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そして午後の授業は平凡に過ぎ、放課後になった 東がまた相澤を呼び止めたが、女子たちに囲まれて身動きが取れていないのをいいことに、そそくさと帰り支度を整え、学校を後にする もちろん行き先は東の家ではない ルーティーンになってしまっている元住んでいた家の近くの、廃れた公園に吸い寄せられるように足を運んでいた ベンチに座り、鞄を開け参考書を開きパラパラと目を通す そうして30分が過ぎた頃、相澤の背中に声が掛かる 「……優斗」 相澤はその声とほぼ同時に振り返り、後ろに立つ人物を確認して、微笑む 「母さん」 母さんと呼ばれたその人は、また一歩相澤の元へ歩を進める 「優斗、本当に今までごめんなさい……辛かったわよね。…………捕まったのね、あの人は」 「気にしなくて良いよ。それより、お腹の子の調子はどう?」 その女の人は、蒸発したはずの優斗の実の母で、今は別の家庭を持ち、幸せそうに暮らしていた 本来ならば我が子を捨てた母親なんか、死ぬほど憎み恨んでもおかしくはないはずなのに、優斗はその人に優しく微笑む 「順調よ。………それよりこれ、今月のお金」 そう言って母親は、相澤に分厚い茶封筒を手渡す。厚みからしてざっと30万はくだらない 「うん、ありがとう」 高校2年生の身分では余る程の金額を、躊躇なく手に取る 相澤には幼少期の記憶が無い 母親が蒸発して父に嬲られベランダに放り出された日、アパートの三階から身を投げた だけど残念なことに命に別状はなかった。 しかし打ちどころが悪かったのか、その日を境に中学1年より前の記憶を失ってしまっていた その三ヶ月後、入院中の相澤の元に母親と名乗るこの女が突然現れ、綺麗な顔を涙で崩しながら面会時間が終わるまで謝り続けた。 それから毎月一回、罪滅ぼしのように子供の身に余る金銭的援助を与えていた 記憶のない相澤にとっては、怒りや悲しみもなく、ただ大学資金を円滑に貯める一つの手段として、有り難く頂戴するだけに過ぎなかった。 何の恨みもなく、だからといってその施しに罪悪感も躊躇いも一切湧かないのが、自分の失われた記憶の中にある答えなんだと信じて 「あんまり遅くなると体冷やすよ」 「え、……えぇ、そうね……」 そうやって毎回こっちから適当に話を切り出し、いつも何か言いたげに悲しそうにする母親の顔を見ないふりをして、笑顔で見送るのがお決まりの別れだった。そう、いつもは。

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