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最初で最後(7)
お風呂から上がったあと、普段は髪をドライヤーで乾かすが、三間 を起こすといけないと思ってタオルのみで乾かし、寝室に行った。
照明は常夜灯のみで、暗がりに目が慣れてくると、窓側の盛り上がった布団がかすかに上下するのが見えてくる。
僕の隣のベッドで、三間が寝ている。
こんな稀有な状況は最初で最後だろう。
そう思ったら、このまま寝てしまうのはもったいない気がした。
「三間さん」
小声で呼びかけたのは彼を起こすためではなく、寝ているか確かめるためだ。
返事はない。
「晴 さん」
やはり返事はなく、僕は三間の寝ているベッドへと忍び足で近づいた。
僕のベッドに背を向ける形で横向きに寝ていた。その顔の前に立つと、かすかに寝息が聞こえてくる。
撮影所でも、三間が人前で眠っているところを見たことがない。
一度目の人生でも、成り行きでホテルに泊まったけど、僕の方が先に寝落ちしたから、寝顔を見るのは初めてだ。
常夜灯の仄かな光の落ちる横顔は、初めて見る無防備さで、前髪が下りている所為もあって、不思議と可愛く見える。
「晴さん……」
近くで呼びかけても返事がないことに安堵し、前髪をつまんで上げてみた。形のよい額が露わになる。
指先で軽く額を擦っても、頬を軽くつついてみても、起きる気配はない。
意外と、寝入ったら眠りが深いタイプのようだ。
そう思ったら、言うはずのなかった思いが込み上げてきた。
映画の撮影が終わったら、彼に夕食を作ることもなくなる。またどこかで顔を合わせることはあっても、共演でもしない限りは、挨拶を交わしてすれ違うだけの間柄になるのだろう。
今が、最初で最後のチャンスだから。ずっと言いたかったことを言ってしまってもいいだろうか……。
万が一、寝たふりだったとしても、彼にとってはどうせわけのわからない話だ。
すーっと胸と腹に空気を溜め、口を開く。
「三間さん……、晴さん……、僕は…………」
三間の睫毛はぴくりとも動かない。
規則正しい寝息も変わらない。
そのことが、僕の背中を後押しする。
「あのとき貴方を呼び出したのは……、責任を取ってほしかったわけじゃないんです……。認知してほしかったわけでも、中絶の費用をせびりたかったわけでもない……」
声が震えそうになり、喉にぐっと力を込めた。
「ただ、最後にもう一度だけ、貴方に会いたかった。それだけなんです……」
泣くかと思ったけど、涙は出なかった。恋愛ですらなかったその思いは、僕のものであって、既に僕のものではなかったからだろう。
時間を巻き戻ったときには確かにあった恨み言は、今は色んなものに上書きされて、全く別のものになっている。
ぶつける相手も、本当は、今の三間じゃなく、一度目の人生の三間じゃないと意味がない。
ただ、ずっと仕舞いこんでいた気持ちを言葉にしたら、一度目の人生の僕が、少しだけ救われた気分になった。
三間の、硬質な横髪をくしゃりと撫で、これくらいなら許されるだろうと自分に言い訳し、体を屈めてその髪に触れるか触れないかのキスをした。
三間の様子は変わらない。忍び足で自分のベッドに戻り、布団に潜り込む。
今回の旅で、はっきりと自覚してしまった。
僕は、三間のことが好きなのだと。
そうして、はっきりと自覚させられた。
僕は三間にとって、世話を焼いている後輩の一人に過ぎないと。
何も起こらず、先に寝てしまったということは、そういうことだろう。一度目の人生で彼と関係を持ったのは、100%フェロモンの影響でしかない。
恋に落ちると同時に失恋してしまったわけだが、自分でも拍子抜けするほど、傷ついてはいなかった。
三間に、近づきたくなかった。好きになりたくなかった。
でもこの旅のお陰で、一度目の人生よりも彼のことを知ることができた。
今は、彼を好きになることができて、よかったと思う気持ちのほうが大きい。
三間と再会できてよかった。恋人や、妻には、なれなくても。
「ごめんね」
布団の中で小さく呟いたのは、あの子に対してだ。生まれてこなかった、あの子に。
僕がオメガであるだけでなく、人として魅力的なら、無事にあの子が生まれてきて、幸せになる未来があったかもしれないのに。
少し湿っぽい気持ちになったけど、充実した一日のお陰で心は満たされていた。
体験したことのないふかふかの布団に包まれ、安らかな眠りに誘われていった。
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