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第8話『足掻いた末に得たもの《静 side》』
「私だって……私だって!静と歩む未来を諦めたくないわ!でも、現実問題お父様に認められないと結婚は……」
『出来ない』と断定はしたくないのか、律子は口ごもる。
悩ましげに眉を顰める彼女に対し、僕は
「ああ、分かっている。でも、全く打つ手がない訳じゃない」
と、告げた。
反射的に顔を上げる律子の前で、僕は八神哲彦の言葉を思い起こす。
「あの人は確かに『跡取りでもない次男では』と言った。『他にもっといい男が居る』とも。なら────僕が律子と釣り合うような立場を手に入れれば、いい。それこそ、次期組長にでもなって」
「!?」
こちらを凝視して固まり、律子は目を白黒させた。
『正気?』とでも言うように。
衝撃のあまり涙も引っ込んだ様子の彼女を前に、僕はクスリと笑みを漏らす。
「茨の道であることは、承知しているよ。でも、律子と歩む未来のためならやってみせるさ」
とは、言ったものの……正直、そこまで勝算はない。
僕はこれまで地位や権力などに一切興味がなく、長男を補佐する立場に甘んじてきたから。
一体、どれほど出遅れているか……分かったものじゃない。
兄上より勝っているところと言えば、人脈と話術くらいかな?
『この二つを活かして、何とか跡取りになれないか』と悩む中、律子は平静を取り戻す。
と同時に、涙を拭った。
「────そういうことなら、私も協力するわ。静ばかりに苦労はさせられないもの」
凛とした面持ちでこちらを見据え、律子は僕の手を握る。
『拒否権はないわよ』と態度で示す彼女を前に、僕は思わず苦笑した。
本当に君は真面目で臆病で傲慢で泣き虫だな、と思いながら。
「じゃあ、二人でまた頑張ろうか。きっと、僕達なら成し遂げられるよ」
────という言葉を合図に、僕は現実へ意識を引き戻す。
畳の上に転がる律子と無表情で佇む彰を見据え、内心苦笑を漏らした。
結局跡取りの座は手に入らなかったし、律子という弱みは握られるし、で散々だな。
『兄上と手を組んだ上で、この結果か』と情けなく思いつつ、僕はそっと目を伏せる。
もう全面降伏するしか、道がないことを確信して。
『これ以上、足掻いたところで何も変わらない』と思案する中、彰が
「じゃあ、取り引き……いや、通告と行こう」
と、話を切り出した。
途端に表情を硬くする僕と律子の前で、彼は指を二本立てる。
「俺からの要求は、主に二つだ。こちらに全面降伏して、二度と敵対しないこと。そして、俺や真白に絶対服従すること」
「……えっ?」
何故か、今後もお付き合いを続ける方向で……僕も生きる方向で話を進める彰に、思わず目を剥く。
てっきり、殺されるものかと思っていたため。
「僕の命を狙っていた訳じゃ、なかったのかい?」
動揺のあまり直球で質問を投げ掛けると、彰は
「ああ、兄さんには生きていてもらわないと困るからな」
と、即答した。
ちょっと呆れた表情を浮かべながら。
「第一、殺すのが目的ならとっくに殺している。こんな回りくどい手、使わない」
『何のために|泳がせてきた《弱味を握った》と思っている』と溜め息を零し、彰は前髪を掻き上げる。
と同時に、足元へ視線を向けた。
「あと────先程話した要求には、八神律子も従ってもらう」
「「はっ?」」
意図せず律子と同じ反応を示してしまう僕は、目を白黒させる。
何故、彼女まで支配下に置こうとするのか分からなくて。
まさか律子を操って、八神組にちょっかいを出すつもりか?
彰は組の勢力拡大とか、裏社会の統一とか興味なさそうなのに……って、そんなことはどうでもいい。
今、重要なのは律子の未来と立場。
『彰の操り人形には、させられない』と思い立ち、僕は説得を試みる。
「それはさすがに難しいんじゃないかい?律子は他の組の人間なんだから。自分の意思では、どうにもならない部分もあると思うよ」
刺激しないよう細心の注意を払いながら譲歩を呼び掛けると、彰は
「ああ、分かっている。だから、二人には────結婚してもらう予定だ」
と、告げた。
『同じ組の人間になれば、問題ないだろう』と述べる彼を前に、僕と律子は小さく震えた。
一度は諦めた夢を叶えられるかもしれない、と知って。
でも、『期待するだけ無駄だ』と思う自分も居て……情緒不安定になる。
だって、あれだけ努力しても実現出来なかった願いだから。
「結婚なんて、そんなこと……出来る筈ない」
「そうよ、きっとお父様が反対して……」
ぬか喜びするのが怖くて懸念を零すと、彰は小さく肩を竦めた。
「問題ない。これまでの襲撃事件の関係者として八神律子を糾弾し、こちらに身柄を引き渡すよう言えばあちらは従うしかないだろう」
『他所の若頭に刃を向けるなんて、大事件だからな』と語る彰に、僕は目を見張る。
「なる、ほど。表向きは、人質兼生贄の政略結婚という訳か」
これは……僕には、なかった発想だな。
いや、無意識に思考から排除していただけかもしれないが。
だって、この選択肢を取れば律子は間違いなく社会的に終わるから。
少なくとも、八神組からは見捨てられる。
『それはあまりにも|酷《むご》い』と考えつつ、僕はチラリと律子の顔色を窺う。
己の行く末を想像して傷ついているんじゃないか、と思って。
でも、当の本人はあまり気にしていない様子だった。至って、平然としている。
「話は分かったけど……貴方はそれでいいの?結果的に私達の願いが叶って、喜ばせる羽目になるのよ?」
「だから、なんだ?俺に反抗する理由がなくなって従順になると考えれば、悪くない話だろ」
『こちらにも利はある』と主張し、彰は不意に自身の手のひらを見つめる。
「それに俺と真白の未来のためには、こうするのが一番手っ取り早いんだ」
────この一言で、僕は全てを察した。
何故、抹殺ではなく共存を選んだのか。
また、何故律子との結婚を提案してきたのか。
考えてみれば、至極当然の“答え”なんだけど……常人では、思いつかないことだね。
倫理的に問題があるから。
『彰って、一見まともそうなのに考えることエゲつないなぁ』と苦笑し、僕は額に手を当てる。
と同時に、律子とアイコンタクトを交わした。
色々と思うところはあるけど、好きな人と結婚出来るチャンスをみすみす逃す手はない。
そもそも、こちらに拒否権はないし。
首を縦に振るしかない状況を前に、僕はゆっくりと顔を上げる。
「話は分かった。全ての要求を呑むよ」
『彰に二度と敵対しないし、服従する』と告げ、僕は両手を挙げた。
もう本当に逆らう気はないんだ、と示すために。
律子も彰の言う通りにする意思を見せ、全身から力を抜く。
恐らく、降参ポーズの代わりだろう。
「そうか」
彰はゆっくりと拳銃を下ろし、律子から距離を取った。
かと思えば、こちらへ真っ直ぐ歩いてくる。
「じゃあ、俺の|配下《・・》として一つ仕事を頼まれてくれ」
僕の真横で足を止め、彰は詳細を説明した。
明らかにこちらの忠誠を試している内容に、僕は苦笑を漏らす。
まあ、口先の言葉だけじゃ信頼出来ないよね。
もう反抗する理由がないとはいえ、つい先程まで敵同士だったんだから。
警戒する気持ちは分かる。
でも、この仕事はなかなか……心が痛むなぁ。
『だからこそ、指定したんだろうけど』と考えつつ、僕はそっと目を伏せた。
胸の奥にある罪悪感を押し込めるように。
「分かった。引き受けるよ」
律子との未来をより確実且つ安全なものとするために、僕は冷酷になることを選ぶ。
と同時に、真っ直ぐ前を見据えた。
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