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第2話 芽生えた感情③

 思ったはずだったのに。 「釣り好き? 俺も好きだよ、最近はやってなかったけど、小さい頃はよくおじさんに連れて行ってもらってさ」 「知らん」 「実家の近くに池があったんだよ、ここみたいに綺麗な所じゃないけどね。せっかく小さい船を出してもらったのに、池の真ん中でオールを落として号泣したっけなあ」 「うるさい」 「船といえば海で釣りしたこともあるんだ。港町に滞在してた時に手伝わせてもらって、あれはいい経験だったよ」 「…………」  碌な返事もないのにべらべらと喋り続けるグランをリンネは横目で見た。  さっきからずっとこの調子だ。グランを退屈させてやろうと思って川のほとりまで釣りをしにきたのに、意に介した様子もない。しまいにはそこら辺に落ちていた枝を拾って、器用に釣り竿もどきを作って隣で糸を垂らし始める始末。  はじめ、沈黙を嫌がって無理に喋ろうとしているのかとも思ったが、横目で見た姿にはそんな雰囲気はない。あくまで自然体だ。無視をされてもネガティブな感情を抱いているような素振りもなく、ただ喋りたいから喋っているらしい。 「……お前、スゴイな」 「え、そうかな?」 「褒めてない」  あまりにも不毛に見えたので皮肉を込めて言うと、グランは照れたように頬を掻く。リンネは呆れた半目をグランに向けたが、それに対してもニコッと混じりけのない笑顔の花が咲いて、リンネは辟易した。 「やっとこっち見てくれた」  ウインクされ、リンネは顔をグランから背けて、流れる水面に視線を戻した。だが、その動作自体がグランの言うことに反応してしまっているという事の証左で、どうあってもリンネの負けだ。  それでいうなら、グランの隣で釣りを続けている時点で、か。  うるさいと言いながらも、口を無理やりふさぐようなことも、言葉を遮ることも、それどころか距離を取ることすらできていない。これでは、おとなしく相槌を打っているのとほとんど変わりはない。  ――まるで、僕がこいつの話に興味を持っているみたいだ。 「船の上で朝焼けを見たんだ」  そんなわけないと耳を塞ごうとするのに、グランが先ほどまでの軽妙な語り口から一転、声を潜めたので、リンネはつい耳をそばだててしまった。 「夜の海っていうのは、一番怖い。光で照らしても底の見えない本当の漆黒。ささやかな月明かりは波の頂上だけを白く光らせて、却って波間の闇の深さを顕わにして……そこに広い眠りと死があるんだと教えてくれる。でも、その静寂は幻想的で、魅力的でもあって、気を抜くと引きずり込まれそうにもなる」  紡がれる言葉は、リンネが本で読んできた詩ほどに洗練されているわけではない。だが、より強い実感を持ってリンネの心に訴えかけた。  リンネは実際の海を見たことがない。だから、空白のキャンバスの上に筆を走らせるように、グランの言葉がリンネの頭の中に光景を浮かび上がらせていく。  想像する。船の上に立つ自分を。自分を包む漆黒を。差し込む白銀の光を。 「けれど、少しずつ夜の世界は終わりへと向かっていく。空の淵から藍色に染まり始めたかと思うと、ある瞬間に赤い閃光が水平線を走るんだ。それから、一拍遅れて、海鳥の声を合図に太陽が顔を出す。眩しい光が水面を照らして、波の一つ一つが煌めく。一秒ごとに光の模様が形を変えて、俺は、ああ、世界が目覚めて呼吸をし始めたと気が付くんだ」  リンネの視界も急に光が走ったように眩しくなった気がして、手のひらがいつの間にか汗ばんでいた。釣竿を取り落とさないように強く握り締める。 「まあ結局、俺はそのあと居眠りしちゃって、船頭さんに怒られたんだけどね」 「なんだそれ」  台無しだ。せっかく描いていた綺麗な光景が、間抜け面で上書きされてしまう。  リンネはふっと笑いを零していた。それから自分が笑ったことに狼狽する。釣竿が滑り落ちそうになって、慌てて握り直す。  別にこれは違う、こいつが間抜けだから笑っただけだ。話が面白かったわけじゃない。勘違いしてもらっては困る。  またさっきみたいにからかわれるのが予期できて、リンネは先手を打ってグランのことを睨んだ。だが、グランの表情はリンネの想定とは違っていた。

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