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重なる思い(4)

 三間(みま)は手にしていた皿と箸を置き、しばらくの間、考え込むような顔をしていた。 「演じるためには自分自身の経験が必要だろ? 考えや感情がどっちのものかなんて、明確な線引きはできないんじゃないか?」  今度は僕が考え込む番だった。  言いたいことはわかる。  例えば殺人鬼のような、全く相容れない人間を演じるとき。役者はこれまでに自分自身が経験してきた中から、孤独感や憎しみといったそれに近い感情を引き出し、役に自分自身を近づける。役になりきり、殺したいほどの憎悪を抱いたとして、そのベースとなるのは役者自身が経験してきたことなのだから、明確な線引きはできないのかもしれない。  でも、役と役者自身は全く別の人間であることも事実。演じる上では自身の経験をフル動員させても、自我が出過ぎると、フラットな演技ができなくなる。 「演技として表出させる上では、自分を殺す必要があるけどな」  考えていたのと同じことを、三間も付け加えた。  表向きは自分という人間を殺しながら、水面下では自身の混沌とした人生経験の中から、演じるために必要な感情を拾い上げなければいけない。演じるとは本当に難しい知的作業だと、つくづく思う。 「具体的には、どのシーンで悩んでいるんだ?」  答えあぐねていたら、三間が質問を変えてきた。  平田中尉(ひらたちゅうい)に命を助けられる形で生き残った金田二等兵は、中尉の最期の言葉を伝えるために、終戦後、真っ先に寿美子(すみこ)に会いに行く。  かつての食堂は空襲で半分ほど焼けていたが、残った半分で営業を再開していた。寿美子もその母であるおかみも生き残っていて、そしてそこには、生まれてまもない赤ん坊もいた。日本が無条件降伏した日に生まれたその子が平田中尉の子供だと知り、金田はその場で泣き崩れる。  その後、金田は、実家には生還を報告する手紙だけ出して、その地に留まる。食糧難は続いていて、闇市で食材を調達しなければならないことのほうが多い。高値を吹っ掛けられたり強盗に押し入られることもあり、女二人で食堂をやっていくには危険が大きかったからだ。  幸いにも、金田は戦前に就いていた国鉄の機関助士に復職することができた。多少なりとも安定した生活が送れるようになったところで、「家族としてあなた方を支えていきたい」と、寿美子に結婚を申し込む。悩んだ末に寿美子がそれを受け入れたところで、物語はエンディングを迎える。  そんな台本(シナリオ)を頭の中で辿り、向かいに座っている男の顔色を上目遣いに窺いながら、言葉を選んでいく。 「戦後の……シーンで……。金田は、中尉の代わりに生き残ったことへの罪悪感と責任感から、寿美子に結婚を申し込んだのではないかと思っているんですけど……。でも、本当にそれだけなのかがわからなくて……」  もし、金田が寿美子に対して、恋愛感情に近いものを抱いていたとしたら、逆に結婚を申し込むことはなかったように思う。  でも、だとしたら、そうさせた理由が、中尉に対する尊敬と感謝、それに罪悪感だけかと考えたら、なんとなく物足りなさを感じる。演技リハーサルのときはあまり深く考えずに演じていたのだが、金田の立場で考えようとするほど、納得がいかなくなった。  それ以上の何かがあったように思えるけど、そう思うのは僕自身の思いに引き摺られている所為かもしれないと考えると、正解がわからなくなる。  じっと僕を見つめる三間の顔はどこか物言いたげで、何か答えを持っているかに思えた。でも、すぐにそれを教えようとはしない。 「オフ日って何か予定入れてる?」  時間をかけて返って来たのは、僕の悩みとは全く関係のない質問だった。 「オフ日って、今週の土日ですよね? その日は僕も休みにしてもらっていますけど」  今週の週末は地方で映画祭が開かれる予定で、監督と佑美さんがそれに出席するため、その二日間は撮影が休みになっている。 「じゃあ、行くか」 「行くってどこに?」 「鹿児島。実際に金田が見た景色を見たら、何かわかることがあるんじゃないか?」 「え…………、え、えええ!?」  思わず、三間が両手で耳を塞ぐほど大きな声を上げてしまった。  

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