19 / 41
第19話『視察』
◇◆◇◆
────翌日の昼下がり。
朝まで真白を美味しくいただいていた俺は、スマホの通知音で目を覚ました。
と同時に、身を起こす。
が、右肩あたりに何か載っていて起き上がれなかった。
「ん〜……」
聞き覚えのある声が耳を掠め、右肩の重みが……いや、|押しが《・・・》増す。
肩に載っていたのは、真白の頭だったか。
そう理解するのに、時間はあまり掛からなかった。
『今、動いたら確実に真白を起こすな』と思い、俺は通知の確認を見送る。
もし急用なら通話を掛けてくるだろ、と考えて。
『どうせなら、もう少し寝るか』と思考を切り替える中、不意に右肩が軽くなった。
「ふわぁ〜……若くん、おはよ〜」
もぞもぞと起き上がり、軽く伸びをするのは真白だった。
どうやら、先程の衝撃で起きてしまったらしい。
裸のまま布団から抜け出して、テーブルの上にあったペットボトルを持ってきた。
かと思えば、中の水を口に含んでキス……いや、口移ししてくる。
常温で放置していたため生温いが、真白からの厚意なので素直に受け取っておいた。
「ん。もういいぞ」
『あとはお前が飲め』と言い、俺はようやく身を起こす。
と同時に、スマホをチェックした。
さっきの通知の正体は、九条のメールみたいだな。
何か進展でもあったのか?
『昨日の今日なのに』と思いつつ、俺はメールに目を通す。
添付された資料を確認すると、そこには犯罪記録のデータが。
『もう上から、許可を取ったのか』と半ば感心する俺は、直ぐさま二番目の兄へメールを転送した。
昨日の|経緯《いきさつ》と仕事の内容も、付け加えた上で。
あとはあっちで勝手にやるだろ。
完全に調査を丸投げする俺は、スマホの電源ボタンに指を掛ける。
スリープモードにしよう、と思って。
でも、画面を暗くする前に新着メッセージが届いて、動きを止めた。
兄さんから、みたいだな。
通知をタップしてすぐトーク画面に飛び、俺はメッセージを確認する。
と同時に、一つ息を吐いた。
|兄上《兄貴》を今回の仕事に同行させてもいいか、か。
まあ、それは構わない。
遅かれ早かれ、兄貴は外へ出そうと思っていたから。
長男派の奴らを安心させるために。
『本当に惇さんは生きているのか?』と疑問視している連中を思い浮かべ、俺は小さく肩を竦める。
そのうち大暴走して兄の弔い合戦でも始めそうだ、と思いながら。
『今は真白が怖いのか、大人しいけど』と考えつつ、俺はスマホのキーボードを打つ。
しっかり監督するなら、同行させても構わない旨を文章に起こして。
それにしても、兄さんは何故突然こんなことを言い出したんだろうな。
単なる同情か?それとも────。
などと考えていると、真白が空になったペットボトルを投げる。
カコンと音を立てて床に転がるソレを前に、彼はこちらへ擦り寄ってきた。
『ふわぁ……』と欠伸を繰り返す真白の前で、俺はさっさと送信ボタンを押す。
と同時に、彼の肩を抱き寄せた。
「眠いなら、まだ寝てていいぞ。今日はゆっくり……」
────過ごそう。
と続ける筈だった言葉は、スマホの通知音に遮られる。
『今日はよく連絡が来るな』と思いつつ、俺はスマホの画面を見た。
「親父から、メール?」
普段全くと言っていいほど干渉してこない人物なので、俺は思わず目を見開く。
『兄貴達の件で、何か言いたいことでもあるのか』と思案しながら、一先ずメールを表示した。
「……悪い、真白。俺はこれから、|仕事《・・》だ」
体にピッタリくっつく真白の頭を撫で、俺は『ゆっくり過ごせそうにない』と謝った。
すると、彼はおもむろに顔を上げる。
「ん〜……おっけ〜。準備する〜」
「いや、真白は留守番でもいいぞ」
『まだ眠たいだろう?』と気遣い、俺は真白を布団へ寝かせようとする。
が、
「やだ〜。僕も一緒に行く〜」
と、真白が駄々を捏ねた。
『別行動なんて、無理』と主張しつつ、彼は立ち上がる。
もうすっかり目が覚めてしまったのか、素早い動きで身支度を始めた。
『置いていかれて、なるものか』と奮闘する彼の前で、俺はスッと目を細める。
「そうか。なら、二人で行こう」
────と、告げた一時間後。
きちんと朝食……いや、昼食も済ませた上で俺達は繁華街へ繰り出した。
まだ昼下がりということもあって、人がまばらな道を二人で歩く。
「ねぇねぇ、若くん。今回の仕事って、一体何なの〜?」
今になって興味が湧いたのか、それとも単に聞き忘れていたのか、真白は今更すぎる質問を投げ掛けてきた。
『乱闘系だと嬉しいな〜』と述べる彼を前に、俺は腕を組む。
「一言で言うと、視察だな」
「視察?」
「ああ、抜き打ちテストとも言うな」
ちょうど見えてきた一つ目の目的地を見据え、俺は前髪を掻き上げた。
「桐生組の経営するホストクラブやキャバクラを訪れて、問題がないかチェックするんだ。夜の店は昼の店と違って、何かとトラブルが多いからな。目を光らせておく必要が、ある」
『ちょっと目を離した隙に、横領なり何なりされちまう』と語り、俺は腰に手を当てる。
と同時に、とある高級クラブの前で足を止めた。
本当はこれ、兄貴の仕事なんだけどな。
でも、今はもう任せられる状態じゃなくなってしまったから。
絶対に裏切らないという保証がない相手なので、桐生組の資金源となる店を委ねられなかった。
『誰か、監督してくれるなら話は別だが』と考えつつ、俺は懐からマスターキーを取り出す。
そして、素早く玄関の鍵を解錠すると、おもむろに扉を開けた。
「一応まだ出勤時間前だというのに、もう居るのか」
数あるボックス席の一つでグラスを拭いている女が目に入り、俺は少しばかり驚く。
一瞬、こちらの動きを察知して先回りしていたのかと疑ったものの……相手の反応を見る限り、偶然のようだ。
「あら、貴方は桐生組の……」
こちらを知っているのか、黒髪の女性は慌てて席を立つ。
慣れた様子で着物の袖を捌き、優雅にお辞儀した。
「ご無沙汰しております。本日はどのようなご用件でしょうか?」
若そうな見た目に反して随分と落ち着いている彼女は、礼儀正しく振る舞う。
ここで下手に媚びを売ったり、取り乱したりしないあたり出来る女のようだ。
「その前に君、誰なの〜?」
俺の後ろからひょっこり顔を出した真白は、不思議そうに首を傾げる。
『ただのキャストなら、引っ込んでいて〜』と述べる彼を前に、女は自身の胸元へ手を添えた。
「これは大変失礼しました。私はこの店舗を任されております、オーナーの|雛森《ひなもり》|咲良《さくら》です。以後お見知りおきを」
紺の瞳をうんと細め、雛森は深々と頭を下げた。
すると、真白は
「ふ〜ん」
と、素っ気ない返事をする。
『一応、責任者なんだね〜』と呟く彼を前に、雛森は自分の座っていたボックス席を手で示した。
「良ければ、座ってお話しませんか?」
『立ち話もなんですから』と気遣う雛森に対し、俺は首を縦に振る。
と同時に、真白を伴ってボックス席へ腰を下ろした。
その途端、雛森が席を外そうとする。
恐らく、お茶でも淹れるつもりなのだろう。
「もてなしは、いい。それより、話を……」
『聞きたい』と続ける筈だった言葉は────
「おはようございまーす」
────第三者の登場によって、遮られた。
裏口から入ってきたのか、その人物は奥の扉を開けて現れる。
と同時に、大きく目を見開いた。
「ありゃ?もうお客さん、居るんですか」
バッチリ化粧した顔に困惑を浮かべ、彼女は『開店まで、まだ数時間あるのに』と零す。
カールがかった茶髪を揺らしてこちらへ向かってくる彼女の前で、雛森は顔色を変えた。
「|風夏《ふうか》ちゃん、今は控え室に居てちょうだい」
「え〜?でも、お客様なら相手しないと」
『そしたら、こっちも儲かるし』という本音を滲ませ、風夏と呼ばれた女はここに居座ろうとする。
目先の利益しか見えていない彼女を前に、雛森は焦った表情を浮かべた。
「あの二人はお客様じゃないの」
「じゃあ、何なんです?」
「それは……」
下手に身分を明かすのは良くないと思っているのか、雛森は言葉に詰まる。
困ったように眉尻を下げる彼女に対し、風夏と呼ばれた女はニヤリと笑った。
「分かった、あの二人って雛森さんの太客なんでしょ?だから、取られないように牽制しているんだ?」
ともだちにシェアしよう!