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第7話 逃げるのはやめにした
※imooo様主催の #再会年下攻め創作BL 参加作品です。
何を言っているんだと言われるのは承知の上だ。だが言わせてくれ。
僕には前世の記憶がある。
それは地球ではない、次元を超えた遠い場所の記憶だ。
僕はナサミール国の宰相補佐をしていた。
各省庁と調整を取り、国を動かす歯車の一部だ。
気難しい上役から判をもぎ取るため情報を収集し、会話に花を咲かせることで上手く仕事を回していた。
だからこそ、誰からも嫌われることなく仕事を進めていた。
彼を除いて。
彼は騎士団の副騎士団長の補佐をしていた。
平民の出だが、その実力は国一番と言われている剛の者だ。
口数は少ないが、言うべきことは言うし余計なことは言わない。
彼もまた、僕と同じで将来を嘱望される立場にあった。
その彼が唯一敵意を向けるのが僕だった。
僕たちに仕事以外の接点はない。
いや、仕事でもあったかどうか。
僕が副騎士団長の部屋に判を貰いに行くと、当然のことながらそこには補佐の彼がいる。
彼は決まって僕を鋭く睨みつける。
長居するときは無言で、僕を睨みながら茶を振る舞った。
彼との会話はその時の「どうぞ」「ありがとうございます」くらいだ。
僕の何が彼の気に障ったのか。今もわからないままだ。
諸外国との戦もなく平和な世で、平穏に暮らしていた。
それが終わったのはある春の日だ。
辺境に封じられていた魔王が復活したのだ。
封印が何者かに破られ奴は自由の身となった。
その知らせが届いたのは、まさに魔王率いる魔獣の軍勢が王都に攻め込んできた時だ。
何もかもが遅かった。
騎士団は民を避難させながら戦い、王宮にいた上級官吏たちは王族を隠し通路から逃す。
国を奪われても、王族の血が絶えない限りナサミール国は民の心に在り続ける。
一縷の希望を胸に暗い隠し通路を走った。
そろそろ出口だと言う時、背後から悲鳴が響いた。
「魔王……」
それは誰が見てもそうだとわかった。
腰まで伸びる長い黒髪に、吸い込まれるような紫水晶の瞳。
口元は鮮血のように赤く、弧を描いている。
まさに、伝承と同じ姿だ。
「逃げろ!」
僕は彼から突き飛ばされた。
それと同時に、彼は魔王が放った魔力の塊を剣で受け止めた。
だが、ただの剣が、人が、そんなに長く耐えることなど出来はしない。
僕は即座に魔力と剣の間に自分の魔力を滑り込ませ、彼と共に剣を握った。
例えここで死に絶えようとも、王たちが逃げられれば僕たちの勝ちだ。
ほんの数分でいい。
それだけあれば、僕たちの死は無駄にならない。
「逃げろと言ったはずだ!」
「馬鹿を言えッこれが最善の選択だ!」
「くそっ……!」
彼が悪態を吐く。
こんな時でさえ、彼からは嫌悪の情を向けられる。
この世に未練があるとするならば、それは彼から嫌われるその理由を知ることができなかったことだ。
ビキッという音と共に、両手に衝撃が走る。
剣に亀裂が走り、残り時間が少ないことがわかる。
まだた、あと少し耐えてくれ。
魔力を限界まで解放し続けることは容易いことではない。
だが、僕はまさしく必死で魔力を操り続けた。
そして、とうとう魔力が尽きた時、僕らに死が訪れた。
かろうじて原型を保っていた剣は砕かれ、黒い魔力の塊が襲う。
真冬の海に突き落とされたかのように全身が極寒に支配される。
唯一、彼に触れていた手だけが、僅かに温かかったような気がした。
そして、僕はその命の花を散らした。
*
僕が前世を思い出したのは、中学二年生の時に大ヒットしたゲームをプレイしたのがきっかけだ。
そのゲームは『ナサニール』というタイトルで、その音の響きが懐かしく思えた。
何かに操られるようにパッケージを手に取り、気が付けばレジで会計をして買っていたのだ。
何となしにゲームを始め、そのプロローグを見ていた時、唐突に思い出した。
復活した魔王に襲われた国の王子が隠し通路から逃げ延び、復讐を誓って魔王討伐の旅に出る。
それがゲームの内容であり、そのプロローグに僕の最期が語られていたからだ。
そう認識した瞬間、記憶の濁流に呑まれた。
最初は、世にいう中二病かと思った。
だが、繰り返し夢で前世を追体験するうちに認めざるを得なくなった。
全部覚えている。
仕事に奔走して得た達成感も、魔王の魔力が酷く冷たかったことも、死の間際に感じた僅かな温もりも。
僕は彼で、彼は僕なのだと。
その後、不思議なことに僕の学力が徐々に伸びた。
宰相補佐をしていた時の頭脳が覚醒したのかもしれない。
難関と言われる有名私立高校に首席で合格した僕は、物事を効率よく進める手腕を遺憾無く発揮し生徒会長になった。
「春の訪れを感じるこの良き日に本校に入学された新入生の皆さん。ご入学おめでとうございます」
高校三年生になった僕は、よく晴れた入学式の日、在校生代表として登壇し祝辞を読み上げていた。
真新しい制服を着た後輩たちは希望に目を輝かせながら式に挑んでいた。
それに触発され、僕も気持ちを新たに残りの高校生活を過ごせそうな気がした。
その放課後、僕は生徒会室の鍵を持って静かな特別棟を一人で歩いていた。
遠くから運動部の掛け声や歓声が聞こえる。
それに耳を傾けていた時、不意に腕を引かれた。
「ダニエル、殿……?」
そこには、前世の僕が最期を共にした最強の騎士が姿を変えずにそこにいた。
艶のある黒い短髪に、凛々しく上がった眉。
意思の強そうな切長で焦茶の瞳。
身長は僕よりも十センチは高く、制服の上からでも逞しい筋肉がついていることがわかる。
彼がつけている緑のネクタイから、今年の一年生であることは明白だ。
僕が彼の名を口にした瞬間、彼の腕の中に引き寄せられた。
そして、強引に口付けられた。
荒々しいキスのはずなのにどこか優しく、そしてたどたどしい。
だというのに、僕はそのキスに翻弄された。
はっきりとわかったのは、その温もりがまさしく前世の死の瞬間に感じたものと同じだということだ。
「どういう、つもりだ……」
一瞬で永遠のようなキスは、唇に吸い付かれたことを合図に終わった。
それを名残惜しいと思った僕の息は激しく乱れている。
「やはり、コンラート様なのですね」
「答えになっていない」
彼の腕から抜け出そうと踠いたが、普通体型の僕が立派な体格の彼から抜け出せるわけがない。
十センチ上にある彼を睨め付ける。
「好きだからです」
真っ直ぐな視線に貫かれる。
きっぱりはっきりと、その言葉は僕の耳に届いた。
「は……? 僕を嫌っていたのではないのか」
「違います。なぜそうなるのです」
「いつも睨みつけてきただろう」
「睨みつけ……? 俺はあなたを見つめていただけです。口下手な俺にはあなたに話しかける勇気がなかった」
そんな馬鹿な。
彼は確かに口下手だったが、誰にも臆することなく話をしていたはずだ。
それなのに、僕に話しかける勇気がなかっただって?
「だからって、いきなりキッ……キスはないだろう!」
「それは本当に申し訳ない。あなただと思うと止められなくて」
「反省してくれ」
「しています。ただ、また想いを告げることなく死にたくはない」
その切実な言葉は、なぜか僕の胸を締め付けた。
彼が見ているのは今の僕ではなく、前世の僕だ。
それがどうしようもなく焦燥を掻き立てる。
「僕は紺谷裕大だ。コンラートではない」
「わかっています。そして、俺は神園大和です。これから、今の俺を見て、知って、感じてください」
左手を取られ、チュッと音を立ててその手の甲に口付けられる。前世でいうところの求愛のキスだ。
「っ……!」
「では、俺は部活があるのでこれで。明日、また会いましょう」
「え、ちょっ……ちょっと待て!」
ダニエル改め神園大和は、言いたいことを言って満足するとその場から駆け出した。
その体躯に見合った身体能力を遺憾なく発揮し、あっと言う間にその姿を小さくした。
「何が、どうなっている?」
僕は告げられた彼の想いと迅る鼓動に混乱した。
顔が、体が熱い。
僕の中にあった何かが動き出す予感がした。
その予感は当たっていた。
神園大和は飽きることなく毎日僕のところにやってきた。
剣道部の特待生として入学しており、その実力は前世と同じく最強で、次々と優勝楯を増やしていった。勉強の成績も良く、文武両道を地でいく男でもあり、誰からも好かれている。
それが彼だ。
気が付けば連絡先を交換し、短いやり取りが毎日続いた。
彼は言葉を惜しむことなく僕への好意を告げてくる。
それに絆されないわけがない。
でも、決心がつかなかった。
前世に引き摺られていないか。
僕が好きなのは、本当に神園大和なのか。
僕の高校卒業を機に改めて交際を申し込まれたが、答えを出すことはできなかった。
それから、大和の高校卒業、二十歳の誕生日、大学を卒業して就職する時と、節目で交際を迫られたが、僕はその度に逃げ出した。
気を持たせるだけ持たせて、いざとなったら逃げ出し、それでも彼の元から離れることはない。僕は酷い男だ。
そして、とうとう再会から十年が経った今年の春。
桜を眺めて綺麗だと言う彼の穏やかな横顔を見て、僕は心を決めた。
「大和」
「何ですか?」
「これ」
大和の家で夕飯を食べ、ソファに並んで座って休んでいる時、おもむろに彼に差し出したのは二つの銀の輪だ。
「遅くなってごめん。僕も、好きだよ」
僕が逃げ回っていたせいで、大和には随分気を揉ませてしまった。
普通なら愛想を尽かしているはずなのに、十年も待ってくれた大和には頭が下がる思いだ。
僕が大和の左の薬指に銀の所有印を通すと、彼は震える手で残った指輪を手にし、僕の左の薬指に嵌めてくれた。
「好きです。愛しています」
その声は小さく震えていた。
「僕も、愛している」
静かに涙を流す大和を宥めるため、僕は彼の目尻にそっと口付けを落とした。
冷たい春は消え去った。
今この瞬間、どこまでも果てしなく続く喜びの春が訪れた。
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