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オメガならよかった(2)
ちょっと待っていてください、と稲垣に視線で伝えて。
「お疲れ様でーす」
軽快な声とともにドアを開けた。中にいた人たちが、一斉にこちらを向く。
稲垣は廊下に隠れていて、入って行ったのは僕だけだ。
話を聞かれたんじゃないか。彼らは顔を見合わせて、一瞬そんな空気を醸し出したが。僕は空気を読めないふりをして、話しかけた。
「いやー。さっきの撮影、めちゃくちゃしんどかったですねー。僕も、永遠に終わらないんじゃないかってくらい駄目出し食らって、最後はガチ泣きしたことがあって。怖くて監督の顔、見られなかったですよ」
微妙な間 を置き。
「あー、俺もある」
三人いた役者のうちの一人が同調する。
一度目の人生であれば、休憩時間に自分から共演者やスタッフに話しかけることはなかったから、いきなり話しかけたとしても奇異な目で見られて終わりだっただろう。
今は、休憩中に雑談するくらいの良好な関係は築けている。
「大御所さんが、誰にでもあることだから、気に病むなって言ってくれて、それでようやく肩の力が抜けたんだよなー」
「ああいうときって現場の雰囲気に助けられますよね」
先ほどまで愚痴を言っていたことを棚に投げ、僕の言葉に全員がうんうんと頷いている。
役者なら、多かれ少なかれ誰だって経験することだ。思うように演技できず、周りに迷惑をかけてしまう苦しみは、自分達が一番よくわかっている。
タイミングを見計らったように、「お疲れ様です」と言って稲垣が入って来る。
稲垣はドアを閉めると、彼らに向き合い、直立で頭を下げた。
「さっきはすみません。うまくやれなくて」
3人は稲垣と年がほとんど変わらないため、普段はタメ口で話すことが多い。
敬語な上に畏まって頭まで下げられて、3人はばつが悪そうに顔を見合わせた。
「誰にでもあることだから、気にすんなって」
「気分変えて午後からまた頑張ろうぜ」
次々に慰めの言葉を口にし、楽屋を出て行く。
「夏希、ありがとう」
ドアから僕へと視線を移し、稲垣が言う。
「いえ。僕は別に何もしてませんから……」
礼を言われるようなことは何もしていない。先に入って、経験談を述べただけだ。
気恥ずかしさからそっけない返事をし、二人で照れ気味に笑い合う。ロッカーから財布を取り、連れ立って食堂へと向かった。
しかし、一難去ってまた一難。
食堂の入り口の前に、撮影所の食堂にはおよそ場違いな格好の人がいた。
「柿谷君」
声をかけてきた、いかにも高級そうな三つ揃いのスーツ姿の紳士が、にっこりと品のある笑みを浮かべる。
「月城専務……。いらしてたんですね」
一度目の人生なら、専務が来てくれたことに、手放しで浮かれていただろう。
今は、一抹の不安が胸をよぎる。
「近くに来たから、昼食ついでに君の顔を見ていこうと思ってね」
月城専務の傍には、僕のマネージャーの白木さんもいた。白木さんは複数のタレントのマネージャーを兼務しているから、午前中は誰か別のタレントの仕事場に専務を案内していたのかもしれない。
専務は気に入った人間しか傍におかないと言われている。白木さんが他の芸能事務所から月城プロダクションに転職したのは、一年ほど前だ。一年で専務の信用を得ているのなら、かなりの有望株と言える。
「わざわざありがとうございます。稲垣さんも一緒にいいですか?」
「もちろんだよ。今日は主役の二人は撮影中なのかい?」
「はい。僕たちだけが一旦休憩になりまして」
笑顔で答えながら、二人がこの場にいなくてよかったと内心では思っていた。
前に食堂で鉢合わせしたとき、三間は珍しく、月城専務に対してあからさまに牽制のようなことをしていた。優秀なアルファ同士の間で、本能的に敵対心のようなものが芽生えたのかもしれないけど。なんとなく、あの三人が顔を合わせることは、避けた方がいい気がする。
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