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オメガならよかった(1)

 旅行から帰って来た後の撮影現場は、二日間の中断分を取り戻そうとするかのように、それまで以上に緊迫した空気が漂っていた。緊張感の理由は、出演者の多い重要なシーンの撮影をしているからでもある。   今日の午前中のメインの撮影は、特攻隊員たちが食堂で最後の食事をするシーンだった。食事をしながら、家族との思い出や特攻への覚悟を語り合う。賑やかながらも哀切が漂うシーンで、笑いながら泣く、食べながら泣く、怒りながら泣く、という難しい演技が求められる上に、出演者が多いので、誰か一人がNGを出すだけでまた最初からやり直しになる。  NGを出すわけにいかないというプレッシャーのせいで更に緊張してしまい、台詞を噛んだり台詞が抜け落ちてしまったりと、演技以前のところでNGを出してしまうことは、経験の少ない若手にはよくあることだ。  今日は特に、稲垣がその悪循環に陥っていた。NGを20回繰り返し、結局は、「一旦気分を変えよう」という監督の一言で、兵隊組のほとんどは昼休憩に行くことになった。スケジュールを入れ替え、午後に予定されていた撮影のうち、同じセットと衣装で撮影できるシーンを先に撮るらしい。  撮影が続く三間(みま)佑美(ゆうみ)さんとおかみさん役の女優を現場に残し、兵隊組はぞろぞろと連れ立ってスタジオを出ていく。  稲垣に何か声をかけるべきか迷っているうちに、途中で彼は集団から外れてトイレに入って行ったので、そっとしておくことにした。  主役の二人や脇役のベテラン役者たちは当然個室の楽屋だが、僕たち若手には個室は与えられておらず、広めの楽屋を共同で使っている。そこに置かれているロッカーに財布を置いているため、取りに入ろうとしたところ。 「やっぱ顔だけの役者はアカンなー」  稲垣がいないのをいいことに、先に楽屋に入った役者の一人が、あからさまに彼のことと思われる悪口を言うのが聞こえてきた。 「顔で食っていけるんだから、俳優やらなくても、一生モデルとかタレントやってたらいいのにな」   他の人たちも同調し、小馬鹿にした笑い声が聞こえてくる。  これ以上やれないというくらいの渾身の演技をしても、誰か一人のNGでそれがなかったことになってしまう。気持ちを盛り上げては肩透かしを食らう。役者とはそんなことの繰り返しで、誰かを貶めることで溜飲を下げたい気持ちもわからなくもない。  でも、それで気が晴れるかというと、そうでもない気がする。陰口を言った後味の悪さはずっと自分の中に残るし、苛立ちが周囲へと波及すれば、現場がギスギスして居心地が悪くなる。  結局は演技に対するフラストレーションは、納得のいくものを作ることでしか解消されない。  ――と、内心では思っていても、もちろん、年長者に意見できるはずもなく……。  何も聞かなかったことにして、中に入るタイミングを見計らってドアの前に突っ立っていたら。背後に人の気配がした。  振り返ると、稲垣だった。  咄嗟に気まずそうな顔をしたところをみると、会話を聞いてしまったのだろう。

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