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第2話 芽生えた感情④
眉を下げ、どこか弱弱しくさえある力のない笑みは、安堵と呼ぶべきものだ。
リンネは困惑する。だが気付いた瞬間には、グランの表情は先ほどまでと同じ軽薄な笑みで上書きされていて、そのことがますます先ほどの陰を浮き彫りにした。
なんで、お前はそんな顔をするんだ。
なんで、僕はそんなことが気になるんだ。
二つの疑問が頭の中に浮かぶ。
だが、後者の疑問の答は、心のどこかで理解していた。
こいつは僕を怖がらない。こいつは僕を哀れまない。こいつは僕を傷つけない。
リンネのことを名前で呼んで、家まで会いに来て、傷つけたと思ったら謝って、隣に一緒に並んで釣りをして、楽しげに喋りかけてくる。
一つ一つは特別なことじゃないかもしれない。だが、リンネにとってはどれも初めての経験だった。
人間のことが嫌いだ。人間なんて信用できない。
その気持ちには変わりはない。だが、今この瞬間目の前にいる男に対しては、それだけの感情では片付けられない。
――僕はこの男に興味を抱いている。
自覚した瞬間、急激に眩暈がした。
人を憎む、という事は簡単だ。ただ自分の感情に炎をくべているだけで良い。
でも、今抱いている感情は、もっともっと複雑だ。邪魔で、うるさくて、どっかに行ってほしいのに、どうにも気になって、もっと話を聞きたいと思っている自分もいる。
色んな材料をまぜこぜにして煮込んだスープのような感情は、濁流となってリンネを襲う。知恵熱を出す赤子と同じように、リンネの頭はオーバーヒートしそうになっていた。
「どうしたの?」
流石にリンネの様子がおかしい事に気が付いたのか、グランが子供の熱を測るように顔を近づけた。
「うわぁ!?」
リンネは思わず大きな声をあげて後ずさった。だが座ったままいきなり動いたせいで、バランスを崩してしまう。倒れそうになった先は川だ。リンネは思わず目を瞑る。
「おっと」
だが、予期した衝撃は訪れなかった。代わりに腕を掴まれて、強く引き寄せられる。
危機を逃れて息をついたのもつかの間、リンネは自分の身体がグランの腕の中に納まっていることに気付く。
「大丈夫? 危なかったね」
「あ、ああ」
助けられた。
おかげで怪我はないし、一滴も濡れてはいない。だが、心臓がばくばくと、危機的なレベルで五月蠅く鳴っている。
びっくりしたせいだ。
きっと、絶対に、この動悸はそのせい。
「……帰る」
リンネはぽつりとこぼして、胸板を手で押し返した。グランはただリンネを受け止めただけらしく、軽い力を込めただけで身体が離れる。リンネは大げさに距離を取った。
顔も頭も、熱を出した時のように火照っている。思考はたくさん巡っているのに、どれも空回りするばかりで、まともな所に着地しない。
「大丈夫? 体調悪い?」
お前のせいだ、とは口にできなかった。
「送って行こうか?」
「っ、いらない!」
「そっか、じゃあ気を付けてね」
あっさりとした引き際にも、恨み言が口をついて出そうになって、リンネは慌ててグランに背を向けた。
足音荒く歩き出した背中に、声が投げかけられる。
「また来てもいいかな?」
リンネは立ち止まる。振り返らないまま、何度か唇を震わせて、なんとか言葉を振り絞った。
「……勝手にしろ」
来るな、と言えたならどれだけ楽だったろう。
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