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海外ロケとスキャンダル(17)

 体は石みたいに重怠いのに、心は満たされていた。  体の中で荒れ狂っていた欲情の波が引き、今はただ、深部にあたたかな熱を感じる。体内に残るアルファの精が、発情したオメガの心と体を穏やかにしてくれているように思える。  腕と同じように足も持ち上げられ、指先から丁寧に拭われる。 「……あと……シャワー……いく、んで……、だいじょ…………。部屋、戻っ……くださ……」  あとでシャワーに行くから大丈夫です。部屋に戻ってください。  と逃げを打ちたかったが、いかんせん、声も体も自分のものじゃないみたいに、自由にならない。  それだけでなく、意識も。夢の中にいるみたいに、自分とは別の、薄い膜の向こう側の誰かが思考しているような、ままならなさを覚える。 「明日の朝までここにいる。スタッフに見つからない時間には部屋に戻るから」  一人にしておけないほど、僕がひどい状態なのだろう。  申し訳なさとともに、どうしてそこまでしてくれるのだろう、とも思う。  自制の輪郭がぼやけ、疑問が、別の問いへと収束する。 「三間さ……は……、佑美さ……と……付き合っ……る……よね?」  ――三間さんは佑美さんと付き合っているんですよね?  ずっと、知りたかったこと。  でも、まともな思考なら、訊けなかったことだ。  訊いて、「そうだ」と言われたら、僕たちの裏切りが決定するから。  長すぎる沈黙に、一瞬意識が遠のく。 「付き合ってる……」  だからその返事も、現実味のない、夢の中の言葉のように聞こえた。  三間が何か話を続けているようだったけど。  やっぱりそうか、と思う気持ちが全ての情報を遮断し、言葉がまともに頭に入って来ない。  感情も、まるで他人事のように鈍磨していて、傷つくよりも、事実が感情を伴わずに、自分の中にすっーと浸透していく感じだった。  ぼんやりとした意識が、断片的に、三間の声を意味のある言葉として捉える。 「……高校の頃から好きで…………」  高校生の頃に出会ったって言ってたもんな。 「……結婚の準備も進めていて…………」  やっぱり結婚するんだ。旅行のときも、そんな感じのことを言っていたよね。  結婚して。『(つがい)』に、なるんだろうなぁ。  おめでとう……は、こんな恥ずかしい恰好じゃなく、映画の打ち上げが終わって、サヨナラするときに言うから……。今はごめん。  捉えた言葉に、心の中でいちいち合いの手を入れながら。一つ、これだけは言っておかないと、と思った。  そう思ったのは、たぶん膜のこっち側。夢の中ではない、理性を持った、現実の僕だ。  喘ぎすぎてカラカラになった喉に、力を込める。 「今夜のこ……は……忘れ……くださ……い…………」  今夜のことは、忘れてください。 「三間さ……人、助け……した……だけだ……ら……」  三間さんは、人助けしただけだから。 「僕……ベータ……して、生きて……んで……、オメガの……くのことは……わすれて…………」  僕はこれからもベータとして生きていくんで。オメガの僕のことは、忘れてください。  それがいい。そのほうがいい。  罪悪感と一緒に。今夜のことも、僕がオメガだったことも、忘れてくれたほうが。  その分、僕が全部覚えているから。  ただ一人、貴方だけが、僕のアルファだったことを。  これからもずっと、一生、覚えている。  言いたいことを言い終えて、満足した意識が、深い眠りへと沈んでいく。  瞼が腫れすぎて、これ以上は一滴も涙が出てこない。  それだけが、救いだった。

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