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第1話 呪いの巫女は人間に出会う②

 神殿を出たリンネは籠を背負って、踏み慣らされた道を軽い足取りで下りはじめた。山と言っても、実はたいした標高があるものではない。鬱蒼と木々が茂っているので道に迷えば危ないところもあるが、慣れていれば一時間も歩けば麓にたどり着く。特にリンネは脚力には自信があった。  頂上から少し下ると、黒い霧は薄くなり、動物たちも暮らしている。軽やかな声で鳥が鳴き、湿った風が頬を撫でる。暑い日々もつい先日終わり、涼しく、過ごしやすい日が続いている。足元をリスの親子が駆けていくのを穏やかな顔で見送った。  やがて、リンネは目当ての林檎の木にたどり着いた。果実がたわわに実っていて、枝をしならせる。ちょうど熟し始めたところなのか、赤いものと青いものが混ざりあって、太陽の光を浴びている。  リンネは籠をいったん地面に下ろすと、手に届く範囲のものから瑞々しい実をもぎ始めた。鼻を近づけると、淡く甘い匂いがして、ふと頬が緩む。  基本的にリンネの生活は自給自足だ。山菜や果実を採ったり、動物や魚を狩ったりして自分の食事は賄っている。呪いの力は人間以外の動物や植物には効かないうえに、人間がこの地を踏み荒らすこともないため、呪いの山という言葉の響きとは裏腹に、自然は豊かだ。  リンネはこの生活を充分に気に入っていた。ここは完結した美しい空間だ。  朝日と共に目覚め、穏やかな日差しの中で自然と共に暮らし、暗くなれば眠る。その繰り返しが一番幸せだ。  だが、実際のところはそれだけでは立ち行かない。薬など、どうしても人里に降りて行かなければ手に入らないものもある。  『巫女』という肩書があるためか、はたまた呪いの力を恐れているだけか、物を手に入れることはできた。だが、優しさを向けられたことはない。人々は皆、後ろ指を指し、時には子供に石を投げつけられるようなこともあった。  小石が頭にぶつかった時の痛みを思い出して、リンネは舌打ちをする。やっぱり、人間なんかと関わってもろくなことはない。  リンネは苛立ちを誤魔化すように、籠から林檎を取り出した。だが、荒い手つきのせいで指を滑らせて、地面に落としてしまう。バウンドした果実は、そのままでこぼこした山道を不規則に転がり落ちていく。 「あっ……」  声をあげて立ち上がり、追いかけようとしたところで、急に近くの茂みが揺れて、がさがさと大きな物音がした。  リンネが驚いて警戒を強めた次の瞬間、茂みを掻き分けて一つの影が飛び出す。  現れたのは、人間の男だった。  ふわりと柔らかく揺れる、太陽を吸い込んだような金色の髪。すっと通った鼻筋は精悍に見えそうなものなのに、穏やかな目元と少し垂れさがった眉が優しげな印象を与える。 「おっと」  男は流れるような動作で長身を屈め、赤い果実を拾い上げる。まさか人間が現れるとは思っていなかったリンネは一瞬動きを止めた。目を丸くしたのは相手の男も同じだ。  二人は数メートルの距離を保ったまま見つめ合う。  時が止まる。永遠と思えるような刹那。  先に動いたのはリンネだった。我に返って獣さながらの跳躍で飛びのく。片手でローブのフードをかぶると、もう片方の手で石の小刀を抜いて男へと向ける。 「ただの人間が、この山に何の用だ!」  警告の意志を込めてリンネは強い声色で男に問いかける。答を期待したわけではない。むしろ、尻尾を撒いて逃げ帰ってくれれば重畳だ。  だが、男は退くどころか、むしろゆっくりとした足取りでリンネへと歩み寄ってきた。  彼の動作があまりにも穏やかで悪意がないものだったから、リンネはうまく反応することができなかった。そのまますぐ近くまでの接近を許してしまい、無意識に自分の腕で身体を守る。  目の前まで来た男は、おもむろにリンネの手を取った。驚きに跳ねたリンネの手を優しく包み込むようにして、そっと赤い果実を握らせる。 「これ、落としたよ」 「……は?」  突然触れた体温にリンネは目を丸くする。  言葉もないリンネの目の前で男は優しく微笑み、さあっと思い出したかのように吹いた風が柔らかに二人の髪を揺らす。  この出会いがベタであることなど、リンネには知る由もなかった。

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