉を耳にするが、もしかしたら役が憑依するというのは、こういう感覚なのではないかと思う。  演じている間は、重く、苦しくなることのほうが多い。  完全に自我が消え、自分が別の人格になり、そしてカットがかかった瞬間に、その人格が自分の中から消えて自分が戻ってくる。  確かに自分の中に別の誰かがいたのだと実感することは、他では味わえない達成感をもたらしてくれた。  撮影が始まったばかりの今は、撮影所のスタジオで、セットを使った撮影が行われている。  通しのリハーサルであるランスルーの最中、出番待ちの僕は他の兵隊組と共に、前室のモニターでそれを眺めていた。 「(はる)さん、やっぱすげーよなー。2カ月で8キロ落としたんだって」  丸めた台本で膝をポンポンと叩きながら、稲垣が言う。 「元々ムダ肉ないから、痩せるの大変だったでしょうね。俺も前にボクサー役で短期間で絞ったことあるから、わかります」  同調するのは、兵士役の一人で、金田二等兵と同じ飛行学校の生徒である佐々木だ。年は僕より2つ上。  モニターには、佑美さん演じる寿美子(すみこ)と三間演じる平田中尉(ひらたちゅうい)、それにぼろ雑巾みたいな衣服を身に纏った、煤けた顔の二人の子供が映し出されている。セットは寿美子が働く食堂の内部で、二人の出会いのシーンだった。  

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