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第1話 呪いの巫女は人間に出会う③

 男はグランと名乗った。というか、聞く気もないのに勝手に名乗られた。  冒険者をしていて、少し前から麓の町に滞在しているらしい。山道を見つけて、散歩がてらに足を踏み入れてみたが迷ってしまい、途方に暮れていたところでリンネを見つけたとか。グランが一方的に語るので、リンネは遮るタイミングを見失って、一通り聞いてしまった。 「まさかこんなところで人に出会えるなんて思ってもいなかったから嬉しいよ。立ち話もなんだし、良かったら座って離さない?」 「は――いやいやいや!」  あまりにも当然のようにグランがそう言うので、思わず大声を上げていた。何々、ときょとんとした様子でグランは周囲を見回す。あまりにも能天気な様子にリンネは苛立ちよりもまず困惑を覚えた。 「この山がどういうところか知らないわけじゃないだろう。普通の人間がこんな領域に踏み込んで、ただでは済まないぞ!」  別にこの人間を心配して言っているわけではない。ここで死なれでもしたら寝覚めが悪いだけだ。  実際にこれまでにも何人か、知ってか知らずかこの山に踏み込んだ人間を見てきている。自分で逃げ帰ってくれるならまだしも、中途半端なところで倒れているのを、リンネがわざわざ麓まで運んでやったこともある。  助けてやったのに、何故だか人間たちにはまるでリンネが何かをしたかのように睨まれて、大層嫌な思いをした。  しかし、グランは脅し文句に怯むこともなく、逆に得意げな顔をして胸を張った。 「知ってるよ」  それから、自分でしたくせに大仰な仕草が恥ずかしくなったのか、照れて頭を掻く。 「体質でね、呪いとかそういうの、あんまり効かないんだ」 「はあ?」  何を言い出すんだ、と思わず気の抜けた声が出た。  そんな体質の人間がいるなんて、聞いたことはない。だが、実際にグランの顔色は良く、呪いの影響を受けていないようだ。  もしかして、自分と同じように強い呪力を持っているのか? その割には気の抜けた無害そうな顔をしている。思わずじろじろと見つめていると、グランは居心地が悪そうに身じろぎをした。 「別に、大したもんじゃないよ。俺なんかのことより、君は?」  突然の問いかけにリンネは狼狽した。自分のことを尋ねられる経験など、久しくしていない。拒否を表すために視線を逸らすと、そちらに回り込まれる。逆に逸らせば、逆側に。無垢な視線は無視するにも煩わしく、リンネは諦めて口を開いた。 「……この頂上の神殿で神に仕えている」 「へえ、なんだかすごいね! 名前は?」 「貴様に名乗る必要があるのか?」 「あるよ、これからなんて呼んだらいいかわからないでしょ」  これから。一体何のつもりでそんなことを言っているのか理解できずリンネは心の中で首を捻る。だが、「ねえ、教えてよ」と再度甘えたような声で言われて、ため息をついた。 「……リンネ」 「へえ、綺麗な名前だね、リンネ」  口の中でグランが繰り返し何度か呟く。不思議な感覚だった。人間に『リンネ』という名前で面と向かって呼ばれるのが、相当久しぶりだったからだ。この山に捨てられてからだと、初めてかもしれない。  普通の人間はリンネのことを「アレ」とか「巫女」とかそういう名詞でしか呼ばないし、そもそも言葉を交わすこと自体ほとんどなかった。

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