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オメガならよかった(5)
返事をせずにぼんやりと考え事をしている僕には構わず、一語一句に力を込め、諭すような声色で専務が話を続ける。
「……僕が個人的なファンであることを差し引いても、彼女はもっと、今以上に色んな方面で活躍すべき人だと思う。彼女を最大限に輝かせるためには、うちのような大手の事務所の力が欠かせない」
専務の熱意に気圧され、僕は「はぁ」と曖昧な相槌を打つ。
僕に言われてもな。と内心では思っているが、それを素直に口に出せる雰囲気ではない。
助けを求め白木さんを横目で見たが、我関せずで黙々と食事を続けていた。もしかしたら、専務が僕にこの話をすることは、事前に伝えてあったのかもしれない。というか、おそらく、僕の仕事ぶりを見に来たのではなく、今日はこの話をするためにここに来たのだろう。
「彼女の独立の噂を聞いた頃に、一度声をかけたことはあるんだ。そのときは、個人事務所のほうが新しいことにチャレンジできるからと言って断られたんだけどね。もし、独立の目的が、報道通り三間君との結婚なら、尚更うちに来たほうがいい。佑美さんと結婚したら、三間君は今の事務所には居辛くなるだろう? うちなら、佑美さんと三間君の両方をまとめて引き受けることもできる」
「――え?」
聞き役に徹していた僕は、初めて声を発した。
「芸能人にとって、結婚というのはかなり難しいターニングポイントだからね。結婚後、一気にファンが離れてしまうタレントも多い。舵取りを誤ると、人気や仕事が激減することになりかねない。うちなら、結婚後も二人が活躍できるように、万全に環境を整えられる。だから、三間君と佑美さんが実際にそういう仲かどうかで、うちの方針も大きく違ってくるんだよ。柿谷君は二人のことについて、何か聞いてないかい?」
どうして誰も彼も、本人に直接訊かず、僕に訊いて来るのだろう。
「いえ。特には……」
今回の映画の撮影が終わったら、三間が佑美さんにプロポーズするつもりであることが頭をよぎったが、もちろん第三者の僕が誰かに話していい話じゃない。
「もし、二人の間にそういう話があるのなら、できれば結婚前にうちに移ってもらって、準備を整えたいと思っている。だから、二人のことについて何か知ることができたら、すぐに僕に教えてほしい。もちろん、そのことは僕の胸の内だけに留めると約束するよ」
「はぁ」
専務の熱意に気圧され、曖昧な返事を返す。
業界の中で、うちの事務所はいわゆる「やり手」と言われるほうで、他社が発掘し、育ててきたタレントが人気が出た途端、うちに移籍することはまあまあよくある話だ。『引き抜きはご法度』という不文律があるため、表向きは円満退社の形が取られているが、月城プロダクションの強引なやり方を快く思っていない事務所は多いと聞いたことがある。
現場に足しげく通い、面倒見がよいことでタレントや現場のスタッフからも信頼を得ている月城専務も、タレントの発掘や移籍に関しては歴代社長の方針を踏襲しているらしい。
本人と交渉する前に周囲から情報収集しようとするのも、「やり手」の一環なのかもしれない。
佑美さんは今は個人事務所で、前の事務所のマネージャーが今の事務所の代表だから、吸収合併のようにマネージャーごと月城プロダクションに移籍するパターンもあるんじゃないかと思う。
問題は三間だ。佑美さんが抜けた今、アプローズの看板俳優と言えば彼一人の状況なので、アプローズが簡単に手放すとは思えない。
何にせよ、月城プロダクションのような巨大事務所の上の人達の考えていることが、端 の僕にわかるはずもない。三間と佑美さんの関係を知ったとしてもそれを誰かに話す気はないので、専務の話は聞かなかったことにして頭の片隅へと追いやった。
稲垣がコップ片手に戻って来て、話もそこで打ち切られた。
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