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第36話『不器用《惇 side》』
「それじゃあ、残りの敵を片付けようか」
まだ戦いは終わっていないことを告げ、静は拳銃に新たな弾を装填した。
『一匹でも取り逃がしたら、彰に大目玉を食らうよ』と述べる彼を前に、俺と次男嫁は背筋を伸ばす。
あいつの恐ろしさは身に染みて、理解しているため。
いや、別に彰のことが怖い訳じゃないぞ?ただ、目の前の地雷をわざわざ踏む必要はないというだけで……。
などと心の中で言い訳しつつ、俺は踵を返した。
そして廊下へ出ると、三階の各部屋から順番に確認していく。
八神哲彦が主力メンバーを一緒に連れて行ったのか、あまり手応えのあるやつが居ないな。
正直、つまんねぇ。
これなら、ウチの部下達に稽古をつけていた方がマシだ。
逃走を図る敵に銃弾を放ちながら、俺は溜め息を零す。
────と、ここで一階の最奥の部屋へ辿り着いた。
『あとはここだけだな』と思案する俺は、扉を開いて中を確認。
一応隅々まで見て回ったが、人の姿はなかった。
まあ、ここに身を潜めるくらいなら一縷の望みに賭けて外へ出るよな。
一階だから、簡単に脱出出来るし。
とはいえ、逃げ切るのは不可能だろうけど。
この建物はもう包囲しているから。
『ウチの部下に捕まって終わりだ』と考え、俺は開きっぱなしの窓を一瞥した。
「そろそろ、引き上げるか」
その言葉を合図に、俺達は車へ乗り込み帰路につく。
一応、連れてきた部下の半分は見張りのため残したが、きっと大丈夫だろう。
『何事もなく夜が開ける筈だ』と確信する中、俺達を乗せた車はある店の前で止まった。
「……おい、静」
見覚えのある外観を前に、俺は思わず眉を顰める。
というのも、ここは────雛森咲良がオーナーを務める店だから。
『静のやつ、何を企んでやがる』と警戒する俺の前で、彼は苦笑を漏らした。
「そんなに怒らないでよ、兄上。勝手に連れてきたのは謝るけど、これは僕なりの気遣いなんだから」
「あ”ぁ?余計なお節介の間違いじゃねぇーのか?」
鋭い目つきで静を睨みつけ、俺は苛立たしげに頭を搔く。
今にもぶち切れそうな俺を前に、静はこう言葉を続ける。
「まあまあ、話は最後まで聞いてよ。実は先日────たまたま雛森咲良に会ってね。そのとき、兄上のことを相談されたんだよ。『最近、惇さんの様子がおかしい。何か知らないか』って」
「!」
ピクッと僅かに反応を示し、俺は少しばかり態度を軟化させる。
いや、驚いて毒気が抜けるとでも言おうか。
肩から力を抜いて黙り込む俺を前に、静は顎に手を当てた。
「さすがに抗争のことは話せなかったから言葉を濁したけど、何か重大なことが迫っているのは彼女も察している様子だった。だからこそ、兄上のことを凄く心配していたよ。無茶していないか、ってね」
じっとこちらを見つめ、静はゆるりと口角を上げる。
と同時に、俺の肩を軽く叩いた。
「そういう訳で、早く彼女を安心させてほしいんだ」
『ここへ連れてきたのは、そのため』と語り、静は早く会いに行くよう促してくる。
雛森にもう連絡していることを付け加える彼の前で、俺は目頭を押さえた。
「……話は分かった。でも、一つ納得が行かない。何故、そのことを今日まで黙っていたんだ?」
『もっと早く言えただろう』と指摘する俺に対し、静はスッと目を細める。
「それは偏に兄上のコンディションを崩さないため、だよ」
「はぁ?」
「雛森咲良の話を聞いたら、抗争に集中出来ないと思ったんだよ。こう言っちゃなんだけど、兄上って不器用だからさ」
『二つのことに気を割くなんて、出来ないでしょ』と主張する静に、俺は反論出来なかった。
自分があまり要領のいい人間じゃないのは、分かっているため。
それでも、『もっと早く知りたかった』と願うのは────雛森に関連することだからだろうか。
「……チッ!」
切なく鳴く鼓動を前に、俺は奥歯を噛み締める。
もう取り返しのつかないところまで、来ていることを悟りながら。
『こんな気持ち、いつかは手放そうと思っていたのに……』と思いつつ、俺は車の扉を開け放つ。
「迎えはいらない。さっさと行け」
そう言うが早いか、俺は車を降りた。
と同時に、扉を閉める。
背後で鳴るエンジンの音を他所に、俺は店の扉へ手を掛けた。
……開いている。
『営業時間はとっくに過ぎているんだから、閉めとけよ』と思いながら、俺は扉を開けた。
すると、グラスを磨いていた雛森が顔を上げる。
「惇さん」
どこかホッとしたように表情を和らげ、雛森は席を立った。
かと思えば、こちらへ駆け寄ってくる。
「おかえりなさい。全て上手くいったようですね」
俺の顔を見てニッコリ微笑み、雛森は『良かった』と胸を撫で下ろす。
どうやら、彼女には全部お見通しらしい。
「……こっちはお前の不安に気づいてやれなかったのに」
『不公平だ』なんて子供じみた考えを持つ自分に、心底嫌気が差す。
でも、これが俺の本心だった。
「えっ?今なんと?」
よく聞こえなかったのか、雛森は不思議そうにこちらを見つめる。
『もう一度、仰っていただけますか?』と述べる彼女を前に、俺はガシガシと自身の頭を搔く。
「別に何でもねぇーよ。ただの独り言だ。それより────」
そこで一度言葉を切ると、俺は紺の瞳を見つめ返した。
「────お前、もうすぐ借金完済だろ?」
『まあ、お前の作った借金じゃねぇーけど』と肩を竦めつつ、俺は腕を組む。
「これから、どうするつもりだ?」
話題変更がてらずっと気になっていたことを問い掛け、俺は『行く宛てはあるのか』と心配した。
その途端、雛森は暗い表情を浮かべて俯く。
紺の瞳に憂いを滲ませながら。
「可能な限り、ここで働こうと考えています。今更、普通の仕事に就いても上手くやっていける自信がありませんから。そもそも、学のない私では雇ってもらえないでしょうし」
『もう身寄りもありませんので』と語り、雛森はどこか寂しそうに笑う。
家族のために世間体を気にする必要がないことを、便利だと思うのと同時に憂いているのだろう。
「そうか」
気の利いた言葉一つ掛けられない俺は、ただ相槌を打つことしか出来なかった。
我ながら、凄く無愛想だと思う。
『彰より、酷いかもしれない……』と自責しつつ、俺は天井を見上げた。
「……なら、俺のところに来たらどうだ」
「えっ?」
思わずといった様子で声を上げ、雛森はパチパチと瞬きを繰り返す。
「そ、れは……あの……どういう意味でしょうか?」
『仕事の勧誘?それとも……』と思案する雛森に、俺は一瞬黙り込んだ。
ちゃんと言葉にするのは、躊躇われて。
嗚呼、クソッ……何でこんなに心臓が……下克上のときですら、もう少し落ち着いていたっつーのに。
『どんだけ緊張してんだ』と自分に呆れながら、俺は腹を括る。
こうやってウジウジ悩んでいるのは性に合わない、と奮起して。
「だから────俺のところに|嫁に《・・》来いって、言ってんだよ」
確かな意志と覚悟を持ってそう答えると、雛森は大きく目を見開いた。
かと思えば、感極まった様子で涙ぐむ。
「じゃ、じゃあ惇さん|も《・》私のことを……」
「ああ、愛している。じゃなきゃ、連絡先なんて交換しねぇーし、わざわざ会いに来ねぇーよ」
『こんな対応をしたのは、お前が初めてだ』と言い、俺は小さく息を吐く。
と同時に、サングラスを押し上げた。
「で、返事は?」
きちんと手応えは感じているものの、上手くいく保証はどこにもないので少し不安になる。
『なんせ、こっちは極道だからな……』と思い悩む中、雛森は俺の手を優しく握った。
うんと目を細めながら。
「もちろん、喜んでお受けします」
『私も惇さんのことを愛しているので』と宣言し、雛森は幸せそうに微笑む。
「ふつつかものですが、末永くよろしくお願いします」
余程嬉しいのか僅かに声を弾ませ、雛森は真っ直ぐこちらを見据えた。
喜びで満ち溢れた瞳を前に、俺は少しばかり表情を和らげる。
「ああ、よろしく」
やっぱり気の利いたこと一つ言えない俺は、ただただ頷くだけ。
でも────決して、雛森の手は離さなかった。
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