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重なる思い(3)

 三間(みま)のマンションのキッチンは、アイランド型というやつで、僕の家の台所の3、4倍の広さがある。その上、シンクや大理石風の天板だけでなく、家電や調理器具までもが新品のようにピカピカに(つや)めいている。  こんなところで料理ができるのなら、俳優をやめて家事代行に転職するのも悪くないと思える。それに、食べてくれる人がいることも。疲れていても料理が苦にならない大きな理由だった。  リビングの時計の針は、もうすぐ9時になろうとしている。  今日は自分の撮影が終わったのが8時近かったので、ジムには寄らずにまっすぐに三間のマンションに来て、買い置きの食材で急ぎ夕食の支度をした。  玄米ご飯に、メインのおかずはひき肉とおからを混ぜたおからコロッケ。油を控えるためにコロッケは揚げずにオーブンで焼いた。副菜はほうれん草のお浸しとレンコンの甘酢漬け。それに汁物はセロリとトマト、しめじを入れたスープを用意している。  ご飯が炊きあがり、そろそろスープを温めなおしたほうがいいかなと思っていたら、玄関のほうでドアの開く音がした。  帰って来た家主がすぐには姿を現さないのは、先に洗面所に寄ってうがいと手洗いをしているからだろう。玄関には手の消毒用のスプレーも置いてある。万が一インフルエンザにでもなったら撮影に穴をあけることになるので、冬場は特に感染症には気を使う。  スープの鍋に火を入れ、息を殺して待っていると、やがて足音が近づいてきて、リビングのドアが開いた。  何度経験しても、この瞬間は慣れない。  『さりげない表情』を意識するほど、顔の筋肉に力が入ってしまう。 「お疲れ様です」  もしかしたら、「お帰りなさい」と言うのが正解かもしれないけど。自分が言うべき言葉ではない気がして、合い鍵を借りて初めてこの家に先に帰って来た日から、彼を迎える言葉はこれにしている。 「お疲れ」  『さりげない表情』のお手本のような顔でいつも通り挨拶を返すと、三間は手にしていたコートとバッグをリビングのソファに置き、ダイニングへと戻ってきた。 「ご飯、もう食べられます。準備していいですか?」 「悪いな。俺はお茶を煎れたらいい?」 「お願いします」  食卓における役割分担も、自然とパターン化している。  汗をかく時期ではないし、帰りにジムに寄った日はジムでシャワーを浴びられるので、食事の支度ができているときは帰ってすぐに食べることが多い。  これまで、同じことを訊いて、「シャワーを浴びたいから、先に食べてくれ」と言われたことが一度だけあった。  その日はいわゆるラブシーンのリハーサルがあった日で、帰宅した三間からは佑美(ゆうみ)さんの香水の香りが漂っていた。  今回の映画の稽古が始まって以降、三間は佑美さんとプライベートで会うことを控えているのではないかと思う。僕を家に送り届けた後で彼女のマンションに寄っている可能性はあるけれども。少なくとも僕が知る限りは、この一か月の間、二人がお互いの家を行き来している気配を感じたことはなかった。  平田中尉(ひらたちゅうい)寿美子(すみこ)の関係は、最後こそ思いを伝え合って一夜を過ごすが、それまではいかにも恋仲といった甘い雰囲気ではない。  もし、三間が佑美さんとの逢瀬を控えているのなら、それはきっと、役作りの一環だろう。その反動で性的な欲求が溜まってしまうことも、同じ男として理解できる。  食事よりシャワーを優先させた三間が、そこで何をしているのか。誰を思っているのか。  そんな不毛なことを考えてしまい、その日は言われた通りに一人で先に食事する気にはなれなかった。  互いの咀嚼音と箸を使う音、それに時折り食器を上げ下げする音が聞こえる。  三間は食事中にテレビを見る習慣はないらしく、二人とも口数が多いほうではないので、食事中は静かなことが多い。  最初の頃は気まずさを感じていた沈黙(それ)にも、最近は慣れた。 「何か悩み事か?」  食べ始めてしばらくした頃。ふいに声をかけられ、手元のご飯から視線を上げた。  自分ではいつもと同じ顔をしていたつもりだったけど。役のことで頭を悩ませていたことは事実。  他人に興味がなさそうに見えて、三間は意外と人の動きや表情をよく見ている。それも、一度目の人生では気づかずにいたことの一つだった。  言っていいものかどうか、一瞬だけ迷って。 「三間さんは、演じている役と自分自身とで、考え方や感情がどっちのものなのか混乱することってないですか?」  素直に、ここ数日、頭の中を占めていた悩み事を吐露した。  

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