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第2話 芽生えた感情②

「な、な……」  昨日見たのと同じ姿。リンネは一瞬、まだ自分が悪夢を見ているのかと思ったが、すぐにそんなわけはないと思い直す。 「もう来るなと言っただろ!」  困惑に裏返った声で思わず怒鳴りつける。  それと同時、グランは勢い良く頭を下げた。ほとんど直角に近く、そのまま地面に跪くんじゃないかというくらいの勢いに、リンネは思わずたじろぐ。 「ごめんなさい!」 「はあ……?」  そこから、さらに大きな声で謝罪をされたものだから、リンネは圧倒されて思わず一歩後ずさった。返答も出来ずただ口をパクパクさせてグランの頭頂部を見ていると、彼は言葉を続けた。 「君のことを何も知らないのに、一方的に評価し、哀れんだ。そんなことは、するべきではなかった。本当に申し訳ない」  そしてさらに、ぐっと頭を下げる。  あまりにも真剣で揺らぎない姿を見て、リンネは思わず額を押さえていた。 「わ、わざわざそんなことを言いにここまで登って来たのか?」 「そんなこと、じゃないんでしょう?」  グランの言葉にリンネは黙る。  確かにそうだ。先に彼の言葉に対して逆上したのはリンネの方だ。グランの言葉はリンネを傷つけた。それはどうしようもなく事実だ。  だが、その一方で、この痛みは誰にも顧みられないものだと思っていた。  こんな人間は初めてだ。呪いが効かないだか何だか知らないが、わざわざ山奥までやってきて。リンネを蔑むどころか、頭まで下げた。  実際のところ、この男に悪意がないことくらい、リンネも気付いていた。人間のことは嫌いだが、だからといってネチネチと責めるような趣味もない。 「もういい。頭を上げろ」  はあ、とため息をつくと、グランがばね仕掛けのように勢いよく顔を上げた。真っ直ぐにリンネの顔を見ると、安堵したように柔らかく笑う。そんな屈託のない表情を向けられるのに慣れていないせいか、リンネは居心地悪く目を擦った。 「許してくれるのか?」 「別にっ……許すも許さないもない。お前がどう思っていようと僕には関係ないから」 「っ……ありがとう! 君の寛大さに感謝する」 「うるさい」  気まずさを誤魔化すようにリンネは腕を組んでグランを睨みつけた。  そこでふと、グランの頬に残った傷が目に留まった。一本線のかさぶたができている。  そうだ、こいつ、昨日僕に切られたんじゃないか。次はもっとひどい目に合うかもしれないのに、本当に馬鹿なやつ。リンネはますます呆れて、さっきまで抱えていた怒りやモヤモヤはすっかりしぼんでいた。 「この話はもうおしまいだ。気が済んだなら帰れ!」 「あの、それなんだけどさ……」  リンネは手で追い払う仕草をしたが、グランはその場を動かなかった。代わりに、ちらと甘い視線をリンネに向ける。 「もしリンネさえ良かったら、もう少しここにいてもいいかな?」 「は?」 「君のことをもっと知りたいんだ。もちろん、君の邪魔はしないし、なんでも手伝うよ。ダメ、かな?」 「いいわけ――」  と、人懐こく小首をかしげた顔面に強い拒否の言葉をぶつけようとしたところで、ふとある考えが頭に浮かんだ。  この男を追い返したところで、また性懲りもなくやってくる可能性がある。昨日あんな目にあったのに、のこのこ現れる奴なのだ。  だったらすぐに追い払うのではなく、つれない態度を見せてやった方が諦めるんじゃないか?  リンネは自分の考えに内心でほくそ笑んだ。そうだ、こいつも今は親しげなふりをしているが、僕は人間なんかとよろしくやるつもりは毛頭ない。冷たくしていれば、そのうちボロを出すはずだ。 「……好きにしろ」 「本当? ありがとう!」 「邪魔したらすぐ追い返すからな」 「わかった!」  笑顔で拳を握るグランを見て、そんな顔をできるのも今の内だ、とリンネは思った。

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